世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】小倉ヒラク「僕たちは伝統とどう生きるか」

今年67冊目読了。発酵デザイナーの筆者が、自らの経験をもとに伝統との向き合い方を考察する一冊。

新聞の推薦図書にあったので読んでみたら、なかなか深い内容で、圧倒された。

筆者は、伝統が危機に瀕していることに対して「原料がない、つくる人がいない、資源や設備がない。食のこと、ものづくりのこと、地方のこと。社会全体で、僕たちひとりひとりで長い間軽視してきた結果が出てしまった」「みんなで伝統『ではない』ものを選んできたんだから、なくなっていくのは必然ではないか。この状況を引き起こしたのは、環境問題でも人口問題でもなく、僕たち自身の意志による『選択』の結果ではないのか」と警鐘を鳴らす。
そのうえで「日本各地には素晴らしい伝統が残っている。それを活かした、より良い未来の社会をつくっていきたい」とし「『日本スゴイ!』と肥大化した自分を誇示する伝統ではなく、自分たちを取り巻く困難や、弱さからこそ生まれる伝統。それこそが日本で生きる僕たちの未来を照らすものなのだ」と主張する。

筆者は、伝統という言葉の使い方にも言及。「小さな共同体で共有されていたプライベートな事象を、国家というパブリックなものに仕立て上げるのが伝統を生み出す原理ではないか。この原理を国民国家に適用した悪い例が、ナチス・ドイツや大日本帝国だった」「伝統はときに壮大な目くらましとして機能する。一部の権力のために、ある民族全てを根絶し、ある民族がいた空間を塵にし、ある民族がいた記憶を抹消する。生身の人間による行為に満ちた『あいま』が消えたとき、人と人とはとなり合うことをやめ、暴力に向かい合わせられ、伝統の名目のもとに、誰かの伝統を根絶やしにしようと争い始める」と警鐘を鳴らす。
さらに掘り下げた「『〇〇すべき』という伝統は往々にして政治的な言葉やイデオロギーの姿であらわれて、人々の言動を強制する」「それに抵抗するのは、『つくる』ことによる伝承。言葉を封じられても身体による行為を介して未来に『手』で渡す伝統だ」のあたりは頷かされる。
伝統という言葉のニ軸性についての「言葉(とりわけ文字)による伝統は伝達のブレが少なく、不特定多数の人に共有しやすくなるが、共有人数が大規模になったときの権威化も起きやすい。いっぽう、つくることによる継承は普遍性の真逆、個別特殊性から逃れられない。しかしその再現性の低さこそが、成熟した個人による社会において価値を生むのだ」という分析は非常に鋭いと感じる。

ユニークさについての言及「暮らしのニーズに応えていった結果として、その土地なりのユニークさがあらわれる。このユニークさは『他と違うものを作ってやろう』という自己表現ではなく、厳しい環境のなかで少しでも心地よく暮らしたい、という願いから生じるユニークさ」「人の創造性が『さまざま』だからユニークになるのではない。世界そのものが『さまざま』なのでおのずとユニークになるのだ」は興味深い。確かに、人間の営為はだいたい似たようなものになるからなぁ。

筆者は、日本の伝統について「元気をなくしているように見える日本に生きる僕たちに必要な伝統とは、変わるための伝統。生き延びるために使い倒す伝統。伝承する手や感性に、無限のインスピレーションが湧いてくる伝統。つくることで、シェアすることで無限に変化し、エネルギーを引き起こす伝統だ」「環境と自分とを区別しない日本のものづくりの真髄は、風土そのものと化した人の手に宿っている」と見解を述べる。
そのうえで、日本人の特性と、今後の可能性については「日本人は、自分の中に揺るがない理想を持つことができず、自分と隣人の『あいだ』にみずからのアイデンティティを置く。だからこそ他人の振る舞いが過剰に気になり、他人に対しての申し訳なさにとらわれる」「日本の特殊な風土に生まれてなお、ひらかれた普遍を生きるための鍵は、『すなわち自然にとなり合って人間が生きていくその生き方』にある」と、独自の視点を展開する。

では、どうすればよいのか。筆者は「つくることをおろそかにすること、風土や歴史を忘れること。それに対して何ができるかは、1つは買い支えること。もうひとつは、つくることで、今からすぐに、無理なく自分のできる範囲で担い手になること」「どう考えるかではなく、どうあるのか。理解ではなく、了解して引き受けること。絶対の答えを探すのではなく、自分の生がひとつの答えであると信じること」と提言する。

上記以外にも、伝統について「伝統はもともと過去と現代が入り混じりながら変容していくものだった」「先入観によって違う時代の出来事に違和感を抱いた瞬間ーそれこそ過去に『語りかけられる』ということであり、伝統の価値が最も輝く瞬間」「伝統が宿るのは人そのものにではない。人と人とが何かを受け渡す、その『あいま=空間』に宿る」とみる記述は納得性が高い。その観点はなかったな、と脱帽。

その他、なるほどと感じたのは「どんな賢人であっても、個人の意思や見通しだけを頼りにこの巨大な世界を管理することはできない。だから伝統という異なるバックグラウンドをもつ複数の人々によるコミュニケーションの中で、おのずから発生してくる秩序を導きとしたほうが結果的に良い」という記述。

新書ながら、何気なく読むレベルの本ではない、ということを痛感。これは勉強になった。

【読了】稲田豊史「本を読めなくなった人たち」

今年68冊目読了。ノンフィクションライターの筆者が、コスパとテキストメディアをめぐる現在形を考察する一冊。

新書だが、充実の内容。そして、読書好きの端くれとしては、非常に心が重くなる内容だ・・・

筆者は「令和に入り、日本は文章を読まない不読社会ならぬ、文章を読むことが合理的でないとされる『非読社会』とでも呼ぶべき様相を呈し始めた」と問題提起。
令和における現状を「現代の学生のニュースソースは、ほとんどがLINEもしくはX(旧Twitter)、あるいはその両方」「情報は点で取る。面では取らない。情報は受動的に取る。能動的には取らない。これは、体系的な知を能動的に解釈しようとするタイプの読書に求められる態度とは、非常に相性が悪い」「インターネット上では、脊髄反射的に『秒』で理解できることしか関心を払われない」と分析する。

ウェブ時代においては「ウェブの記事は、一般的なビッグニュースを報じるものを除けば、『他人の不幸』『エロ』『マンガ』『クイズ』しかPVを取れない」「単にPVを取るだけなら関心を引けばいい。しかし、あからさまな釣り見出しや、あえて批判や非難を誘う内容で炎上を狙う従来の方法には、もう耐用年数が来ている。そこで編み出された方法が、ファンダム(熱心なファンが形成するコミュニティや文化)に狙い撃ちして『媚びる』こと」と指摘。
その状況での読書について「読書はコスパが悪い。『ながら』ができないから」「たいていの調べごとはネットで事足りるから読書がことさら大事だとは思えない」というのはリアルなんだろうな…

筆者は、デジタル時代の思考について「デジタル環境下では、熟読することもなく、また深い思考もなく『いいね』や『リポスト』を瞬時にタップしたり、反射的・感覚的・瞬発的に短いメッセージを送りあったりといったコミュニケーション機会が増大する。すると頭がそのモードに固定されてしまい、集中して深く思考しなければ理解できない長文が読めなくなる」「長いものが読めないのは、昨日今日始まったことではない。分厚い本を読むのが苦手という人は、どの時代にも世代を問わずいた。ただ2010年以降の現代人が、スマホの普及を背景として短文のネット記事とSNSにどっぷり浸かったことで、その苦手度合いを加速度的に高めた」「本が読めるとか読みたいとかいう以前に、何を読んだらいいかわからないという若者は確かにいる」と考察。
情報が溢れかえる中で「現在、インドア娯楽の二大巨頭といえば、ゲームと動画」「世の中の多くの人は、何かについてじっくり思考するだけの時間的余裕がない、それが現実」「切り抜き動画を大量に見ることである程度満足し、本編を一切見ないユーザーは少なくない。暇つぶしとしては、それで充分」となると「普段から本を読まない大学生が『珍しく読んだ』本の傾向は、ひとつが『実利的な目的を達成させてくれる本』。もう一つが『映画化、ドラマ化やアニメ化など、比較的大規模に映像化された作品の原作小説』」という現状も、宜なるかな…

書店の現状についても「書店の魅力とは、そこに並べられた知の網羅性、広範性にある。そもそも書籍という商品最大の特徴が『少量多品種』」なのだが「選択肢の多さは苦痛。物心ついた頃から多すぎる情報、多すぎる選択肢に囲まれて息が詰まっているSNSネイティブとしては自然な感覚」「書店が減っている理由でもっとも大きいのは、雑誌が売れなくなったこと。雑誌で得られる情報の大半がインターネットで、かつ無料で得られるようになったからだ」と、暗くなる分析しかない。現状、そうだしな…

そもそも、読書が現状「相応のコストをかけられるのも、セレンディピティの価値を味わえるのも、精神的余裕のある生活者に限られる」「紙の本を買うという行為は、『富裕層向け化』の道を着実に歩んでいる」という状況なのは理解する。
そして、そのままいくと「紙の本は、書き手に本の売上以上の利益をもたらす強力な資産として機能するばかりか、社会的な権威を備え、ある種のひとたちにとっての自己実現ニーズを満たしながら市場を形成する」「いずれ紙の本を読むという行為は、特権性と階級意識を孕んだ、選ばれし者たちの古き良き嗜みとなる。これからの紙の本は、そういう人のお眼鏡にかなう本しか買われないし、読まれないし、残らない」となる、という筆者の推論は正しいと感じるが、あまりにも悲しすぎる…

やっぱり活字派の自分としては「紙の書物がいいのは、『閉じている』ことだ。ネットにつながっていないスタンドアローン。独立的、排他的、自律的に、知と向き合える。外野からやいのやいの言われることなく、一切の横槍がはいらない状態で知に取り組める」「活字の本を紙で買うか電子で買うかのひとつの基準は、対象への愛の深さによるというよりは、嗜好物に対する愛着行為として本を読む(紙)か、情報の取得源として本を読む(電子)か」には強く共感するのだが…現実は厳しい。

本当に考えさせられる一冊。そのほかにも「ネット上の無料テキストは、質が担保されていないばかりか、いつ消えてしまうかわからない」「楽を重視したスタンスは、発信者に付け入る隙を与え、発信者の意のままに感情を操られる危険性がある」「長い文章を読み通し、理解できるのは、決して当たり前の能力ではない。むしろ特殊能力」のあたりの記述は重い。時代の変化といえばそれまで、なのだが…

【読了】三宅香帆「考察する若者たち」

今年66冊目読了。京都市立芸術大学非常勤講師にして文芸評論家の筆者が、昭和・平成の「批評」から令和は「考察」に変化していることを掘り下げる一冊。

筆者の著書はどれもアタリであり、現代の若者の心理・行動を学ぶために読んでみたら、やはり気づきが多かった。

前提として、筆者は「いまの若い世代が、つい自分の行動にも、求められる、意味のある、正しそうな『最適解』を求めてしまう」と指摘。

考察ドラマのプロセスを「①作者が、作品に謎とヒントを仕掛ける②視聴者はヒントを見つけ、謎解きの材料にして、シェアする③作品内で、謎解きが行われる」とし、「昨今の『考察』文化で面白いのは、決してミステリジャンルにカテゴライズされないであろう作品すら、SNS上で『考察』が盛り上がるところ」と分析し、「考察:『正解』がある=報われるゴールがある」「批評:『正解』がない=報われるゴールがない」と指摘する。
また、「萌え:好き(瞬間的)」に対し、「推し:好き+行動する対象(継続的)」だとして「『推し』は、自分と対象の『理想』が重なっている、と信じられるときに生まれる」も、非常に面白い。

さらに、「『転生』では『開始で得るスペックが有利なものなら、報われる』という前提に立ち、「『ループ』では『過程で選ぶオプションを間違えなければ、報われる』という前提に立つ」とし「転生ものの物語の流行は、『違うスペックに生まれてきたかった』というガチャ的な欲望をもつ人々に支えられているのではないか」と考察する。
そのほかにも「SNSは『フォロワー』や『いいね』の数が見えやすい=投稿の『報われポイント』がある」「掲示板は『フォロワー』や『いいね』の数が見えない=投稿の『報われポイント』がない」の指摘はなるほど納得だ。

なぜ、このようなことになったのか。筆者は「報われたい。それこそが、令和のヒットコンテンツに共通する感情」「令和のヒットコンテンツは、すべてインターネットのプラットフォームアルゴリズムのなかで生まれたもの」と、その原因に斬り込む。
そのうえで「情報プラットフォームのアルゴリズムこそが、私たちの『感情の満足だけじゃなくて、ゴールで報われるという満足もほしい』という欲求を高めている」「私たちはプラットフォームのなかで、どんどん自分らしさを消して『正解に近い最適解』を出すことを求められている」「プラットフォームは人びとを過激にするのではなく、もともと過激な物語を欲している人びとに対して報酬としての情報を与えているだけ。過激な情報は彼らにとって『報われポイント』なのだ」と分析。
結果として、若者たちの思考・行動が変容し「行動の報酬、つまり『報われポイント』が見えていたほうが安心して行動に移せる。実体験に対して報われ度が見えるものに、若者の手は伸びる」「考察文化とAIは、とても相性が良い。なぜなら問いを発すると自分が納得できる『正解』を提示してくれる」「考察=語り手の個性は必要ない、批評=語り手の個性が必要」「オンリーワンであることなんて、自分らしさなんて、生きづらくなるくらいなら、むしろないほうがいい。生きづらくないほうが、絶対に、いい。独自性よりもラベリングのほうがずっと欲しい」となった、と洞察する。

しかし、筆者はその状況を危惧し「アルゴリズムに評価されない、数値に変換されない、そういう自分の欲望や解釈や好きなものこそ、自分自身の固有性を教えてくれる」「最適ではないかもしれない。正解ではないかもしれない。しかし自分が解きたい問いを見つけると、世界は暇じゃなくなって、楽しくなる」「やりたいことに向かっても、基本的にやりたいことはやれないことが多い。やりたいことなんか、ないほうがきっと失敗は少ない。それでも、自分の感情や欲望は抑圧しすぎないほうが、人生は楽しい。報われなくても、後悔が増えたとしても」「自分が解きたい謎を探すことは、誰かのつくった謎を解くことよりもずっと時間がかかる。おすすめされない欲望は、見つけるまで時間がかかる。おすすめされた欲望のほうが、すぐ手に入る。でも、大切なことはたいてい、時間がかかる」と訴える。
筆者は、報われ最適化から抜け出すコツとして「①本や雑誌を読む②キャラじゃないことをやってみる③一人で夜更かししてみる④感動をじっくりと言葉にしてみる⑤他人に簡単に憧れてみる」と提言する。

その他、なるほどなぁと感じたのは「界隈=フラット、正しさがない。親子=ヒエラルキー、正しさがある」「感動や感情は具体的な形のあるものとして残らないけれど、写真はデータとして残る」「仕事に求めるものが『やりがい』から『成長』『安定』に変化しているのは、『報われやすい』から」のあたり。

平易な新書ながら、中身は非常に重厚。ぜひ、一読をお薦めしたい。

【読了】樋口耕太郎「人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である

今年65冊目読了。野村證券から、サンマリーナホテルを取得し、愛を経営理念とする独特の手法で再生。現在は、カフーオーシャン株式会社最高執行責任者を務める筆者が、こころの資本の経済学を提唱する一冊。

もともと、筆者の「沖縄から貧困がなくならない本当の理由」を読んで、なるほどと思っているところに、朋友さんから本書を薦められて読んでみた。なるほど、重厚で読むのは大変だが、それだけの価値はある。

筆者の立つ「自分を大切にするからこそ、本当の意味で人を喜ばせることができる」というところは、本当にその通りだなぁと共感する。

筆者は、サンマリーナホテル再建の経験から「他人の『つまらない』話の中に、自分が気づいていない、とてつもなく重要なことが含まれている。そういう前提で、全精神を集中して相手の話を聴いてみる」「従業員の人生を明るくするためにもっともパワフルな方法は、従業員の関心に関心を持つことである」「すべての人間が心から望むこと、それは自分の関心に関心を払ってくれる人との繋がり」「人間の力を信じて人間に任せる。やらされ仕事でなく、自分を活かす働き方をするとき、人間は人間に対して、ごく自然な形で思いやりを向けることができる」と述べる。
そして、クレームに対しても「ほとんど(ひょっとしたらすべて)のクレーム客の目的は、自分の関心に関心を示してほしいということなのだろう」との見解を示す。
そして、自らの経営経験に基づき「愛を目的にすれば、人間が息を吹き返して事業に生産性が生まれる。その生産性を形にするのは経営者の仕事だ」「愛以上に人間の心に届くものはない。自分を愛し、人の関心に関心を注ぐという働きかけが、企業価値を最大化するゆえんである」と主張する。
さらに、「自分の嘘に気づくことは、自分の意識が無意識に気づくことだ。そのための最良な方法は、オープンにすること」「勇気を持って自分という人間に向き合う姿勢が、組織の大半の問題を解決する。自分がもっとも見たくない自分こそ、もっとも直視すべきことであり、そこに事業を再生するための重要なヒントが隠されている」という主張も非常に重い。

筆者は、経済構造にも斬り込む。「消費の目的は、他人より消費することなのだ。それは、自分を優位に置く格差をつくり上げることでもある。格差を生み出す原因は私たちの心の中にある」「一番以外は、すべて敗者として運命づけられている株主資本主義経済で、99%の労働者の運命は衰退しかない。そして皮肉なことに、1%の資本家も勝者と言えるかどうかは疑わしい。勝者になるためには、利益の妨げになるものを徹底的に破壊しなければならない。人間にとって価値あるものを破壊しつくしたものが勝者と言えるだろうか?」は、確かにそのとおりであり、お金についても人間にとって、愛より価値のあるものは存在しない。ところが、ありのままの自分は不良品だから愛を手に入れることができない。そこで、自分が愛に値しないという激痛を和らげるために、お金が必要になるのだ。これが、私たちがお金に執着している本当の理由である」と洞察するのはさすが。

筆者は、自らの経験から、愛を「すべてを失った私の中に1つの感覚があった。『自分は身体ではなく、身体の中にいるいのちだ』という発見である。それは、自分の中にある愛との出会いだった」「愛に生きるということは、人間関係に学び、自分に向き合い、勇気を持って心を開き、自分の感情に出会い、体験的な気づきを重ね、自分より大きなものにすべてを委ねるという意味を含んでいる。言葉だけで理解できるようなものではないのだ」と理解する。
そのうえで「自分を無防備にさらけ出す勇気、不安な状態を受け入れる穏やかさ、自分を偽らずに他人と向き合う覚悟は、ありのままの自分への深い信頼によってもたらされる」「格好悪い自分を受け入れることができる人、劣っている部分を受け止めて建設的に生きられる人は、ありのままの自分を愛している」「幸せに手が届かないように見えるのは、幸せが隠されている場所を探そうとしないからだ。『人間の心の中』は神が考えた、とっておきの隠し場所なのだから」と述べる。

恐れと変化についても「危険な道が、ただ危険なだけの道だったら誰も迷わない。だが私たちは、危険な道を選択することが、真の自分を生きる道だということを直感的に知っているのだ」「怖れを手放して、自分の心の中から湧き上がってくる情熱に従うとき、人と社会は実存的な変容を遂げる」「あらゆる社会変化は人と人とのつながりを介して伝播していく。その起点は、徹底的に自分を生きる一人の人間なのだ」とし、人生についても「幸せの本質とは、自分はすでに幸せであるという気づきなのだ」「人生とは、自分自身についての思い込みを転換するプロセスである」と洞察する。

筆者は、しがみついているロープを手放すようなものだとし、フェーズを「小指を離す:自分(だと思っているもの)、薬指を離す:愛(だと思っているもの)、中指を離す:正しい(と思っている)こと、人差し指を離す:過去と未来、親指を離す:赦す」と例える。
そして、「人生においてもっとも価値ある出来事は、しばしば最悪の形をしてやってくる」「騙されることや裏切られることは、人智を超えた支援、贈り物である」「赦しとは、加害者にしがみつき、被害者という役割を演じている自分自身の姿に気づき、それを手放すことである。自分を知ることと赦しは深く結びついている。赦すことは、真の自分に出会うことなのだ」「赦すことは苦しみを取り除くことであり、幸せに生きるためには欠かすことができない。赦しと幸せは同じコインの表と裏である」を読むと、禍福はあざなえる縄のごとし、ではなく、必然として受け入れられるか、でしかないのかもしれない。

本当に読み応えがあった。そして、なぜこんな苦悩を抱えるのか、というのは「人間は社会的な動物として進化した結果、私たちは孤独の痛みを避けるためなら、たいがいの苦しみに耐えるようになった。人間が自殺するのも、戦争に志願するのも、命を賭けて決闘するのも、大切な人とのつながりを守り、孤独の痛みから逃れるためだったりする」に尽きるのかもしれない。

【読了】はたらく未来研究所+寺岡晟「フリーアドレスマネジメント」

今年64冊目読了。部下マネジメントとコミュニケーションの実際について、フリーアドレスという切り口から考察する一冊。

変化し続ける環境において、働き方はどうあるべきか?と思って読んでみた小冊子。「フリーアドレスマネジメントの元祖は吉田松蔭だった!」の帯コメントはさすがにどうかと思うが、中身はよくまとまっていて読みやすい。

筆者は「結局、フリーアドレスは働く環境を変えるだけにすぎない。導入したからといって、部下の仕事の進め方、意識が変わるわけではない」「これからの人材は、『自ら考えて行動する自立型』であることが求められる。働き方の裁量が広がる一方で、セルフマネジメントしなくてはならない。マネジャーは、これまで以上の強い動機づけ、達成意欲、チーム力の向上を行わなくてはならない」と、フリーアドレスが簡単ではないことを指摘。
他方「フリーアドレス・オフィスの導入を改革のチャンスととらえ、自身のイノベーションも目指す」だとする。

<マネジャー15の基本行動>
1:朝会で今日のスタート!
1日の仕事のスタートダッシュを切れるようにする
2:フリーアドレスだからこそ「俯瞰」が大切
具体的な仕事が見えにくくなる。個別報告に意識を取られすぎると、全体が見えなくなる
3:変化を見つける
俯瞰するために、変化の兆候を見つける
4:待つのではなく、自ら動く
チームの関係性が希薄になりがちなフリーアドレスではコミュニケーションが大切
5:肩書ではなく、人柄と熱意で
チームの関係性が希薄化しがちなフリーアドレスでは、本当の納得、やる気が大切
6:雑談力
雑談で、部下との距離を縮める
7:確かめる
短い時間で的を射たコミュニケーションを取るには、報告を聞くだけではいけない
8:演出する
何かの達成には、祝福する気持ちに相応しい演出をしたいもの
9:揺さぶる
部下の本音を引き出すため、ここぞという時にショックを与える
10:「キミはどうしたい?」
部下のやる気を引き出し、結果の生産性を高めたければ、部下がどうしたいかを聞いてやる
11:判断ではなく、決断する
「こうしよう!」という意志、熱い思いを持つ
12:問題思考から解決思考
過去ではなく未来を重視する
13:同じ船に乗る
共通の目的に全員を共感させる
14:サクッと集まり、パッと散る
ミーティングは、密度の濃さ、テンポの良さが肝心
15:点火スイッチを押す
具体的行動に落とし込み、メンバーの背中を押す

フリーアドレス導入に際しての頭の整理として「あくまでも『時間の使い方』『働き方』の特性をしっかりと考えた上で、それを最大限に生かせる環境づくりを意識しなければならない」「欧米でも『最初にフリーアドレスありき』ではない。あくまでも知的産業が発達し、それに即した働き方がこうだから、フリーアドレスというレイアウトになった…という流れ。したがって、日本の管理者も『働き方が変化してきたから、欧米の同種企業の良い部分を取り入れよう』と考えるほうが理にかなっている」が大事と考察する。

その他、なるほどと思ったのは「従来型のレイアウトは『机と椅子があって、仕事や会議ができる』以上の機能はほとんど有していない」「社員がどんな『時間軸』と『コミュニケーション軸』で働いているのか、その量的な問題と質的な問題をしっかりと考え、最適化を図るためにどんなレイアウトを実現すべきか。そこで働く人のポテンシャルを生かしきるためにも、ハード・ソフトの両環境をしっかり整えることが重要である」のあたり。

現状にとらわれがちな中で、考えさせられる本だった。

【読了】クリスティアン・ルドー「世界史を変えた独裁者たちの食卓(上下)」

今年62・63冊目読了。作家、プロデューサーの筆者が、独裁者のダイニングルームを「血まみれの悲喜劇が演じられる絶好の舞台」として、その闇に斬り込む本。

筆者は「独裁者は、料理と血の組み合わせに目がない」「彼らの食生活は、彼らの生涯と同じように曲がりくねった経緯をたどる」としつつ、6人の独裁者の食卓を紹介していく。

<毛沢東>
「毛沢東にとって、味覚は精神と同じく学習されていくものだ。研ぎ澄まされた味覚は食べ物の苦味を思い出すことで、『右翼主義』『逸脱主義』『修正主義』など、毛が生涯にわたって闘ったさまざまな『主義』の流行にまどわされずにすむ」「毛は政治的情熱を鈍らせかねない、甘美で洗練された味を警戒していた」「毛は自分の子供たちに一般人の食事をするよう命じたが、それも自分が無節操に享受していた反革命的な特権から注意をそらすため」「旅は味覚を鍛えるが、毛沢東は自分の国の国境を越えることはほとんどなかった。『兄貴分のソ連』を二度目に訪問した際も、ロシア料理には見向きもしなかった」「ごちそう攻めの目的はただ一つ、話しあいを長引かせて疲れさせ、闘争心をくじくためだ」

<ジャン=ベデル・ボサカ>※フランスを宗主国とする、中央アフリカ共和国の終身大統領
「ド・ゴールもボサカも、軍人であったから、食の楽しみにさほど関心を払っていなかった」「ボサカは自分の宮殿において、料理の質よりも銀器のまばゆさを重視した」「ボサカの戴冠式のディナーはまちがいなく、栄華を夢見る狂気に落ちこんだ男の誇大妄想を反映している。独裁者は、自らの願望を満たすための莫大な費用をしぼりとられた国民の苦しみなど歯牙にもかけない。食卓の楽しみは、貧しい国民の空っぽの腹が鳴る音によっていっそう大きくなる」「パリの大手新聞社の輪転機は、ボサカがアフリカ以外の大陸の独裁者だとしたら、食人の噂を印刷しただろうか?しなかった可能性が高い、といえよう。あれから何十年も経ったが、噂は集団的記憶にきざまれている」「ブラックアフリカの独裁者たちはつねに毒殺をおそれてきた。自分たちの地位が安泰なあいだ、彼らが深刻な脅威としておそれるのは選挙結果でなく、クーデターや暗殺である。そもそも、自由で民主的な選挙は実施されないので、暴君を排除したいなら殺すほかない」「結局のところ、食物には魂、過去、物語がつまっている。亡命者にとって、味覚は母国と官能的につながりつづけるための絆である」

<アドルフ・ヒトラー>
「半分は虚構だが半分は真実という言説は、もっとも説得力のある嘘となる。ヒトラーは狡猾だったから、実際とはまったく異なる半生をでっちあげるような愚かなまねはしなかった。かれは、すべてを語らぬことで嘘をついた」「自分の言葉で十分に酔いしれていたヒトラーが、ビールジョッキやシャンパングラスに口ヒゲをひたすことはまれだった」「甘党だったので、アルコールの苦みに時として顔をゆがめることもあった。これに対処するため、自分のグラスに少しの砂糖を加えていた」「ヒトラーが菜食主義者であったことに疑いの余地はないが、彼がいつどうした事情で菜食主義に『帰依』したのかは謎のまま」「こと菜食主義にかんしては、めずらしいことに、ヒトラーが強権的な態度をとることはなかった。それどころか、他人に菜食主義への『改宗』を説くこともなく、ブラックユーモアで肉料理を食べている者たちを揶揄するだけだった」「ヒトラーは、癌をわずらった母親が長いあいだ苦しんだすえに47才で亡くなったことに衝撃を受け、忘れることができなかった。健康全般に関する懸念、なかんずく胃腸の不具合はヒトラーの不安をかきたて、だれかれかまわずに、気恥ずかしさもなく心配を打ち明けた」「ヒトラーは食事と楽しみを結びつけることはなかった。自分一人で長々としゃべることを食事の席での楽しみとよべるなら別であるが」

<ニコラエ・チャウシェスク>
「チャウシェスクは、彼の考えだけがつねに正しいパラレルワールドに逃げ込んだのではないか。その世界では嘘で固めた官製統計が真実とされた」「国家統制による飢餓の蔓延がひきおこした屈辱の数々が、陰険なニコラエ・チャウシェスクの目を涙で曇らせることはなかった」「チャウシェスクのたどった道のりとは、人間が小さく、当然ながらみずからの無教養と稚拙な弁論術にコンプレックスをいだいていた共産党政治局員が、共産主義の援護を受けながら、社会への復讐という彼個人の妄想を成就させた過程である」「養生して政権を継続する。亡くなる前の晩、チャウシェスクは給仕された豚肉の脂身を食べようとしなかった。運命のゆくすえを知るよしもなく、最後まで食事制限に細心の注意をはらっていた」

<ヨシフ・スターリン>
「スターリンは、アルコールは嘘を確実にあばき、相手の真意をいっそう深く探り当てるのに役立つとかんがえていた」「酒も煙草ものめりこむように好きで健啖家のスターリンは、悪びれもせず人生の楽しみを存分に味わっていた」「独裁者の権力の大きさは、率先垂範の義務をいっさい脱ぎ捨てる能力によって測られる」「アドルフ・ヒトラーが、まるで救世主のようn皆の視点が集まる真ん中の席につくのと対照的に、スターリンは目立つことをよしとしなかった」「打算に長けたスターリンは、古代の宴会のような古めかしい手法で『ライバル同盟国』を感心させようとした」「屈辱をあたえるために酔わせる。支配を強めるために屈辱をあたえる。それがスターリンの得意わざだった」「スターリンは、味方をよそおう者にしゃべらせるための方法を2つ知っていた。一つは暴力的、すなわち拷問であり、もう一つは暴力の度合いが薄いやり方、すなわち酩酊だった」

<サダム・フセイン>
「食料はフセインが国民にあたえたアヘンだった。『腹一杯なら革命を思わない』というのが彼の理屈だった」「食べるに事欠く経験をすれば、ようやく幸運が訪れたとき、手当たり次第になんでも手に入れようとするものだ」「味覚には時間をさかのぼり、子供の頃の記憶をよびさます強い力がある」

歴史ものとして読むのも面白いし、食文化という文脈でも面白い。その他、心に残ったのは「食における自民族中心主義は、自国料理の優位性だけでなく、自分たちの優位性そのものへの集団的確信をはぐくむ。グローバル化というマグマに食文化が飲み込まれ、味覚の標準化に見舞われた国は、自分たちの価値観を疑い、民族意識の一部を失っていく。逆に外からの影響を拒絶すると、無形の食文化は硬直化し、閉鎖的で頑迷なナショナリズムにおちいって、文化を豊かにするどころか貧しくするのだ」のあたり。

誰でも楽しめるか?ではあるが、歴史や食に興味があれば面白いとは思う。

【読了】吉川永青「奪うは我なり」

今年61冊目読了。歴史作家の筆者が、朝倉義景の生涯に迫る小説。

朝倉家の繁栄を引き継いだ名君の側面と、それを滅亡に導いてしまった暗君の側面。特に、足利義昭を上洛させるチャンスをみすみす信長に譲ったところで、その暗愚さが目立つが、あえて歪んだ人物として描くことでストーリーを際立たせている。いろいろな解釈があるのが、歴史小説の面白いところ。

ネタバレ回避で、気になったフレーズを抜き書き。

「己は歪んでいる。人から大切な何かを掠め取ることに、極上の悦びを覚えるのだ。この愉悦に抗えるものか」
「痛いところを突かれればこそ人は怒るもの」
「待つばかりの日々は、義景にとってことの外辛かった。策が動くのを心待ちにした時は、全く苦にならなかったのだが」
「世の動きは人が作る。自らの与り知らぬところで何かが動き、思いも寄らぬ事態を引き起こすのだ。ならば、自身に益ある流れに作り変えるまで」
「長政が信長に抱く疑いは未だ小さいのだ。不信が膨らみ、張り詰めた時こそ、針のひと刺しを加えるべし」
「好悪のどちらかに極まった心は、思い違いを知れば往々にして反転するものだ」
「当然ながら、浅井の寝返りは末端の足軽衆にまで知れ渡っていない。ゆえに八千の群れは困惑と恐怖の澱みを撒き散らしている。しかs諸将が過ぎるほどの熱気で『進め』と号令し、溌剌とした精気を漲らせると、次第に勝ち戦を察したようであった」
「見たか信長。これが朝倉の信だ。力が信を生むのではない、信用が力を生むのだ」
「何よりも恐いのは、わからないことだ。信長が何をするのか、どんなやり口で襲い掛かってくるのか、全く見通しが立たない。人でない者が何を考えているかなど、どうやって知れと言う。どう防げばよいのだ」
「人とは愚かな生き物よ。見えぬものは信じようとせぬし、示してやってもその場限りで忘れてしまう」
「朝倉には交易があり、それによって得た諸国の信があった。越前一国しか持たずとも強国としての力を備えているはずだった。だが信長は、それを超える力を持っていた。人の思惑を悉く裏切り、遍く世を恐れさせて、自らに流れを引き込むという未曾有の力を」
「これほど誰にも解されぬ者が、人の世で生きるのは難しい。思いが誰にも通じなければ、やがて疎まれ、裏切られて命を落とすのみだ」