世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】東京大学広報室「素朴な疑問VS東大」

今年20冊目読了。大学活動を広める広報室が、「なぜ?」から始まる学術入門をする一冊。


体、身の回り、自然科学、環境に関する素朴な疑問41個を学術的に解き明かすというプロセスはなかなか面白い。読む人によってポイントは全く異なるだろうが、興味深く読めた。


自分が気になったのは「疲れると眠たくなるのは、カルシウムイオンが神経細胞に入るから」「楽しい時間があっという間に過ぎるのは、心の時計を早送りする神経伝達物質が出るから」「利き手と非利き手があるのは、二つの手をうまく協調させて動かすため」「あいうえお、あかさたなの順は、密教の僧侶が梵字を勉強したから(インドの字母表の配列に従っている)」「電化が温暖化防止に必須なのは、電力は将来100%非化石エネルギーで作れるようになるから」「温暖化が進むと、日本の梅雨は災害につながる豪雨が各地で増えそう」のあたり。これは人によってだいぶばらつくだろうな。


あと、心に響いたのは「基礎研究は、『これは世の中に役に立つぞ』と予想するものではない。目の前に謎があるから、それを知るために実験をし、答えを見つける。その過程は楽しく、喜び」「過去は将来を解く鍵」のあたり。これは全ての真実ではなかろうか。

【読了】ブルース・シュナイアー「ハッキング思考」

今年19冊目読了。ハーバード・ケネディ・スクールで教鞭をとるセキュリティ技術者の筆者が、「強者はいかにルールを歪めるのか、それを正すにはどうしたらいいのか」を考察する一冊。


ハッキングというとコンピューターの世界だけに感じるが、実は社会システムに対してもそうだ、と筆者が切り込むところが非常に興味深い。


世の中が『強者総取り』に近づく仕組みを「金持ちの多くはルールが自分たちにも当てはまるということを受け入れない。あるいは、少なくとも自分たちの利益のほうが優先されると、当たり前に思っている。その結果、金持ちはいつの世にもシステムをハッキングする」「市場経済にハッキングを呼び込むのは財力であり、それで利益を得るのは富裕層」「ハッキングは寄生的であり、ほとんどが権力のある富裕層によって実行され、それ以外の全員を犠牲にして成り立っている」「結果が軽微なものであり、アルゴリズムが発覚しないうちは、ハッキングが起こっていることに誰も気づかないかもしれない」「力を持たない者のハッキングは違法と判定され、ハックは不正になる」と、ハッキングをベースに捉えるというのは実に斬新ながら、確かにそう感じる。


ハッキングについての「社会システムは信頼の上に成り立っており、ハッキングはその信頼を失う」「システムは階層が上がるほど一般性が上がり、上のシステムが下のシステムを支配する。そしてハックはどのレベルでもターゲットにできる」「ハッキングは、世の中をよくする力になりうる。大切なのは、良いハックを後押ししつつ、同時に悪いハックに歯止めをかける方法を理解することであり、両者の違いを知ることだ」「ハッキングは、システムの規則や規範を打ち破って、システムの意図をくじく。いわば『システムの逆手を取る』。ハッキングは、不正行為とイノベーションの真ん中に位置している」「ハックは、脆弱性とその脆弱性を利用するしくみで成り立っている」「ハッキングは狙ったシステムに対して強すぎてはいけない。ハッキングが成立するにはシステムが存続しなければならないからだ」というフレーミングは確かにそうだと思う。
また、テクノロジーの脅威について「テクノロジーは、その変動の幅を変える。短期的な上下の変動は激しくなっており、長期的な軌跡には影響しないだろうが、その短い期間を生きる人すべてにとっての影響は甚大」「コンピューターとAIの技術が組み合わさると、速度、規模、範囲、複雑度という4つの次元でハッキングは加速する」と鋭く指摘するあたりも共感できる。
AIについての「人間の言語と思考においては、目標や願望が常に言葉たらずで終わっている」「AIが人間に思いも寄らなかった解決策を見つけるのは、人間が共有し当然だと思っている文脈や規範、価値観という観点では考えないから」という言及はなるほどとうならされるし、AIによるハッキングから社会を守るために、筆者はガバナンスシステムとして「①迅速さと正確さが必要②できる限り多くの視点を持つ③プロセスと裁定は公式に透明である④構造、機能、意思決定力、アプローチを短時間で進化させるメカニズムが必要」と主張するあたりも納得。


人間の特性から「虚偽情報は、注意力、説得、信頼、権威、同族意識、あるいは恐怖などの裏をかくハック」「信頼に向けられる私たちの認知システムは、個人を信頼することに基盤を置いている」「人はデータよりも物語に基づいてリスクに反応する」と読み解くあたりも面白いし、「フェイスブックYouTubeが両極端を目指しているのは(1)ユーザーの関心に基づいてアルゴリズムが最適化した結果、両極端なコンテンツが表示されるようになった(2)そこから生じかねない問題を、経営陣が度外視すると決めた、が理由」は空恐ろしい…


では、世の中はどうすればよいのか。セキュリティ技術者故の「ハッキングの対策は『原因になっている脆弱性をなくすこと』『ハックの効果を下げること』『事後にハッキングを検出して、そこから復旧すること』『悪用されないうちに脆弱性を発見すること』」「私たちが構築しなければならないのは、ハックに速やかに効果的に対応できる回復性を備えたガバナンス」という言説は非常に納得できる。なかなか読みにくいが、面白かった。


余談ながら、アラフィフとしては「ソウルオリンピックで、アメリカのデビッド・バーコフと日本の鈴木大地は背泳ぎをハッキングした。プール長辺の過半まで潜水で進むという泳ぎで驚くべき記録を打ち立てたのである」のくだりは確かにそうだなぁと感じた。なるほど…

【読了】谷川嘉浩「スマホ時代の哲学」

今年18冊目読了。京都市立芸術大学美術学部デザイン科特任講師の哲学者である筆者が、失われた孤独をめぐる冒険を解き明かす一冊。


畏敬する先達が薦めていたので読んでみたら、なるほど非常に納得できる。まさにスマホ時代というのをどう捉えるか、ということの大きな道標になる。


筆者は「本の内容を単に『情報』として受け取るのではなく、『経験』に変えてもらう必要がある。、情報を経験に変えるのは、読者の仕事。読書は、そういう共同作業」と述べるが、これは非常に共感できる。


筆者は、現代社会では誰しも迷っているとし「私たちは自分が迷っていることを認めない傾向にある。だから、自己完結の迷宮を脱しようと思うなら、まずは迷い取り乱している自分を認識することから始める」と問題を指摘。
そのうえで、自分を鍛えるという観点での「自力思考が平凡なアウトプットに陥るのは、自分がすでに持っている考えを再提出しているにすぎないから」「どんな知識も、使いどころや使い方=『想像力』と一緒に学ばなければ仕方ない」「想像力を豊かにするとは、いろいろな人たちの想像力を身につけること」という言及は非常に耳が痛い…


哲学の世界を歩くときの注意点として「①考えることにも練習は必要(すぐに結果を得ようとしない)②使われている通りの言葉遣いをする(独自の使い方はしない)③その哲学者の想像力に沿って読む(日常の語感を投影しない)」というポイントは確かに納得だ。


現代社会に対する「スマホ時代は、常時接続の世界において生活をマルチタスクで取り囲んだ結果、何一つ集中していない希薄な状態『つながっていてもひとりぼっち』」「常時接続に身を委ねて不安を『つながり』や『シェア』で埋めてばかりいると、他人だけでなく自分の感情や感覚を繊細に受け止め、掘り下げていくことがますます下手になっていく」「さみしさに振り回される私たちを特徴付けるのは、自己への過剰な関心と自己完結性」という分析は非常に鋭いと感じる。
常時接続故の孤独の大事さについての「『孤立』抜きに『孤独』は得られない」「孤独は、自分自身の対話を通じて自己形成していくプロセス」「多様な自己を育む孤独は、世界や他者、そして自分に対する基本的な信頼の上に成り立っており、そうした信頼を育んでくれるのが、信頼に値する仲間」という主張は確かに納得。
さらにネガティブ・ケイパビリティは「自分の中に安易に答えを見つけようとせず、把握しきれない謎をそのまま抱えておくことで、そこから新しい何かをどこまでもくみ取ろうとする姿勢」であり「趣味が可能にする自己対話が、対話として成立するために避けがたく必要な能力」。そして、趣味には孤独を可能にする力があると主張し「自分の外側に謎を作り、その謎と繰り返し対峙し、それから様々な問いを受け取る中で、一種の自己対話が実現される可能性がある」「趣味を通じて、生活の中に孤独を持ってきた人にだけ『見えるし、わかってくる』『つらいこと』が、優しさにつながっている」と、その効用を述べる。


現代人の陥りがちな罠として「人間は単に気晴らしするだけに留まらず、気晴らしの活動を通して、つまらない虚栄心や承認欲求を満足させようとする」「人が何かに夢中になり、没頭しているように見えても、それは寂しさ(倦怠)に駆られた結果であって、孤独が伴っていないかもしれない」という状況だと述べる。さらに「現代の自己啓発が促すのは、内面への関心だけを極大化させる自己完結的な生き方」「私たちは、変化と成長を要求し続ける現代の文化につらさを感じながらも、考えすぎると憂鬱になるので、動画や写真、音楽やアルコール、コミュニケーションの断片を過剰摂取し、『酩酊』や『昏睡』にも似た状態に自分を置くことで、違和感や虚脱感をやりすごしている」というのは耳が痛い…


ではどうすればよいのか。筆者の「退屈や不安、何か足りないという気分に、時々は身をさらすことをやってみたほうがいい」「感覚の変化は、自分の行動を再編し、自分のあり方を変えていくための転換点を示している」という主張は肯んじ得るものだと感じるし、「理解は常に不完全だからこそ、知ろうとすることに終わりはない。それこそが、人生を面白くしている」ということは非常に共感できる。


平易に見えて、読みにくい。しかし、だからこそ価値がある一冊。

【読了】読売新聞経済部「JRは生まれ変われるか」

今年17冊目読了。国鉄改革の功罪を、コロナ後の社会情勢から振り返る一冊。


コロナ後に輸送量が減ったJR。「採算性と公共性のはざまで、JRはどこへ向かおうとしているのか」という疑問を調べていくこの本は、昭和史が令和にどのように影響をしているのか、という内容だ。


そもそも鉄道網について「全国の鉄道網は国鉄の時代から、都心部や新幹線の収益で地方ローカル線の赤字を支える『内部補助』で成り立ってきた。民営化の際、採算の悪い路線の多くをバス転換などで切り離しており、この仕組みを続けられると想定していた。内部補助は、一定以上の人口が前提となっていた」という状況で「分割民営化後30年以上にわたり、JR本州三社が安定的な成長を遂げ、運賃値上げをしないで済んだのは、日本でデフレが続いていたことがプラスに働いたから」という僥倖でしかないという指摘は確かにそのとおり。
他方「政治からの圧力は避けたい。一方で、政治に気を配らなければ事業は成り立たない。JRは政治に翻弄される宿命を持つ」というのもまた真実。


国鉄分割民営化について「国鉄改革の議論は、単独か分割かの命題を巡る戦いだった。採算性を高めるため、どんぶり勘定をやめて目の行き届く範囲で管理する。地域に合わせた列車運行や運賃設定をする。発想は妥当と言えた。ただ、経営安定基金を配分して手当てをしたはずのJR北海道、四国の経営悪化に歯止めがかからないことは、想定外だった」と一定の評価はするものの「国鉄改革は全体で観れば成功した。だが、思いがけない低金利や想定を超えた人口減少で、最もしわ寄せが行ったのがJR北海道だった」「JRの誤算は想定をはるかに上回る地方の人口減少が契機だった。令和の現在から振り返れば凡庸な理由かもしれない。今に影を落としているのは、昭和の時代に多くの国民が夢想だにしなかった事態である」という現実が令和になって立ちはだかっている。
さらなる人口減少に向き合う日本にとって「ローカル線の最大の問題は、鉄道会社、自治体、国がどう負担を分かち合うかだ」「どんな未来を選ぶか。沿線自治体や住民の判断に委ねられるところが大きい」という指摘は重い。安易に予算をつけられないのは人口減少もそうだが「鉄道局の予算が少ないのは、鉄道は道路に比べ、新設するべき路線が少なく、成熟産業であることも一因だが、国鉄時代の巨額債務の影響が大きい。国民に負担を求めざるをえなかった-。この重い反省こそが、鉄道局の予算の少なさにつながっている」というのも一因なのだろうな…


今後、鉄道はどうなるのか。「鉄道のそもそもの存在意義は、移動サービスを提供することだ。地域に適した交通モードは何か、将来を考えて地元とともに考えていく必要がある」「鉄道会社の役割は時代とともに変化している。地域を元気にするための社会インフラを提供するのが役割だ。その一つが鉄道事業だが、もう一つの大きな柱は都市開発や不動産開発」のあたりは『言うは易く行うは難し』。開発しようにも地域が人口減少するのだから、本当に工夫しないと難しいんだろうな…

【読了】山口真由「挫折からのキャリア論」

今年16冊目読了。東大法学部首席卒業、財務省官僚、弁護士、ハーバード大学ロースクールという一見華やかな経歴を持つ筆者が、「すべての失敗は未来の自分へのプレゼントになる」と、レジリエントに生きることを主張する一冊。


畏友が薦めていたので読んでみたら、なるほどこれは良書だ。過去の失敗を「あめ玉」と喩えるところは少し独特だが、自らの失敗をさらけ出して向き合う姿勢はすごい。


自分の失敗から、先人として「部下や後輩を育成する目的で、上の世代は自分の『弱さ』を下の世代に向けてもっと開示しなくてはならない。キャリアの駆け出しの頃の、恥ずかしく、悔しい経験を、できるだけ詳しく、当時の感情も含めて話す。ベテランになってからの失敗談も同様に、武勇伝や自慢話ではなく、上から目線の説教でもなく、等身大の人間の話として-」という姿勢は頭が下がる。


筆者は優秀であるが故に「できるだけ早く仕事で頭角を現して、自分にとっての『王道』、つまり『自分が理想とする、物事が進むべき正当な道』に戻りたいともがいていた」「私は『他人による評価』に自己評価を連動させていた」と囚われていた。
しかし、「自分の得意とする部分で評価をもらって、そこから横に力を伸ばしていくことは可能」「『自分ができない』と思っていたけど、向いている分野と向いていない分野がある、というだけで、自分が根本的に劣った人間だというわけではなかった」「私は自分が全方位的に優秀だと思い込んで、過剰に盛って生きてきたけれど、決定的な強みを活かすのが私にとっての正解なんだ」ということに気づいたところが秀逸だが、そこに至る苦闘はなかなか壮絶だ…


挫折を乗り越えた筆者のスタンス「ある年齢までに結婚するというイメージは、親の世代や社会による刷り込みである部分が大きい。そこからはみ出してもなお、人生の中で、自分の思いを実現することはできる」「傷ついた経験は取っておいた方が、後々、自分を鼓舞できるときに使える」「永遠にツキが回ってこないことはない。今はすべてがうまく回らない時期。だけど、ここをやり過ごせば、すべてのことが好循環になる時期が来る」は、非常に参考になるし、「つらい経験と向き合うときには、まず『書く』。そのうえで、適切な相手に適切なタイミングで話す。それは相手のためにもなるし、自分のためにもなる」は、自分自身使ってみたい。だが、体験したくないのは「生きれば生きるほど赤字額が増えていくという状態は、人の精神をむしばむ」の部分だな…


余談ながら、スティーブン・スピルバーグの「あなたの理性はあなたが何をすべきかを叫び、直感はあなたが何をできるかをささやく。直感に耳を澄ませなさい。それ以上にあなたを形作るものはないのだから」という言葉こそがこの本の真髄だろうと感じた。読みやすく、一読をお勧めしたい。

【読了】坂口孝則「買い負ける日本」

今年15冊目読了。調達・購買コンサルタントの筆者が、日本の絶望的なモノ不足と、機能不全に陥った日本企業の惨状を描き出す一冊。


衝撃的なタイトルだけでなく、現実が非常に厳しいことを痛感せざるを得ない。


日本が素晴らしいなどという思い込みは「国内は、少量ゆえの非効率化が目立つ」「とにかく日本向けはめんどくさい。外国だったら信じられないレベルの要求をする。他の国に次々に売れていくのに、日本だけに特別な対応はしない」という指摘が打ち砕いてしまう。


そして、失われた30年によって「消費者にとって安い方がいいに違いない。ただし結局は程度問題だ。価値を認めるべきは認め、価格を上げるべきは上げる。その当然の値上げががなく、ひたすら低価格志向を重ねれば日本は世界から置き去りにされていく」「現在では、働く人材が、働く国を選んでいる。良い人材を各国が争って誘致している。その状況がわからず待遇改善が図られなければ日本から人材が流れ、日本は堕ちていく」という状況を客観的に突きつけられると、胸が痛い…


日本企業凋落の理由を「GDPの相対的下落、購買力平価の低下、付加価値あるものを販売できるか、トップ企業の没落と発言力の低下」
「日本の優先度はもはや高くなくなった。米国から日本に寄るよりも、早く中国に戻して次の便として出港したほうが儲かる」「ずっと安い商品しか買わない日本が、物量も少ない。でも時間はかかる。そりゃ、そういう国は選ばない」「日本は国家としての戦略が欠けている。民間に任せすぎている」と、厳しく指摘。実例を出されると、ぐうの音も出ない…


さらに、日本の問題点を「日本は裾野の広いサプライチェーン構造。これが『納品してもらって当然』と買い手側の慢心を呼び、仕入れ先に負担を求め、そして仕入先の絶大な協力を前提とする『すり合わせ』を期待し、『阿吽の呼吸』で事業を進める。さらに多層構造は、下の仕入先の顔を見えなくする。声が届かず、さらにトップ同士の関係が希薄になっていく」「日本企業の目的は品質追求ではなく、既存維持・前例踏襲、ゼロからの見直しを避ける」「全員参加の姿勢は、そのうち『誰も責任を取らない』と同義になっていく。誰も責任を取らないので、なんとなく全員が責任を取る。だから、全員がとりあえず『知っておくこと』が重要になった」と触れられると、本当に頭を垂れるしかできない。


提言として、多層構造の問題に対しては「仕入先への早期発注を。下位仕入先へ積極的な関与と情報開示を。日本企業トップは仕入先トップと積極的な交渉を。」品質追求の問題点に対しては「品質を売るのではなく価値の販売を。OR設計の徹底を。コスト評価の徹底を。」全員参加主義・全員納得主義に対しては「結果ではなく手法と結果幅の合意を。リスクを取った行動を。横並びを脱する企業戦略を。自己を否定し新たなビジネスモデルを。人材の流動化と賃上げを」という主張は非常に納得できる。


失われた30年の恐ろしさを、筆者は「人びとは、大きな変化には気づく。しかし、ゆっくりとした変化にはなかなか実感を持ちにくい」の言葉で抉っている。本当に、このままではいけない。危機感を強く覚えさせてくれる(苦しいけれども)良書だ。

【読了】吉岡圭子「鉄道と愛国」

今年14冊目読了。朝日新聞記者として日中関係を取材したジャーナリストの筆者が、中国・アジア3万キロを列車で旅して考えたことをまとめた一冊。


鉄道立国・日本。しかし、それは現代アジアからの見方とは大きく乖離していることを痛感せざるを得ない。


筆者は「鉄道は、国家と個人、政治と経済、歴史と現在が交差し、越境し合う場所だ」と、その存在意義を高く評価するものの、日本の新幹線商戦について「新幹線商戦は、技術や価格だけでなく、外交や国際宣伝力も加味した『知的格闘技』」「新幹線には日本社会の『熱』が宿る。同じく巨額の資金がうごめく国家プロジェクトでも、ダムや橋とは違う」「新幹線を日本の『象徴』ととらえればとらえるほど、高速鉄道商戦と両国の世論は切り離せなくなる」と、冷静になることを提言する。


他方、隣国・中国の問題点は「中国では未知数な技術を用いて人を乗せて走る実験ができる。命の値段が安いのだ。同時に、この強引さが中国の科学技術の発展を速めている面もある」「スマホ決済システム、シェア自転車、ネット通販、そして高速鉄道。中国のネット上で飛び交う『中国の新四大発明』には、なぜか高速鉄道まで含まれている。かつては『師匠』と仰いだ欧州や日本の鉄道技術力への敬意は薄れ、いつのまにか自らの発明にすり替えてしまった」「中国の鉄道博物館は、いずれも列強に鉄道の利権を奪われて管理された屈辱の歴史を強調する。21世紀に入ってからは日欧など外国から技術を取り入れて基礎を固めたあと、独自技術を磨いて築いた高速鉄道網が驚異の発展を遂げる成功物語へと転じる。まさに、中国共産党による建国が、アヘン戦争以来の『国恥』を中華民族の復興へと塗り替えたとする歴史観そのもの」と記述している。本当に信用できない政権だなぁとしか思えない…
そんな中で、中国の高速鉄道モデルも危険だと指摘。「国内外を問わず、経済成長の継続が前提だ。巨額の資金を投じても、お客が増えていれば回収できる。周辺の不動産開発でも稼げる。その循環が止まったとき、負担を背負うのは誰か。危ういゲームが続く」は2024年2月時点でもそうだと感じる。経済成長にブレーキがかかると中国は一気に歯車が逆回転するような危うさがある。


新興国にとって高速鉄道は、ただの乗り物ではない。政治家は発展の象徴や自らの実績のレガシーとして、国民にアピールする道具に使いたがる。敗戦から復興し、高度成長期にあった日本が、新幹線に乗り物を超えた夢とプライドを託したように」


筆者は、取材に基づき、日本の援助というものについて「援助は感謝されるためにするものではないし、それはこだわりすぎの議論。そこに必要性があって、双方の依存関係の上に利益を受ける人たちがいるから援助する」「ODA円借款を投じるなら、日本政府は国民に向けてきちんと説明する必要がある。新幹線の輸出そのものを否定するつもりはないが、不透明な事業の進め方には問題がある」「日本自身がやるべきことがもっとある。自らの文化の発信に対して、どれだけの力を注ぎ込んでいるだろうか。せっかく親しみを持ってくれている人たちの関心に、どう応えているだろうか」と、地に足を着いた考え方を展開する。
そして、つらいことではあるが「日本あるいは日本人は自画像を更新する必要がある。日本がアジアで唯一の高速鉄道を造り、走らせることができた国であった時代は、とうの昔に過ぎ去った。中国や韓国もそれぞれのやり方で造り、走らせている」「アジアの国々にとって日本は『老いて硬直した』存在に見え始めている」という指摘は本当にそのとおりなんだろうな・・


そんな中でも「鉄道は、市民の足だ。国家のみえを張り合う道具ではない」「鉄道は自由で開かれた社会でなければ本来の機能を存分に果たせない」のあたりは、やはりどんなに世の中が移ろいゆきても、鉄道というものの価値を感じさせてくれる。