世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】渡辺努「物価とは何か」

今年136冊目読了。東京大学大学院経済学研究科教授の筆者が、物価理論の要諦を説きながら理解へと導く一冊。


まず、「商品の魅力は、特性と供給量に左右される」と経済の原則を述べ、一般的に使われている物価の定義は「昨日と同じ効用を得ようとしたときに必要となる最小限の支出」とする。


そのうえで、貨幣について「貨幣の魅力は、決済サービスと信用であり、信用の裏付けは将来の税収」「貨幣と国債は、将来の税収が裏付けになっているという点で似た者同士」とその特徴を指摘。


価格の動きについては「価格変動に伴う消費行動の変化やその影響といった間接的な効果は、変動による直接効果を打ち消す方向に作用する」「価格の地域間格差は、売る側の事情(ある地域では供給が少ないために価格が高くなる)で生じることが多い」「購買価格のばらつきが消えない理由は、時間の価値の格差がネットの普及とともに拡大しているから」のあたりの言及が興味深い。


インフレを実現するには「①人々がそれを予想し、それが社会のコンセンサスになる②中央銀行がだぶついた貨幣を吸収するオペレーションを行う」の2つの条件が必要、とする。
インフレと金融政策の関係は「金融緩和は、短期的には失業率低下の効果が期待できるが、長期ではインフレを高めてしまう」「中央銀行さえしっかりしていれば高インフレは必ず防げる。それなのに高インフレが起こってしまうのは、高インフレに伴って発生する失業率の改善に魅力を感じる総裁が、その誘惑に抗しきれず、高インフレを選択するから。これに対してデフレが発生する状況は、総裁が何かの誘惑に負けて、自らデフレを選んでいるのではなく、人々のデフレ予想が一線を超えてしまうと、中央銀行はその予想を潰す術を持たない」と指摘する。


筆者は、ただ学術をいじるだけでなく、人間心理を「人々を突き動かすのは、数字で表現できるような情報ではなく、単純で、腹落ちするストーリーである」「迅速さを優先してとりあえず何かを思いつかなければならないとき、私たちは思い出しやすい記憶や知識、つまり『利用しやすい』記憶や知識に頼ろうとする」「ある人のインフレ予想は、その人がこれまでの人生で経験してきたインフレに左右される」と洞察するあたりがなかなか鋭い。


価格変更については「①インフレ率の変動は価格更新の回数の変化によって起こる②高インフレ期には価格の更新頻度が高く、その逆に、低インフレ期には頻度が低い③直近の価格更新からの時間が経過するにしたがって、更新の頻度が小さくなる」と、その特徴に触れたうえで物価の硬直性について、企業側の「①需要や原価の変化を見極めるのに時間がかかる②競合他社の動きを見極めるのに時間がかかる」にある、と述べる。
日本のデフレの特徴は「長期、かつ緩やか」であることと指摘。「物価全般の上昇率が長い間ゼロだと、今日の物価はきっと機能と同じだろうと人々が予測する」ことにより「デフレが社会に定着すると、少しの値上げでも顧客が逃げてしまうのではと企業は恐れるようになり、原価が上昇しても企業は価格に転嫁できないという状況が生まれる」。結果として「消費者の怒りを怖れるあまり、原価の上昇に対して、世代内での表面価格の引き上げというもっとも標準的な対応を諦め、小型化によるステルス値上げと、世代交代時の値戻しという、変則的な方向に向かった」。しかしながら「商品の小型化というのは、作る方からすればまっさらの新商品を世に送り出すのと同じくらいの労力が必要で、価格据え置きの常態化は、現場の技術者から前向きな商品開発に取り組む機会を奪うというかたちで、社会に歪みを生んでいる」という言及は、まさにそのとおりで、暗澹たる気持ちになる。


では、どうすればいいのか。筆者は、ケインズとフィッシャーの力を借りて「貨幣にマイナスの金利をつける。銀行券を『固定相場』から『変動相場』へ切り換える」「フィッシャー指数の『真の物価を計測するには、比較する二時点のそれぞれにおける各商品の販売金額シェアを知る』という理論を、ビッグデータによって実現する」ということを提唱する。


本論以外にも「大雑把にいうと、ミクロ経済学では価格が需給に応じて伸縮的に変動すると考えるのに対して、マクロ経済学では価格が硬直的と考える」「ネットがあっても情報収集のコストは時間という面でゼロにはならない」「人間は実際に生じた現象については、なぜそれが起こったのかを説明しようとする。しかし、起こらなかった現象について、なぜ起こらなかったかを問うことは滅多にない。しばらくの間、物価が動かなかったという事実が、認識されることも、説明されることも、極めて稀だった」のあたりは、非常に勉強になる。


全般的に、かなりハードルの高い本だが、読みごたえがあった。スタグフレーションに苦しむ日本に、この本が届くのか…