世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】孫泰蔵「冒険の書」

今年28冊目読了。インターネット関連のテック・スタートアップの立ち上げに従事している連続起業家の筆者が、AI時代のアンラーニングについて物語形式で書き記した一冊。


筆者は「教育と社会は両輪であり、社会を変えたければ教育も同時に変えないといけない」と主張し、その軸で数々の偉人との対話を展開していく。


現代に続く教育システムについて「義務感で学んだところで自分の身になるわけはないし、まんべんなくプログラミングなどを学んでも、実際のところつぶしなんてまったくきかない」「私達の心の中から追い出さなければならないのは、私達の心の中に巣食う『生存競争を勝ち抜かなければならない』という強迫観念」と批判。そもそも学校が「学校は、監視・賞罰・試験という3つのメカニズムの複合体で、生徒が自ら服従するよう、巧妙にできている」「学校が悪しきものであるのは、それが技能訓練と人間形成を無理やり結合しているから」「評価は、本人のやる気や励みになる限りにおいては好ましいが、それ以上になる時にはまったく好ましくない」と問題を抉り、解決策として「なにはともあれ、初めは自由に遊んでなれ親しむ。その後、深く極めたいと思った時に初めて『自分が基礎だと思うこと』を徹底的にみがく。このほうがよっぽど自然で、その世界に入りやすい」と提言する。


遊びの捉え方についても「本来、『遊び』と『学び』と『働き』はひとつのものだったのに、それがまったく別々のものだと分けられてしまった結果、すべてがつまらなくなってしまった」「遊びは、新しい学びや創造、発見などをするための本質的な活動だったにもかかわらず、ただの『エンターテインメント消費』になってしまった」と、斬新な視点で切り込む。


筆者は、能力信仰とメリトクラシー能力主義)を批判し、それを超える社会を作らねばならない理由として「①『学び』から『遊び』が分かれて、どっちもつまらないものになってしまっている②『能力』や『才能』という概念がやる気や自信を失わせてしまう③能力信仰やメリトクラシードロップアウトを生み出しやすい原因となっている④本来は必要のないペシミズムにおちいった不幸な子どもたちが生まれ続ける⑤最終的にはほとんどの人の仕事が人工知能にとってかわられてしまう」と指摘する。


問いと思考についての「思考には『これまで積み重ねたものを捨てることで、新たな思考が生まれる』という作用が根源的にひそんでいる」「今残っている複雑で大きな問題を解決するいとぐちは、答えようとすることではなく『核心を突く良い問いを立てること』」「イノベーションは、誰かがユニークな問いを立てて行動を起こし、あくなき探求を続けた結果、たまたま画期的な新しい発見や発明が生まれたもの」「小さな『問い』に始まり、『つくる』ことを通じて『わかる』ようになる。同時に『わからない』こともたくさん生まれ、そこからさらなる『問い』が生まれる。それを繰り返していくうちに、なにか『形になったもの』が生まれる 」という考察も、非常に共感できる。なるほどと思わされる。


否定的なコメントをした後で、筆者が前向きな言葉を投げかけてくるのは勇気が湧く。「『しなければならない』にしたがうのは思考停止のあらわれ。思考停止はかならず『手段の目的化』を生み出す」「何歳からでも、いつでも、今すぐにでも、自分を変えて行動することはできる」「『自分の人生は誰がなんと言おうと自分で決めるべき』。自分の頭で考え抜いて、自分で決めていれば、どんな困難があろうとも誰かのせいにすることなく、自分で乗り越えていくことができる 」「なにが役に立つかわからないんだから、世の中で良いとされているものに従わなくても、誰かが決めた評価軸に合わせなくてもいい」「世界は自ら変えられる。自分の人生をいきいきと生きていれば、それは幸せな状態。そのためには『未来に希望が持てること』と、『切りひらこうと思えば、実際に切りひらけること』の2つの条件が満たされなければならない」「『世界は自ら変えられる』とは『自分自身が変わること』」のあたりは共感できる。


人工知能時代だからこそ「人間が人工知能にひれ伏すことによって人間が『労働』から解放されれば良い」「物事をリフレーミングして新しい意味を見いだせるのは、動物でも人工知能でもなく、人間だけ。それこそが人間の役割。これからの時代の僕たちの仕事は、『社会にいかに無駄や余白を組み込むか』を考え、いつでもリフレーミングができるようにすること」という考え方は大事にしたい。


余談ながら「自立するとは、頼れる人を増やすこと」は、本当にそのとおりだと感じた。これは良書だ。

【読了】萩原さちこ「城の科学」

今年27冊目読了。フリーの城郭ライターで編集者の筆者が、個性豊かな天守の「超」技術を紹介する一冊。


城好きでないと、まず手にしない本だし、そうでないと読んでて楽しくないだろうな、という図書館で見つけた一冊。よくこんな本が出版されたものだ(笑)。


城と都市の関係について「新幹線が停車するような発展した都市には必ず城があるのは、城が領国の要であり、流通・経済・商業の中心地であったから。近世以降、城を中心に城下町が繁栄し、現代社会がつくられてきた。発展した都市だから城が残っているのではなく、城があるから都市が発展した」と述べるのはそうだし、「天守は壮麗なシンボルタワーであると同時に、それ以上に実戦のための防御施設としての役割を担っていた。見た目の美しさが大切なのは間違いないが、美観と実用を兼ね備えていることがとても重要だった」というのも納得。


他方、「軍事施設である城は、時間をかけて素材を厳選し、こだわり抜いてつくられる。ときには辻褄合わせのような技術を使い、ごまかしたりすることも。試行錯誤した、不完全さが詰まっている。生まれながら特別な存在意義を持って維持と管理がされてきた寺院建築とは異なり、天守は常にガタを抱えながら、時代の変化のなかでなんとか生き延びてきた建物」という観点は忘れられがちで、押さえておきたいポイント。


時代による変化についても、信長は「天主を建てただけではなく、城全体を高い石垣で囲み、恒久的な礎石建築を城に取り入れた。それまで戦うためだけにあった城には見せつけるという要素が加わり、存在意義までもがらりと刷新された」。それが家康の時代には「軍事施設であれば実用性さえ追求すればよく、絢爛豪華な天守など必要ないように思えるが、新領主の威厳と威光、さらには徳川政権の権力と新時代の到来を見せつけるため、強さと美しさを兼ね備えるのが、この時代の城のあり方」「家康の命により天下普請で築かれた城は、同一規格なのが最大の特徴。徳川の城は、統一化されているため実用がスムーズ。いつ誰が命を受けてもすぐに使いこなせる」となる、ということを頭に入れるとまた城の面白さが立体的になる。


個別にも「平成27年松江城天守天守としては67年ぶりに国宝指定された。大きな理由は、独自の建築技法が明らかになったこと、その建造年が判明したこと」など面白い記述は多いのだが、あまりにもマニアックすぎるので割愛。余談ながら「天守閣という呼称は明治以降の造語。おそらくは楼閣建築から天守が発展したという解釈から生まれたようで、俗語」は知らなかった…


間違いなく一般受けしないが、一般の人はこんな本を手に取るわけもない、か(苦笑)。

【読了】長谷川ヨシテル「ポンコツ武将列伝」

今年26冊目読了。タレントにして歴史マニアの筆者が、ポンコツと評される武将の実態と魅力に迫るちょっと変わった一冊。


かなりマニアックな本なのだが、そこから見える人物像、人の成功は何なのか、ということなど、なにげに考えさせられる。


小田氏治について「9回も城を落とされるなど敗戦を重ねたが、戦場で命を落とすことなく戦乱を生き抜いた」「何度も城を落とされているということは、何度も取り返しているということ」「百姓たちは、氏治以外の大名が城に入れば姿を隠し、年貢を納めなかった」。


源行家については「合戦では負け続けの武士人生を送り、軍事においては『無能』と称されてしまうが、『以仁王の令旨』を受けて源氏の挙兵を促し、理想の通りに平家を打倒してしまうあたり、交渉人や工作人としては『有能』」。


佐久間信盛については「困難を極める殿軍を得意としたが、名誉よりも自分の命や財産を大事にしたため、武者の道を外れた卑怯な者という評価を下され、最終的に織田家を追放されて寂しく亡くなってしまった。立場ある者である限り、勝負をしなければならない場面で退いてはいけない」。


織田信雄については「武将としてはポンコツだけど、どこか憎めない優しい人。そういう人物だったからこそ、『越中征伐』や『小田原攻め』で和平の交渉役を勤め上げられた」。


薄田兼相については「「ミスを犯して、職場や社会から叩かれた。それでも折れずに挽回のチャンスを待った。その一度のチャンスをものにして見事に名を残し、後世に物語のヒーローとして語り継がれていった」。


織田有楽斎については「武将としてはポンコツな部分が多かったが、有楽流という茶道の流派や国宝となった茶室を現代まで残し、文化人としては大きな功績を残した。自分の好きなジャンルをとことん突き詰める生き方は、現代人の我々に欠けている、豊かな生き方を提示してくれている」。


三英傑についても面白い。信長は「名将ではあると思うが、時々『大丈夫、大丈夫!だって俺だぜ』というような強い自信からくる脇の甘さがある。『俺に限ってそんなことは起きない』という自負心故に戦国時代を駆け抜けていくが、その自負心故に身を滅ぼしてしまう」。秀吉は「とにかく女好き」。家康は「追い込まれると切腹しようとする癖がある。一種の現実逃避ともいえるのでは。周囲の声を聴いて、もうひと踏ん張りした」とする。秀吉の酷さ(苦笑)。


軽いトーンながらも、なかなか心に響く指摘として「小さな目標や個人の目標ばかり気になって、大きな目標やチームの目標を忘れてしまう。また『怒られないためにやる』というような変なモチベーションで動くべきではない」「人間は複数のコミュニティーに所属して成立する生き物。物事の優先順位はもちろん大事だが、何かを絶対だと思ってのめり込んでしまい、他をおろそかにすると、身を滅ぼす結果を招く」「『諦めるな!』と口で言うのは簡単だが、それを具体的に行動に移すのは難しい」のあたりは鋭いなぁと思う。


ゆるい表紙のイラストと軽妙な筆致にかかわらず、意外な奥深さがあって楽しめる。これは当たりな本だった。

【読了】中川浩一「プーチンの戦争」

今年25冊目読了。元外務省交渉官の筆者が、ウクライナ動乱を分析しながら、日本のあり方を思考する一冊。


タイトルと、筆者の肩書きから期待して読んでみたが、自分にとっては期待外れ。冷静な分析と言うよりも、筆者の妄想をぶちまけるために表題で『釣った』ような中身だな…


戦争について「日本は三方で、海を隔て日本を敵視し核兵器保有する専制主義の覇権国家と対峙している。地政学的にも逃れようのない、世界で最も危険な国」「感情や思想を超えて、自分を護るために、家族を護るために、国を護るために戦う。それが戦争」「戦争を起こさないためには、私達の日常に、すでに平和を脅かす様々な要素やリスクがあることに気づく。そのリスクを見つけたら、すぐに声をあげ、皆と共有し、その芽を早めに摘むことが肝要」と触れているあたりは納得できる。


また、昨今の情勢につき、ウクライナ動乱について「ロシアが始めた戦争を止められない理由は、ロシアが安保理常任理事国として拒否権を行使できること、ロシアに武力で対抗できる旗振り役が今の国連加盟国にいないこと、アメリカやイギリスの民主主義の押しつけに反旗を翻す国々の台頭」としたり、「『民主主義国家が増えれば戦争がなくなる』との国家観は、『民主主義のために戦争をする』という恐るべき悪弊とジレンマを生み、そのジレンマの渦の中に日本も含めた世界中が巻き込まれ、逃れられなくなっている 」と述べているあたりも共感できる。ただ、そこに深い分析はないように感じる。


筆者が中国について述べる「中国製アプリは、必要以上にユーザーのデータを集めて、本人に許可なく中国にあるデータセンターに送り続けている」「日本で不動産を持っていれば、日本の永住権を得やすいというのは、不動産を買う中国人の間で半ば常識化している」のあたりの脅威は確かにそのとおり。で、どう対抗するの?という点は弱い。


筆者が領土について「領土問題を曖昧にして平和主義外交を続けるのは、リスクが大きく、そこが戦争の着火点となる恐れがある」「領土は『力』の源泉。国民が命を守り、生き抜く『基盤』」と主張することは分かる。また、「真の意味での専守防衛とは、相手の善意に期待する受け身の消極的発想ではなく、敵視する国の最高指導者に『侵略の意志を放棄させるだけの軍事能力と国家意志』を見せつけることのできる、実行力のある抑止力を持つこと」「民主主義国家は、専制主義国家に睨まれたら最後、隷属するか、呑み込まれまいと毅然と対峙するかのどちらか」「政府の役割とは、国民の間に広がる不安をやわらげ、安心を与えること」と言う国家観も理解できる。


しかし、日本の安全保障のロールモデルイスラエルだとして「①一家に一個核シェルター②培養肉で有事に備えた食の安全保障③水は技術で作る④食糧自給率は90%以上⑤中東のシリコンバレー⑥先進国第一位の出生率」とするのはあまりにも突飛すぎるし、そこに向けたロードマップも何もなく理想論をぶち上げでもどうなんだ?としか思えない。自分はお薦めしないな、という一冊。

【読了】橘玲「バカと無知」

今年24冊目読了。作家である筆者が「人間、この不都合な生きもの」について様々な観点から考察する一冊。


名古屋時代に知遇を得た人生の大先輩がお薦めしていたので、だいぶ時間がかかったが読んでみた。なかなかエグい内容で圧倒されつつ、疑問も持ちつつ。


筆者は、ヒトは徹底的に社会的な動物としたうえで「家族や会社、地域社会などの共同体に埋め込まれているから、わたしたちはこの社会的な制約の中で、なんとかして『自分らしく』生きられる物語を作っていくしかない」「ヒトは、自分が批判されることを過度に警戒すると同時に、集団からの逸脱行為をつねに監視し、自分より上位の者がそれを行うと、『正義』の名の下によってたかって叩きのめす。それと同時に、劣ったものに対しては、自分の優位を誇示するように進化した」とする。


そして、人間の思考の特性として「わたしたちは当然のように、被害と加害をセットで考えるが、被害者と加害者では同じ出来事をまったく異なるものと認識している」「わたしたちはつねに、『自分は正しい』という前提で生きている(『自分は間違っている』という前提に立つようになると、重度のうつ病と診断される)」は、確かにそうだよな…


バカの問題について「自分がバカであることに気づいていないことだ」は非常に厳しい。
が、筆者がそれの帰結として「地位をめぐって競争しているときに、高い地位につく資格がないことを自ら認めるのは致命的だ。こうして能力の低い者は、その事実を相手に知られないように、自分の実力を(無意識に)過大評価する。一方、能力の高い者は、相手も自分と同等の能力を持っているだろうと(当初は)想定する。なんの情報もないときに相手を見くびると手ひどいしっぺ返しを食らうことがあるし、共同体のなかで目立ちすぎると、多数派によって排斥される危険性があるからだ。その結果、能力に大きな違いがある二人が話し合おうと、賢い者が、バカにひきずられ、間違った選択をしてしまう」「バカを排除する以外に『バカに引きずられる効果』から逃れる道はない」と述べるあたりは絶望しかない…


自尊心についての記述も鋭い。「自尊心を巡る闘争ほどやっかいなものはない。面と向かって罵倒されたり、SNSで罵詈雑言を浴びせられることは、能の生理的反応としては、殴られたり蹴られたりするのとまったく同じに感じられる」「自尊心というのは、そのひと固有のパーソナリティというよりも他者との関係性で決まる」「私達はものごころついたときから、周囲に同調しつつも、自分を目立たせるという複雑なゲームをしている。わたしたちはみな自尊心が低く(同調する)、同時に自尊心が高い(競争する)ように『設計』されている」「ひとはステイタス=自尊心を守るためなら死に物狂いになるから、いくらでも自分を正当化する理屈を思いつく」のあたりは、本当に耳が痛い。


集団についても「人種差別は人間の本性ではない。本性は内集団と外集団に分割すること、すなわち『社会(帰属)による差別』」「脳の認知の限界を超えて、相手が匿名でも社会を成り立たせるためには、これ以外に方法はない」と鋭く分析。「内集団が成立するためには、原理的に、外集団が存在しなければならない。保守であれリベラルであれ、すべての共同体主義は『排外主義』の一形態」「殺し合いがもっとも残酷になるのは、遠く離れた集団同士ではなく、近親憎悪だ。日常的に接触のない相手は脅威にはならず、同盟や交易をした方がお互いにメリットがある」も、残念ながら人間の限界かもしれない…


人間の限界として述べられている「相手のことをとりあえず信用するのがデフォルトになっているのは、ヒトの本性が性善説だからではなく、能の認知能力に限界があるから」「人間は匿名の陰に隠れるとかぎりなく残酷になる」「夢の実現を強く願うと、脳はすでに望みのものを手に入れたと勘違いして、努力する代わりにリラックスしてしまう」「なにか悪いことが起きると、脳は、そこには原因があるはずだと(無意識に)考える。なぜなら、理由もなく不吉なことに出合うのはものすごく不気味だから」「記憶はある種の『流れ』であり、思い出すたびに書き換えられている」のあたりは、自分の実体験からも非常に納得できる。向き合いたくないことをズバズバ書いているな…


いろいろ思うところはある本だが、「わたしたちが無知なのは、現代社会がものすごく複雑だからだ。日常のあらゆる疑問に対して厳密な知識を得ようと思えば、2つか3つで人生が終わってしまう」は真実だと思う。
そして、生きる参考として「ぎすぎすした世の中に煩わされず、他者に『不道徳』のレッテルを貼って安易に批判せず、イヤなことがあっても『そのうちいいこともあるさ』と楽天的に考える。すくなくとも研究では、こらであなたの幸福度はずいぶん高くなるらしい」は大事な考え方。


良薬かどうかはわからないが、口に苦いし、考えさせられる一冊だ。

【読了】風来堂「地形と戦術で見る日本の城」

今年23冊目読了。旅や歴史などを取り上げる編集プロダクションが、全国の堅城57城を取り上げ、現地を歩いて描いた立体形縄張図とともに攻めと守りのポイントを説き明かす一冊。


少しずつ城郭マニアになってきたので、これも面白いかなと思って読んでみたが、あまりのマニアックさにびっくり。けっこう勉強しているつもりだが、天神山城(岡山県)とか萩城(山口県じゃなくて、石川県能登半島にあったとのこと)とか、不勉強ぶりを思い知らされる…


城には『攻』と『防』の2つのタイプがあるとし「『攻』の城は、敵国に攻め込んだ際の前線基地。攻め落とすべき敵の城と相対する位置に築かれる。突貫工事になるため、必要最低限の造作で済ませることも多く、また、使用されるのは一度きりで、その後放棄されてしまうことも珍しくない。一方、『防』の城は、敵国から攻め込まれた際の防御拠点として、自国と周辺国の境界付近の峠や山、本拠とする館の裏山に築かれる事が多い。自国内のため、築城に比較的年月をかけることができる。改修を繰り返して徐々に発展していくこともある」と区分を明確にする。


見る時には「『対敵』と『籠城』の2つの観点から見るとわかりやすい」、守備側のセオリーを考えるには「『高低差』と『角度』の2つの確保で優位性を活かして敵を撃退する」など、参考になる部分もあるが、これはマニアックすぎるな…

【読了】中井均「決定版 日本の城」

今年22冊目読了。城郭研究家にして滋賀県立大学教授の筆者が、名城の楽しみ方を網羅的に解説する一冊。


城郭検定の公式テキストに指定されているだけあって、非常に知識面で重厚な本。イラストや写真も多くて理解しやすく、読み物というより図鑑のような位置づけだな。


城の成り立ちについては「本来の城は、身を守るために築いた『軍事的な防御施設』。有事の際、人々は山に籠もり、敵の攻撃を防いだ。当初は山そのものが城だったのだ。やがて人工的な防御施設を持つ山城が出現し、戦国時代には居住空間も備えた巨大な山城へと発達していく」「もともと、山に城が築かれたのは、守りやすく攻め難いこと、もうひとつは眺望が良いこと」「山城の場合、山へ登らせないということが最大の防御」と述べる。


それが、時代を経て「信長、秀吉の時代に、城は軍事施設であるとともに、権威を『見せる城』という役割を付加された。また、御殿が築かれたことで、防御空間と居住空間が一体化することになった」となるのは、頭に入れておきたいところ。


筆者は、復元について「失われたものには失われた歴史があるのであり、その復元にこだわるよりも、現存する遺構を保存・活用すべきではないか」「軽はずみに復元建築を立てると、登城者に間違った知識を植え付ける怖れすらある」「往時の姿はイラストやCG、VRなどで楽しみ、それを参考に想像するのが、健全なあり方なのではないだろうか」という立場を取る。だが、本当にそうだろうか。古のやり方で建築・復元することの意義も、「技術継承」を含めて大事なのではなかろうか、と自分は考える。


余談ながら「眺望の確保は、城の役割や歴史を体感できる、大事な要素」は、確かにそうだなと思う。今は単なる雑木林でも、当時は綺麗に整備されていた山城はいくつもあるはず。