世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】小竹貴子「ちょっとの丸暗記で外食レベルのごはんになる」

今年140冊目読了。クックパッド編集担当本部長の筆者が、手抜きとおいしさのバランスを取る家庭料理を提唱する一冊。


見た感じから、普通の料理本とは一線を画する。「家庭料理は、おいしくありながら、毎日続けられるラクさとのバランスが大切」「見栄えがいいと、モチベーションがあがります。それに、翌日に余っても、見た目がいいと、食べる気にもなるものです」「トッピングをすると料理上級者です」あたりは、「自炊はできるけど、『おいしい料理』を作るレベルに至らない」自分のような人間にとっては、うってつけの一冊ではないか!!


<サラダ>
・「オイル1:酢1+何か塩分」この比率さえ覚えれば、なにも見ずにサラダが作れるようになります
・おしゃれにするルールはふたつ。「野菜の色を同系色でそろえること」「食材の形と大きさをそろえること」
・ねっとりしたフルーツ以外はサラダに全部向いている
<和食>
・和食の味付けはしょうゆ1:酒1:みりん1。レシピなしですべて作れます。
・焼き物2人分が各大さじ1、煮物2人分は各大さじ2が目安
・食材から旨味が出るから、だし汁も必要ない
<スープ>
・その日に目についたもの何でも
・いりこは、だしパックよりも簡単
・ミネストローネとクラムチャウダーは困ったときの簡単料理
<調味料>
・最小限「ポン酢」「オイスターソース」「塩麴」「トマトケチャップ」は持つ
・白ワインを使うとそれだけでおしゃれ料理
<揚げ物>
・揚げ物をハードル低くしたいなら、温度計を買う。じつは揚げ物は手抜き料理
・コロッケは色を付けるだけでいいので適当に揚げていい


などなど、なかなか目から鱗な記述が連発。ただ、この本の価値は「実際に、作れるようになるのか?」ということ。料理を作れていないので、評価はできないが、面白いのは間違いない。

【読了】ジャン・ハッツフェルド「隣人が殺人者に変わる時 和解への道」

今年139冊目読了。ルワンダ内紛の生存者と殺人者が、再び著者のインタビューを受け、双方の声に耳を傾けていく一冊。


これはシリーズものなので「生存者たちの証言→加害者編→和解への道」と読み進めるのが正解だな。


殺人者たちは、刑務所で「『君たちの罪深い配偶者に対して、心の平静を保ちなさい』『隣人や心に傷を負った人々との争いを避けなさい』『当局に対しては従順でありなさい』『まずは雑草のはびこる畑をきれいにしなさい』」という教訓を叩き込まれ、町に出てくる。


生存者たちからすると「フツが嘘をついていれば聴きづらいし、真実を話していても同じように聴くのがつらい」「私たちは心を開いて失敗するよりも、心を閉ざしているほうがいい。悲しみは口にせず、怒りは隠しておくのが一番」「私たちが彼らとコミュニケーションをとればとるほど、彼らは自分たちがどんなに良い人なのかを話すようになり、私たちは何故か安心してホッとしてしまいます。でも、それで私たちの怒りは鎮まっても、そう、怒り以外の不信感や疑惑はそのままなのです」というのはよくわかる。


他方、殺人者たちからみると「真実を話してツチを納得させることは不可能だ。詳しく全てを語ったところで、納得しない。深刻過ぎる事実は受け入れられないんだ。親戚をどのように殺したかを言おうとすれば、生存者は怒り出す。そして、話をはぐらかそうとすれば、怒ったのと同じだけ疑いを持つんだ」「俺たちが切り殺した数を競い合っていたことや、ツチが激しい苦痛の中で死んでいったことを物笑いの種にしていたことなど、そんな気晴らしを話すことなんてできない。だから俺たちは、話すことにフィルターをかけざるを得ないんだ」というのも、まぁそうなんだろうな・・・共感はできないけど。


そして、アフリカ独特の難しさも横たわっている。「白人たちは厳格で、よく組織化されており、見えないところでは実に狡猾だ。アフリカ人は大地に種を蒔き、育つものに満足する。白人は、その種の下を掘って、ダイヤモンドやリン酸塩のようなものを奪う。そして、ほんのすこしだけ、教程を持ち出すのだ」「誰がアフリカ人を自滅させてしまうかというと、一番はっきりしているのは欧米帰りのアフリカ人たちだ。彼らは間近に民主主義を見て、発展のための狡猾なトリックをすべて知っている。つまり、彼らは貯蓄をし、シックな装いになり、エレガントに会話をするようになる。そして帰国してからアフリカ人一人一人の中に潜む嫉妬をかき立てようと企むのだ。今後の利益を考えてね」「白人はアフリカの貧困や失望、無知について話しますが、真の問題は貪欲なのです。フツは何よりも、国を自分のものにしたり、ツチの土地を手に入れたり、あるいはツチの牛を食べるという欲望でやる気になったのです」あたりは、外から見てもわからない世界だ。


政府は、もちろんこの状況に介入しているものの、「ここには人のための正義はありません。国家組織のための正義しかないのです」「自分は生存者たちに赦されていない。赦したのは、国だけだ」「和解は政府の政策です。私たちは、人生の辛苦から身を守るために、それを忘れ、従い、受け入れるのです」という本音に触れると、その難しさを痛感させられる。


では、どうすれば和解ができるのか。「次の世代が自分たちよりうまく和解するだろうとは、信じていません。子どもたちは自分の身に起こったことや家族が話していることで、大きく傷つけられているからです。おそらく和解ができるのは、ジェノサイドの生き残りがすべていなくなってからのことです」「和解は信頼を分かち合うことだ。和解政策、それは不信感の公平な分配でしかない」あたりを見ても、その道のりは恐ろしく険しい。
「ある人の大切さは、眼で見て判断することはできない。その人が最後にあなたにもたらすものが失望か満足かはわからないんだ」「これ以上悩みたくない。毎日ずっと隠れるように暮らしています。出掛けていくのは、自分を理解し、冷笑されずに酒を飲んで話せる相手と会ったりするときぐらいです」という厳しい日々の中で「どうして幸せでいられるのか?理由なんてありません。ただ、自分がその日一日を穏やかに過ごすだけです」「楽しい生活ではなく、意味のある生活を送ることが、自分の傷を彼らに見せない力になっています」のあたりが鍵になるように感じる。


生きるということ、赦すということ。人間性の喪失の恐ろしいまでの仕業に、その後のことを考えるに至り、本当に複雑な思いしか残らないが、知るべきことであるのは間違いない。とんでもなく重たい気持ちになるが、読むべきシリーズものだ。

【読了】ジャン・ハッツフェルド「隣人が殺人者に変わる時 加害者編」

今年138冊目読了。こちらはルワンダ内紛で加害者となった10人にインタビューをした衝撃の内容。


生存者編では恐怖を覚えたが、こちらには半端ない憤りを感じる。そして、人はそんなに身勝手になれるのか、という戦慄も覚える。


最初の頃の殺人について「殺される人の目というものは、じっと見つめられていたら、殺す側にとっちゃ不幸そのものだ。その目は自分を殺す人を責めているんだ」「苦しむこともなく、すべてが順調に進んだ。ただ、初めての時、死というものは何と速く、殴るということはなんと穏やかなのだと驚いた」「音もなく子どもたちが倒れるのを見るのは、不思議な感じがした。それは愉快なほど簡単だった」「最初の殺人は、正確に覚えている。他の人に関しては曖昧だ。記憶にない。殺した時には、重大なことだなんて思ってもいなかった」と振り返るのには憤りを感じるが、それが麻痺していくのは更に恐ろしい。
だんだんと「殺しをやりやすかった意外な理由がある。攻撃する前から、多くのツチは殺されることにひどくびびっていた。おかげで、攻撃するのは簡単だった。威勢が良く活発なヤギより、震えて鳴くヤギを殺すほうがそそられる。そういうものだよ」「抗えない状況に流されているんだと感じたり、殺人が完全に遂行され、何も自分に困った結果は起こらないと思えば、落ち着き、安心し、それ以上心配せずに殺人に手を染める」「殺しを重ねるうちに、卑しい会話が多くなり、また心も欲深くなっていった。ついには話題にのぼるのは略奪物の分配のことだけになった」「服従することを止め、貧困からも解放されたわがままを存分に堪能し、新たな力と横暴さで強くなったような気になっていた。しかしその欲望こそが、私たちを堕落させたんだ」と、人間性を失っていく様は、本当に狂気の沙汰としか言いようがないが、これもまた人間の一面と思うと、暗澹たる気持ちだ。


「殺人者はひたすら自分を守る。彼は自分にのしかかる罰に恐れを感じているからである」という筆者の弁をまつまでもなく、彼らの自己弁護は酷い。「その殺人者は確かに僕だったし、犯した罪や流した血も僕によるものだった。でもそこでみせた残忍さは、僕の知らないものだった」「もしツチに親切心を見せてしまえば、いくら地位が高かったり、運が良くても、死を逃れることはできなかったと思う。僕にとって、ツチに対する親切な言葉は、当局に対する不正な行動よりも致命的だった」「仲の良い奴を見逃したとしても、後からやってきた他の奴が殺しただろう。何があろうと、救うことなんて決して出来なかったんだ」などは、身勝手な後付け理論にしか聞こえない。


そして、麻痺は加速していく。「虐殺の間、男女の関係が崩れることはなかった。男たちは殺しに出かけ、女たちは盗みに出かけた。女たちは略奪品を売り、男たちは酒を飲んだ。ちょうど農業をするのと同じようなもの」「人を殺しすぎたばっかりに、より残酷になっていく奴がいた。奴らにとって人を殺すことは愉快なことになった」など、もはや人間の思考とは思えない。
こんな中、敬虔なキリスト教信者だったことは、殺戮者に何ももたらさない。「殺戮の間、私は神に祈らなかった。御前で祈ることはできなかった。それは自然な気持ちの流れだった。だが、夜突然恐怖が襲ってきた時、もし私がその日あまりに多くの殺戮をしてしまっていたなら、一人の人間として、どうかたとえわずかの間でも私を止めて下さいと、神に願った」「沼地では、敬虔なクリスチャンが獰猛な殺人者に変身した。そしてとても獰猛な殺人者は、刑務所ではとても敬虔なクリスチャンに変わった」「我々はツチを人間として、あるいは神の創造物として見ていなかった。この世界をあるがままに見ることをやめてしまっていた」「暮らしが豊かになったと感じていたので、これ以上沼地で働くことには、もう嫌気がさしていた。不平を言わせていたのは、鍬を持って畑に戻りたいという気持ちではなく、むしろ倦怠感だった」「僕たちはブルーヘルメット(国連平和維持軍)に咎められることなく虐殺を遂行できると確信した」「脅迫者たちの大げさな言葉や仲間の楽しそうな叫び声が飛び交う喧騒の中で過ごしていると、ジェノサイドはごく普通の行動のように思えた」


筆者は、殺戮者たちが向き合わない姿勢を糾弾する。「殺人者たちは自分を語ることで打ちのめされることは決してなかった。彼らの記憶は時と共に、その醜さのゆえに都合よく変わるかもしれない。犠牲者たちが語ったトラウマや心の壁のようなものは何もなかった」


彼らの自己中な主張も酷い。「とにかく、怒りの眼から隠れるのはもういやだ。汚れていても自分自身の生活がしたい」「あんな殺人を犯し、そして見た悪夢を、もうくりかえしたくない。私はもっと普通の人間になりたい」など、どの口が言うんだ!?と思ってしまう。
…しかし。そう断じては、何も変わらない。「生存者と殺人者は赦しや容赦について同じ理解を示さず、そのことが赦しを不可能にさせている」「殺人者たちは、まるでそれが簡単な手続きでらうかのように赦しを求めている。そして相手の苦痛を無視する態度が犠牲者たちの痛みを増幅していることがわかっていない」。その究極のポイントとして「殺人者たちは、真実と誠意と赦しが一体となっていることがわかっていない。彼らにとって、多かれ少なかれ真実を述べることは自分の不法行為や刑罰や罪を多少なりとも小さくさせる楽な策略である。赦しを求めることは彼ら自身の将来に投資する利己的な行動にすぎない」という過酷な事実が横たわっている。


でも、「今も垣間見えている男たちの個性の中で最も印象的なところ、それは物静かな孤立といった自己中心主義以外に何ものでもない」「殺人者たちは自らの運命だけに悩み、自分以外の誰にも同情することがない。彼らは犠牲者のことを思いはするが、それは後々のことである。彼らは本能的に自分たち自身が個人として失ったものや苦労の数々を長々と話す」という状況の中で、どう未来に向き合えばよいのか。筆者の「ジェノサイドは戦争よりも悲惨。なぜなら、たとえその試みが成功しなかったとしても、その意思は消えることなく永遠に存続するから」という指摘が重くのしかかる。


そして、この本でメインには述べられていないが「外国人は、自分が信じることができないものを見ようとはしません。そして彼らはジェノサイドが信じられなかった。それがあらゆる人々を圧倒する殺戮だったからです」という点も重い。国連、そして世界って何だ?という疑念を覚えずにはいられない。

【読了】ジャン・ハッツフェルド「隣人が殺人者に変わる時 生存者たちの証言」

今年137冊目読了。ルワンダ内紛で生き残った人々14人にインタビューをした衝撃の記録。


ルワンダ紛争末期に起こったおぞましいジェノサイド。もともと国民の84%がフツ、15%がツチ、1%がツワで構成されていたルワンダは、フランスが支援するフツ系政権と、ツチ難民からなるルワンダ愛国戦線との紛争だった。1994年4月のハビャリマナ大統領の飛行機撃墜事件が、過激派フツによる穏健派ツチへの大虐殺の引き金となってしまった。


大虐殺とは何か。「ジェノサイドは人間によって考え出された非人間的で狂気に満ちた計画であり、しかも非常に秩序だっているが故に、誰もが予想しえないプロジェクト」「戦争は知性と愚かさが原因であり、ジェノサイドは知性の喪失が原因」「ジェノサイドの原因は、一つ目は貧困と生活の必要性、二つ目は無知、三つ目は影響力のある人々と容易に影響される人々」「ジェノサイドは、二、三の根っこから成長した毒牙ではない。誰も気づかないうちに、土の中で腐って絡み合った根全体から成長したもの」という生存者たちの指摘は重い。


虐殺の中身はあまりにも惨酷すぎて、読んでもらうことを薦めたいが、「湿地では、重傷を負った者を見捨てることが、生き残るためのルール」「人間である私たちにとって生きたいという意志は、恐ろしいほどの根源的な欲求」「殺戮者たちが略奪や酒で馬鹿になったことが、私たちの命を救った」という過酷さは本当に胸が詰まる。


そして、未来に向けても「記憶は時間と共に変化する。しかし自分自身が体験した恐怖の瞬間はすべて、まるでたった今更起こった出来事のように覚えている」「自分たち生き残りは、この地球上のだれひとり信用できないのだ」「どこの誰が、私に優しさをくれるというのでしょう」「自分たちがジェノサイド以前と同じ人間であることが、まだ信じられない。ある面そうしないと、私たちは前を向くことができない」という影は拭い去れない。それは、生存者たちが「人間というものは一瞬にして、言い尽くせないほど残忍になり得る動物」「邪悪の根源に、彼らの貪欲さと冷酷さがあることだけは確かだ」ということに直面してしまったからだろう。


訳者の「生存者にとっての大きなショックは、親しくもあったフツの人々が、使い慣れた農具を持った殺人者に変わったことであった。したも、いつのまにか殺し方が、残忍でかつ大きな苦痛を与えるものへと変化していった点である」「殺しをゲームのように考えてしまっている。残忍よりさらに非人間的」「殺戮を始めた集団は、いつの間にか自己防衛という大義名分も忘れて、残虐性をとめどなく増し、非人間化していった」が、その恐ろしさを増大させる。


ナチスドイツの暴走・虐殺は決して過去のことではない。それをまざまざと見せつけられる。厳しいが、読むべき本だ。

【読了】仲山進也「組織にいながら、自由に働く。」

今年136冊目読了。楽天大学学長、仲山考材株式会社代表取締役の筆者が、仕事の不安が「夢中」に変わる加減乗除の法則を提唱する一札。


筆者は、働き方のステージを加減乗除で説明。
加:できることを増やす、苦手なことをやる、量稽古。仕事の報酬は仕事
減:好みでない作業を減らし、強みに集中する。仕事の報酬は強み
乗:磨き上げた強みに、別の強みを掛け合わせる。仕事の報酬は仲間
除:一つの作業をしていると複数の仕事が同時に進むようになる。仕事の報酬は自由


加の段階で意識すべきことは「できることを増やす。ただ、あくまで、自分の凸と凹をハッキリさせるためのベースづくりとしてチャレンジする」「苦手な仕事は、好みの作業に置き換える腕を磨くチャンスなので、喜ぼう」「①楽しい②社会的意義③成長可能性、というポジティブな仕事の動機を揃えるため、お客さんからのありがとうを大事にする」「流れをよくするため、『今ここ』を夢中で過ごす」。


減の段階で意識すべきことは「①やりたい(プロセス目的的)②得意(強み)③喜ばれる(利他的価値)のひとつでも欠ける仕事は捨てていく」「変化することのリスクより『変化しないことのリスク』を重く見る」「レールから外れたからこそチャレンジできる仕事というのが必ず転がっている」「社内で出世できなくても、社外で『世に出る』ことはできる」「お金にならないけどワクワクする仕事を2割やる」。


乗の段階で意識すべきことは「強み同士を掛け算するために①メインの軸で突き抜ける②突き抜けてからほかの軸を広げるとシナジーが生まれる」「流れに乗るため①夢中ゾーンのキープを目指しつつ、違和感を見逃さない②ふだんから口頭やSNSなどで『好みの情報』を発信しておく③信頼する人からの頼まれごとは『ハイ』か『イエス』で答える④趣味の分野にしがみつこうとしない⑤流れの『意味』を考える⑥迷ったら、正しい方よりワクワクするほうを選ぶ⑦収支を合わせる(やった甲斐があると思える状態にする)」「『文化をつくる』を仕事にしている、と考える。ピンとこなくても考え続ける」「共創するなら、愚者と思われても自然体でいる」「意見が異なったら『自分も正しい、相手も正しい、全員正しい』と唱え、見えているものや価値基準を『あきらめないですり合わせる』」「自分たちだけでやり切れないプロジェクトは、お客さんとチームになるチャンスにする」


除の段階で意識すべきことは「分けられないことは、分けられない(わからない)ままで楽しむ」「人を、あえて気づかれないようにアシストすることで自身をつけさせ、その後の人生で困難に遭遇しても乗り越えられるようにする(ありがとうと言われて喜んでいるうちは二流)」。


このほかにも、仕事をしていくうえで「『楽』とは各種コストを最小化すること、『楽しい』はたくさんコストをかけた上でそれ以上のメリットを享受すること」「仕事でモヤモヤを感じるときは、不安か退屈になっている」「仕事=作業×意味」「お金の代わりに使えるリソースは『時間』『手間』『思考』『気遣い』」のあたりの心構えは大事だと感じる。
そして「自分で決めないと、何も始まらない」「子どもが憧れる、夢中で仕事をする大人を増やしたい」のあたりはとても共感できる。


筆者の経験が自慢めいていて鼻につくことを我慢できれば、非常に読みやすくて面白い本。

【読了】村上春樹「ノルウェイの森(上下)」

今年134・135冊目読了。超ベストセラー作家の、超ベストセラー長編小説。


学生の頃、筆者が住んでいた学生寮に住んでいた。この小説にも学生寮が出てくるので、確かに読んだ。「この寮の唯一の問題点はその根本的なうさん臭さにあった。寮はあるきわめて右翼的な人物を中心とする正体不明の財団法人によって運営されており、その運営方針は-もちろん僕の目から見ればということだが-かなり奇妙に歪んだものだった」という寮だった(笑)。それにしても、恐ろしいほど中身を忘れていた…悩みつつもなんだかんだでモテている主人公に、非モテ学生としては嫉妬して、感情的に受け付けなかったんだろうな。


人間の哀しい性を感じさせるのは「結局のところ-と僕は思う-文章という不完全な容器に盛ることができるのは不完全な記憶や不完全な想いでしかないのだ」「孤独が好きな人間なんていないさ。無理に友達を作らないだけだよ。そんなことしたってがっかりするだけだもの」「怖いのは感情が出せなくなったときよ。そうするとね、感情が体の中にたまってだんだん固くなっていくの。いろんな感情が固まって、体の中で死んでいくの。そうなるともう大変ね」「私たちがまともな点は、自分たちがまともじゃないってわかっていることよね」といった記述。


人間の囚われに気づかせてくれるのは「いつも自分を変えよう、向上させようとして、それが上手くいかなくて苛々したり悲しんだりしていたの。とても立派なものや美しいものを持っていたのに、最後まで自分に自信が持てなくて、あれもしなくちゃ、ここも変えなくちゃなんてそんなことばかり考えていたのよ」「私たちの問題点のひとつはその歪みを認めて受け入れることができないというところにあるのだ。人間一人ひとりが歩き方にくせがあるように、感じ方や考え方や物の見方にもくせはあるし、それはなおそうと思っても急ななおるものではないし、無理になおそうとすると他のところがおかしくなってしまう」「自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」など。


あぁ、これは核心を突いているなぁ、と感じるのは「死は生の対極なんかではない。死は僕という存在の中に本来的に既に含まれているのだし、その事実はどれだけ努力しても忘れ去ることのできるものではないのだ」「世の中というのは原理的に不公平なものなんだよ。はじめからそうなってるんだ」「どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ」のあたり。


救いになる言葉たちは「物事が手に負えないくらい入りくんで絡みあっていても絶望的な気持ちになったり、短気を起こして無理にひっぱったりしちゃ駄目なのよ。時間をかけてやるつもりで、ひとつひとつゆっくりとほぐしていかなきゃいけないのよ。」「何もかもそんなに深刻に考えないようにしなさい。私たちは不完全な世界に住んでいる不完全な人間なのです」のあたり。


(ネタバレ風になるが)ラストがまた強力。「僕は今どこにいるのだ?でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつかなかった。いったいここはどこなんだ?僕の目にうつるのはいずこへともなく歩きすぎていく無数の人々の姿だけだった」は、2021年、アラフィフになってもなお、共感できる。これは凄い名作だ(←今更)。

【読了】村上春樹「ノルウェイの森(上下)」

今年134・135冊目読了。超ベストセラー作家の、超ベストセラー長編小説。


学生の頃、筆者が住んでいた学生寮に住んでいた。この小説にも学生寮が出てくるので、確かに読んだ。「この寮の唯一の問題点はその根本的なうさん臭さにあった。寮はあるきわめて右翼的な人物を中心とする正体不明の財団法人によって運営されており、その運営方針は-もちろん僕の目から見ればということだが-かなり奇妙に歪んだものだった」という寮だった(笑)。それにしても、恐ろしいほど中身を忘れていた…悩みつつもなんだかんだでモテている主人公に、非モテ学生としては嫉妬して、感情的に受け付けなかったんだろうな。


人間の哀しい性を感じさせるのは「結局のところ-と僕は思う-文章という不完全な容器に盛ることができるのは不完全な記憶や不完全な想いでしかないのだ」「孤独が好きな人間なんていないさ。無理に友達を作らないだけだよ。そんなことしたってがっかりするだけだもの」「怖いのは感情が出せなくなったときよ。そうするとね、感情が体の中にたまってだんだん固くなっていくの。いろんな感情が固まって、体の中で死んでいくの。そうなるともう大変ね」「私たちがまともな点は、自分たちがまともじゃないってわかっていることよね」といった記述。


人間の囚われに気づかせてくれるのは「いつも自分を変えよう、向上させようとして、それが上手くいかなくて苛々したり悲しんだりしていたの。とても立派なものや美しいものを持っていたのに、最後まで自分に自信が持てなくて、あれもしなくちゃ、ここも変えなくちゃなんてそんなことばかり考えていたのよ」「私たちの問題点のひとつはその歪みを認めて受け入れることができないというところにあるのだ。人間一人ひとりが歩き方にくせがあるように、感じ方や考え方や物の見方にもくせはあるし、それはなおそうと思っても急ななおるものではないし、無理になおそうとすると他のところがおかしくなってしまう」「自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」など。


あぁ、これは核心を突いているなぁ、と感じるのは「死は生の対極なんかではない。死は僕という存在の中に本来的に既に含まれているのだし、その事実はどれだけ努力しても忘れ去ることのできるものではないのだ」「世の中というのは原理的に不公平なものなんだよ。はじめからそうなってるんだ」「どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ」のあたり。


救いになる言葉たちは「物事が手に負えないくらい入りくんで絡みあっていても絶望的な気持ちになったり、短気を起こして無理にひっぱったりしちゃ駄目なのよ。時間をかけてやるつもりで、ひとつひとつゆっくりとほぐしていかなきゃいけないのよ。」「何もかもそんなに深刻に考えないようにしなさい。私たちは不完全な世界に住んでいる不完全な人間なのです」のあたり。


(ネタバレ風になるが)ラストがまた強力。「僕は今どこにいるのだ?でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつかなかった。いったいここはどこなんだ?僕の目にうつるのはいずこへともなく歩きすぎていく無数の人々の姿だけだった」は、2021年、アラフィフになってもなお、共感できる。これは凄い名作だ(←今更)。