世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】大貫恵美子「つくられた日本の自然」

今年48冊目読了。ウィスコンシン大学専任教授の筆者が、「日本の自然」はどのようにかたられてきたか、を考察する一冊。

タイトルで惹かれて、読みたい本リストに入れてみた。「日本人が自然にどう手を入れてきたのか」というイメージとはちと違ったが、自然の概念については学びが深い。

自然について「都市化に続く普遍的な現象として、多くの社会で、都会人にとっては『田舎』が『自然』となった。都市が生まれると田舎が生まれ、都市住民はしばしば『原始の自然』とのつながり、または再つながりを欲するようになる」という中で、筆者は「人間が占めていない宇宙の空間を『自然』という」とし「その空間がどう表現されるかであるが、じつは『表現された自然』であるところのものが『本当の自然』として人びとに認識されている」と問題提起をする。

日本人は「言葉だけでなく、宇宙のあらゆる存在に宿る、形のない魂こそが本質」であり、「植物が常に宇宙のヒエラルキーの頂点を占めてきた」というベースを押さえた上で、それぞれの時代を考察する。

<古代>
「『稲穂』を宇宙の住人の魂の階層の最上位に置いた。それにしたがって、上は清浄、下は不浄と分類され、田んぼは水田、つまり土のない清らかな水と定義された。また、天皇が垂直(上下)と水平(左右)の区分とそれに伴う価値観を管理する概念となった」「農耕の宇宙観では、山神は桜の花びらに乗って田んぼに降り立ち、田んぼの神となり、人々は秋に収穫の儀式で神を山に送り返す」

<奈良、平安時代>
「文化的に定義された『自然』が四季に分かれ、それぞれの季節や十二か月が細かく規定されるようになった。これが『日本の自然』『日本の四季』となり、構築された『自然』を『本当の自然』として見るようになった。この『自然』は、宮廷の所在地である京都という限られた地域から生まれた

<中世>
「『わび』『さび』『幽玄』の美意識が発展した」「花も鳥もいない枯山水はミニマリストの創造物であり、その解釈は観る者の記憶と想像力にかかっている。戦国武将たちは地面を見せることを許さず、岩や小石で『日本の自然』を創造した」

<江戸時代>
「庭師の創造的な才能を誇示したヨーロッパとは対照的に、日本庭園は人間の手によって完全に形を変えられたにもかかわらず、樹木の根、枝、幹に至るまで人間の手が加えられた痕跡を丹念に『隠して』いる」「世界的に勢いを増す西洋植民地主義の脅威が日本に及ぶにつれ、日本人は集団としての自己意識を確立することで文化的ナショナリズムを発展させた。その際に彼らが『日本の自然』の象徴として選んだのは、稲であり、桜であり、富士山である」

<近代>
「前時代の芸術家たちが、泥のない清らかな水を湛えた田んぼに注目したのに対し、自然の国有化と軍国化の時代には日本人の食としての米がより重視された」「武士抜きで武士道を復活させた国家は、かつての武士たちが松が自分たちのシンボルだと抗議したにもかかわらず、城内に計画的に桜を植えることで、『桜と兵士(かつての武士)』という象徴的な結びつきを確立した」「西洋が日本にとって強力な他者となるにつれ、日本人は『日本米』を使って、中国人とは彼らの『南京米』と、西洋人とは彼らの『肉食』との区別で日本人としての集団的自己を保とうとした」

最終的に筆者は「日本の『自然』の表現には三つの異なる伝統がある。第一に、『自然』は人間の創造物を刻み込むための白紙と見なされる。第二に、彼らが『自然』として創造するものは、最小限の物体性によって、鑑賞者が自らの記憶、経験、感情を用いて解釈に参加するように誘われる。第三にこうした『自然』の創造過程に人が手を入れたことを隠す」と結論づける。

ところどころ哲学的でやや難解だが、それでも読み応え十分。とても面白かった。

【読了】烏谷昌幸「となりの陰謀論」

今年47冊目読了。慶應義塾大学法学部政治学科教授の筆者が、陰謀論と現代社会の抱える根源的な諸課題の繋がりを読み解く一冊。

とかくQアノンの例を出すまでもなく、陰謀論が渦巻く現代社会。これへの理解を深めたくて読んでみた。

筆者は、まず「陰謀論とは、世の中で起きている問題の原因について、不確かな根拠をもとに誰かの陰謀のせいであるときめつける考え方のこと」と定義し「陰謀論は私たちのすぐ『となり』にあり、わたしたちの多くが陰謀論から影響を受けている」と警鐘を鳴らす。

陰謀論はなぜ起こるのか。筆者は「陰謀論を生み出し増殖させるのは、人間の中にある『この世界をシンプルに把握したい』という欲望と、何か大事なものが『奪われる』という感覚」「普段めったに起きないことが続けて起きると、それらの出来事を繋げて考えてみたくなるのが人間の脳の習性」と考察する。
また、陰謀論が現代社会で変質したことについて「インターネットの登場によって陰謀論へのアクセスは容易になり、陰謀論の新作がソーシャルメディアを通じて瞬時に地球上を駆け巡る」「ネットユーザーは、自らも発信者として新しい陰謀論についての情報を積極的に発信する主体となった」と指摘する。結果「陰謀論が日常化した世界では、人々の欲望を刺激するネタでさえあれば、火のないところでも無数の煙が立ち上ることになる」となった、と見解を述べる。

さらに、筆者は「陰謀論は徹頭徹尾、他者の表象。自分の存在を丸ごと否定するような他者が存在し、その他者の脅威が人を陰謀論へと駆り立てる」「気分としてのニヒリズムは、どんな物事も簡単には信じないという慎重で健全な懐疑主義の構えを生み出さない。むしろ既存の常識やモラルを強く否定する内容であれば、喜んで飛びついて安易に信じてしまう態度を生み出す」と、陰謀論が生まれる背景に『満たされない感覚』があるとみる。

陰謀論となると、ナチスへの考察は欠かせない。「『あたかも』自分たちがユダヤの世界支配を食い止め、その力を奪い取って世界の覇者となるかのような物語に没入することで、熱狂的な陰謀論者が生まれてきた」「多くの国民が思考停止に追い込まれていく上で、恐怖政治と陰謀論の組み合わせが大きな役割を果たした」「陰謀論の内容が馬鹿げていることは、かえって恐ろしい効果を生み出す。陰謀論は、他の人間に絶対的な忠誠を要求する独裁者が、忠誠心の強さを測るリトマス紙として効果的に利用することができる」は、現代でも起こりうる(というかトランプ政権も一定量やっている)手法だ…

では、どうするか。「国家権力と対決しながらび偽情報攻撃、陰謀論政治と戦うためには、ジャーナリストの側も市民社会の総力を結集しなければならない」とし、「事実を共有するために市民社会の中に構築する『ファクトファースト・ビラミッド』という重層的なネットワークが大切。①ファクトチェック:記者層②メッシュ:市民社会の様々な集団③調査:大学や研究機関の層④説明責任:弁護士ら法曹関係者のネットワーク」の主張は納得できるが、難しいレベルだ…今はそういう世の中、ということなんだな。

その他で納得できたのは「右派であれ左派であれ、草の根の運動の持つ情熱やエネルギーは人々の怒りの中から生まれてくる。そして社会を揺さぶるほどの激しい怒りは、世の中には途方もなく悪い人間がいるのだというシンプルな認識からしから生まれてこないように思う」の言及。この視点はとても大事だと感じた。

新書ながら読み応え十分。非常に面白かった。

【読了】千田嘉博、平山優「戦国時代を変えた合戦と城」

今年46冊目読了。奈良大学特別教授にして城郭考古学者と、健康科学大学特任教授にして歴史学者の筆者が、桶狭間合戦から大坂の陣まで、徳川家康がかかわった戦を読み解く一冊。

文庫本なのに400ページ越えという気合の入り方。そして、「城をつくった人々は、何らかの理由で危機感を感じたがゆえにそこに城を築いた。それらの謎解きこそ、戦国史研究の使命であり課題」「物質資料の研究からわかったこと、文字や絵図・地図資料からわかったことを、総合的に検討して歴史の真実に迫るのが城郭考古学」というコメントに、きょうじをかんじる。全十二章、非常に読み応えあった。

<桶狭間合戦と大高城>
「鳴海城、大高城に対する信長の付城の状況を整理すると、相対的に大高城の包囲が手薄であった。しかも当時の大高城は城の西側に海が迫っていて、港を押さえていた」「桶狭間合戦の時期に、大高城の本丸は幅約8m、深さ約6mのV字型の堀で守っていた。きわめて厳重な防衛であり、義元は城から見ても優れた武将であった」「城と地形の組み合わせでは、大高城と海の関係を重視すべき。実際に兵糧入れは海からで、家康は付城の牽制のために織田勢を拘束していたが、いつの間にか敵中突破にすり替わっている可能性も考えられる」「いろんな条件が重なって、信長の軍勢の動きが周辺の部隊から見えにくい状況のうえに、曇りになってさらに見えなくなってきた。そのうえ大雨が降ってきて視界がまったくきかなくなった。その状況をものともせずに信長たちは突撃してきた」

<今川攻めと徳川方の諸城>
「徳川方に完全に包囲された懸川城であったが、氏真と今川方の士気は高く、懸川城外でしばしば徳川軍を撃退している。懸川城は、まさに難攻不落ぶりを世間に示すこととなった」「家康が今川攻めに際し高天神城や馬伏塚城の確保を急いだのは、遠州灘から掛川に入る塩の道の上にあり、懸川城の海からの重要な補給路であったから」「浜名湖なくして遠江や浜松の繁栄はない」「付城をつくって城を落とすのは秀吉の得意戦法のようにいわれているが、それに遡る永禄12年(1569)、家康は付城をつくって攻めていた」

<見付城と浜松城>
「見付城は、西側に遠州灘に続く今之浦があり、水運の拠点で、東海道を南から見下ろし、さらに見付宿の都市としての繁栄を裾野に置いている。ところが家康の新本拠地に懸念を示したのが信長であった。見付は背後に天竜川を控えており、増水時に武田氏に攻められたら、織田氏は救援できないと考えた。家康は、この意見を容れ、完成間近であった見付城を放棄し、引馬城の大改造に着手する」「家康が拡張して浜松城とした丘の上の本丸は、詰丸、天守曲輪をもつ形になっていて、信長の城ととても似ている」「見付城は川で遠州灘とつながり、浜松城は浜名湖でつながっている」「家康は、信長にそれほど遅れることなく、城づくりの技術・石垣の技術を獲得していた」

<三方ヶ原合戦と徳川の諸城>
「一言坂合戦で勝利した信玄は、見付城の大改修を命じ、二俣城を落とした。この結果、家康の本拠地浜松城は、武田方に包囲される形勢となり、本国三河や同盟国織田氏とつながるために開いているのは、わずかに東海道と浜名湖水運のみという情勢になった」「信玄は武田水軍に出陣を命じ、遠州灘を制圧したうえで、三河湾に突入させ、田原に放火させていた」「信玄が三河へ抜けるという家康の予想は裏切られた。武田軍の向かう先は堀江城。そのとき家康は、信玄の狙いが浜名湖の水運の掌握であるとようやく察知する。これを押さえられたら、浜松城は干上がってしまう戦わずして、屈服に追い込まれることになる。堀江城を取られるのだけは阻止したい家康が信玄の罠にはまったのが三方ヶ原合戦の経緯」「しんげんのばあい、実戦の前に必勝パターンをつくって、軍勢を動かしていて、相手は動きの先を読まれて、手が打てない感じになっている」「家康にとって幸いしたのは、戦いが夕方に始まり、決着したのはほぼ暗くなったころで、夕闇に紛れて逃げることができた」

<長篠合戦と武田・徳川の城>
「長篠合戦は、鉄砲対騎馬の戦いだといわれてきたが、実際には南蛮貿易をバックボーンに、豊富な火薬と鉛弾を保持する連合軍と、織田氏の経済封鎖により畿内方面との貿易を制限され、火薬と鉛弾の欠乏に苦しむ武田軍という構図(ロジスティックスの格差)であり、これこそが勝負を分けた」「長篠合戦で敗れたとはいえ、家康にとって武田勝頼は単独で撃破できるほど簡単な相手ではなかった。家康の対武田戦の戦局が好転するのは、北条氏政との同盟と連携(天正7年、1579)が実現したからにほかならない」「長篠合戦も含めた奥三河をめぐる徳川氏と武田氏の争いは、実は鉱物や山林資源をめぐる争いと推測する」「信玄も謙信も、自分だけでできると思い、実際できてしまう。だから一部を後継者にまかせて訓練しようという意識がほぼ出てこない。うまく代替わりできたのは北条氏の五代ぐらい」「勝頼は急に当主を任され、困惑した。親の代から戦っていた徳川氏や織田氏から勝利を上げることこそが実績となり、いよいよ信長が長篠に現れたら、ここで決着つけてやる、となる。勝頼の敗戦は、そういう焦りからくる判断ミス」

<天正壬午の乱と徳川・北条の城>
「天正壬午の乱は、様々な禍根を残した。信濃で徳川方への従属を肯じない武士との戦乱、家康が北条氏と同盟を結んだことによる上杉氏との関係悪化、そして最大の問題が真田昌幸の処遇。これらは秀吉の天下統一が達成されるまで収まることはなかった」「北条氏が勝ちきれなかったのは初動ミス。上野を支配したのち、上杉氏を押し出して信濃を制圧しようとした。甲斐を制圧してから信濃、上野と進めばよかった」

<小牧・長久手合戦と徳川の諸城>
「小牧・長久手合戦とは、信雄が秀吉を打倒して『織田体制』を再編するか、秀吉が『織田体制』を名実ともに解体させ、新たな羽柴政権を樹立するかの岐路となった」「双方が外交戦略で各地の大名たちを味方につけようとするが、必ずしも信雄や家康に賛成が集まらない。西の毛利氏が秀吉に援軍を送ったのがかなり大きい」「小牧山城は、城の発展のセオリーに反して、石垣の城から土づくりの城へと変化した、全国的にも稀な変遷をたどった城」

<駿府城の考察>
「駿府城は戦国大名・今川氏の館跡につくられたが、今川館だった場所と現在の駿府城がどこまで重なるか、まだわかっていない」「政治の拠点として、城の軍事と政治の機能のバランスをどう取るかと模索する家康の出発点となったのが、慶長期の駿府城」「義元は家康をいじめていない。一門同等に扱い、最高の教育を施し、織田家の人質時代よりはかなり幸せ」「人は嫌な思い出のある場所に帰ってこない」

<江戸城と城下の整備>
「家康の江戸城は白漆喰塗籠の壁で、当時最も火災に強い外壁の仕様。美しさだけでなく、実用性が伴った」「江戸に入ったのは、秀吉に勧められたというより、家康自身の選択だったのでは。最近の研究では、天正18年、家康が入った時に江戸はそれなりの都市だったとされている」「利根川の問題と飲料水の問題を同時に解決する方策が家康のまちづくりの大きなポイント」「家康の江戸城は、西日本の信長流の城づくりを受け継いでいる一方、東国の城づくりの伝統も受け継いで、馬出しを巧みに縄張りの中に取り込んでいた。西と東のいいところを合わせた、城の天下統一」「江戸城を立派につくることと合わせて、城下町の街並みを古代宮都の格式を持ち、首都にふさわしい都市景観としようとしたのは、家康がすぐれたプランナーだったことを示す」

<家康が築いた近世城郭>
「家康の城づくりを概観すると、よいものを取り入れる柔軟性と決断力、無駄を省く堅実性が、家康を天下人にしたとわかる」「天下普請は江戸幕府が選択した当時最新の高度な技術を用いた。参加した大名家の間で技術が伝播し、全体的に近世城郭建築の技術の底上げと平準化、さらに城づくりの技術の伝承に大きな意義があった」

<関ヶ原合戦と徳川の城>
「航空レーザー測量からわかった、松尾山から決戦場に張り出した尾根上の駐屯段の存在は、小早川秀秋は最初から家康の軍に加わる意志を固めていたのを証明する判読結果」「急遽布陣したといわれている石田三成や宇喜多秀家など西軍方の主要な部隊がいた場所は、土木工事を伴った明瞭な陣の跡をみつけることができない」「東軍は関ヶ原の東側へアプローチするにも、もともと西軍方だった菩提山城があっては安心して通ることができない。城主の竹中氏は織田信秀に仕えており、犬山城の防衛隊の一人で関ヶ原合戦開戦当初は西軍だったが、犬山城が開城したときに家康に許され、決戦時には東軍に組している。菩提山城の南を進軍しても北側から側面を突かれるしんぱいはなく、家康は安心できた」「玉城は南北朝時代からあった城だが、松尾山城の本丸の三倍以上もあり、連続外枡形の存在は関ヶ原合戦時期の陣城」

<大坂の陣と両軍の城>
「大坂城の北側、西側、東側には低湿な地形が広がっていて、大軍が展開するのは難しかった。だから、南からのこうげきに備えるわけで、台地が続くところに真田丸がつくられた」「大坂城へと続く上町台地の半島状に突き出た先端が岡山で、攻撃に最もよい場所に徳川秀忠の本陣を置いた」「夏の陣は、古市古墳群岡ミサンザイ古墳周辺で戦っている。真田信繁たちは単純に大和街道を降りてきた徳川軍を野戦で迎え撃つのではなく、本来は古墳を臨時の城として利用し、数の多い徳川軍を撃退しようとした」

上記の他にも「実際に現地に足を運び、絵図や文書、縄張り図などを参考に推論したり、想像したりすると城のあり方や戦いの方法の理解が広がる」「本棚に並ぶ自治体史の史料編は、関心のない人にとっては、何の役に立つのか分かりにくい。しかしこうした地道な基礎研究があるから、新しい研究の視点が生まれ、人々の歴史認識は一歩真実に近づく。そして、より正しい史料や遺跡の評価にもとづいて地域の歴史遺産を適切に守り、活用する道も拓ける」というあたりが、本当に共感しかない。

あとがきの「一つひとつの合戦や城は、混沌とした時代を止揚して新たな社会をつくろうともがいた、戦国の人びとの決断と行動そのもの。情報をどのように把握・分析して行動するか、ひとつの決断や行為が、どのように波及して状況を変えていくか、合戦と城を詳しく読み解くことは、時空を超えていつの時代にも通じる、考え・決断する手掛かりになる」が、非常に重い。本当に、そのとおりだよな…

【読了】山田康弘「足利将軍たちの戦国乱世」

今年45冊目読了。東京大学史料編纂所学術専門職員の筆者が、応仁の乱後の七代にわたる将軍の奮闘と実像を描き出す一冊。

 

歴史への造詣が深い畏友がお薦めしていたので読んでみたら、なるほど納得の秀作。

 

そもそも、足利幕府について「足利将軍は『守護を使って、各国支配や有事に対応する』という仕組を採用した。各国支配のための巨大な官僚組織も、有事の際に必要な強力な直属軍も自前で用意しなくてよく、経済的。しかし、もし守護が将軍への協力を拒否した場合、将軍はただちに危機に瀕してしまう」にもかかわらず、守護依存の仕組としたのは「守護が当初、任国内に独自の権力基盤を有せず、将軍の後ろ盾がなければ任国内の武士たちを統率できなかった」ため、とすみる。結果、「将軍は諸大名から軍事力などの提供を受けてこれを支柱とし、大名たちは将軍を政治的に利用した。こうすることで、将軍と大名たちはたがいに協力しあい、そして相互に牽制しあった」となった、というのはかなりびっくりだが、納得できる。

 

七人の将軍たちを称する部分は非常に興味深い。そうだったんだ…

九代義尚:「父の干渉から脱しようと苦闘した『悲運な若武者』」

十代義稙:「虜囚の辱めをうけるも決して諦めなかった『不屈の闘将』」

十一代義澄:「変人・細川政元との関係に苦悶し続けた『孤高の悲将』」

十二代義晴:「勝てざるも負けなかった『隠れた名将』」

十三代義輝:「凶刃に倒れた『未完の英主』」

十四代義栄:「父の宿願をはたした『阿波の哀将』」

十五代義昭:「将軍家再興の素志を曲げず、強敵信長にいどみつづけた『稀代の梟雄』」

 

足利義政が政治に興味を持たない風流貴公子、という俗説は誤りと断じる。「義政は、政治権力につよい関心を持ち続けた。政治の実権を握っているからこそ、義政は財貨を手にすることができる。東山殿の造営など、理想の美を追求することが可能になった。だから、義政は権力を欲した」は、なかなか意外。

 

足利将軍家がすぐ滅亡しなかったのは「①戦国期にいたっても各地の大名たちは、主として他大名との外交分野において将軍を利用していた②大名たちは利用度合いに応じて将軍を支援し、また将軍の影響力を受け入れていた」、将軍家が滅亡したのは「①将軍家の脆弱な軍事力②信長や秀吉が、足利将軍以上の利益を諸大名に付与し始めた③秀吉の地位が確立されていくにともなって『秀吉こそが大名たちの主君』という認識が広まっていった」と分析する。 時代の要請も大きかったのだろう。「有力大名の庶流家を取り立てることで、大名惣領家の関西をはかる、というのは、歴代将軍が実施していた、有力大名抑制策のひとつ」「目標を明確にし、圧倒的な兵力を投入して短期間で勝利する、というのは古今東西の戦争に共通するセオリー」「明応の政変で義澄・義稙という『二人の将軍』が出現し、しかも、どちらが最終的に勝利を得るのか、その帰趨が定かでなかった。そこで、大名たちは『二人の将軍』のいずれとも距離を取り、領国経営に注力していった。その結果、以前から進んでいた、将軍にたいする大名たちの自立傾向がいっそう顕著になっていった」「『共通の敵』の存在は団結を促進する。しかし、共通の敵が強力な場合、分離がうながされる。つよい敵を倒すには、皆が密接に団結し、協力しあわなければならないが、それにともなってたがいの利害・方針の違いが鮮明になってしまい、これが溝を生じさせるからである」のあたりは、時代と、そもそもの人間システムの帰結。もちろん、リーダーの資質も大事だが、制度疲労の中では限界だったのだろうな…

 

筆者は、歴史学の目的を「過去を知り、そしてこの過去を使って現代をより深く知る」と定義。「過去を知ることで現代に生起しているさまざまな問題の『はじまり』を問い、過去から現代までの変化の道筋を明らかにしていく。あるいは、過去を知り、その過去と現代とを比較していくことで現代の特徴をあぶり出していく。このような方法によって、現代を見ているだけでは見えにくい、現代の姿に気づく」「歴史という言葉には、私たちが生きている現代もふくまれる。それゆえ、現代に無関心というのでは、歴史学を学ぶことは決してできない」と述べるあたりのプライドは、歴史好きの端くれとしても同感するところ。

 

筆者の歴史愛が溢れており、読みどころの多い一冊だと感じた。戦国好きなら、絶対に読んでおくべき一冊。

【読了】篠田英朗「地政学理論で読む多極化する世界」

今年44冊目読了。東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授の筆者が、トランプとBRICSの挑戦について読み解いていく一冊。

 

筆者は「現代社会が『多極化』の様相を強めているという認識」「『多極化する世界』とは、意識的であれ無意識的であれ、『グローバル化が進展した世界』とは異なる方向に向かって進んでいる世界である。これは過去数十年にわたって信じられていた『冷戦終焉後の世界』の物語が、大きな修正を求められていることを意味する」と現代社会を地政学から読み解く。

 

筆者は、BRICSを地政学から読み解き「BRICSという『新興大国クラブ』が魅力的なのは、新しい会員の加入に門戸が開かれており、さらに後発の新興国が、先を行く『大国』とともに発展を遂げる夢を見ることができる点だ」「BRICSが目指す『多極化した世界』は、アメリカに代わって中国が世界的な覇権国になる世界のことではない。『多極化した世界』は、グローバリズムの画一的な普遍主義運動に対抗する有力諸国が、力をつけた世界のことである。BRICSが目指す『多極化した世界』は、ドルに代わって人民元や新しい通貨が基軸通貨になる世界のことではない。『多極化した世界』とは、『脱ドル化』を進める有力な諸国が、国際貿易金融における覇権的な力の支配の源泉『基軸通貨』ドルの地位に挑戦する世界のことである」という潮流を見出す。 その中で、筆者は「より日本人になじみがあるのが、『グローバル化』に親和性が高い『英米系』地政学理論だが、『大陸系』地政学理論は、『多極化』の方向性を内包しており、『反・グローバル化』の傾向が強い。BRICSのみならず、アメリカのトランプ政権の傾向も、『大陸系』地政学理論の世界観に近い」と、警鐘を鳴らす。

 

<トランプ政権>

「伝統的に『英米系』地政学理論を外交政策の大枠に据えていたアメリカは、トランプ大統領によって『大陸系』地政学理論の世界観へと、大きく舵を切っている」「戦争調停から高率関税に至るまでの一連の政策に反映されている派手な言動は、孤立というよりはむしろ孤高の卓越を目指すような姿勢であり、『モンロー・ドクトリン』とトランプ大統領の『アメリカ・ファースト』が重なり合う部分」「モンロー・ドクトリンは、①相互錯綜関係回避原則:アメリカはヨーロッパに介入しない、だからヨーロッパも西半球の『新世界』の事柄に介入しないでほしい②大陸主義:ヨーロッパも一つの『大陸』だが、南北米州大陸もまた別個の『大陸』である③明白な運命論:アメリカは神の恩寵にそった『新世界』の充実には貢献すべきだが、汚れた『旧世界』のことなどに関わる必要はない」

 

<ロシア>

「中国やインドに比べると、ロシアの経済成長率は控えめであり、人口も少ない。ところがロシアには、総合的国力で、豊富な天然資源、核兵器を保有する世界有数の軍事大国であるという強みがある」「ロシアは、いわば擬似政治組織としてのBRICSの立案者であり、屋台骨」「推進者であるロシアが反欧米の姿勢を強め、BRICSが欧米諸国の制裁逃れのネットワークとしての性格を持ち始めている」「思想的には、冷戦終焉後のロシアの存在を、ヨーロッパでもアジアでもない『ユーラシア(欧亜)』と見定めて、その重要性を強調する『新ユーラシア主義』がある。ロシアを中心にして世界全体を見るような思想だが、ロシアが自国の勢力圏を持ちながら、他の有力国の存在も認めるのであれば、多極主義となる」

 

<中国>

「BRICSが注目され、G7と双璧をなす経済クラブとなっているのは、中国の存在があればこそ」「多極主義を確認しあう限り、同じユーラシア大陸に存在しながら、中国はロシアと敵対しなくてよい」「欧州列列強による侵略は、遠方の異文化を持つ政治勢力による植民地化という屈辱の歴史として中国人の記憶に焼き付けられている。欧州列強のあとに入ってきたアジアの島国である日本の海洋からの侵略も、帝国主義国家による侵略として位置付けられる。こうした経緯から、外敵に対抗するための国力の増強に余念がない政治文化を、現在の中国も強く持っている」「BRICSのユーラシア大陸のメンバーで、一帯一路への対応では歓迎のロシアに対して、インドは警戒心を隠さない」「中国が、さらにいっそう国力を高めて超大国としての実力を増強させていっても、やはりBRICSを通じた影響力の行使方法に、大きな魅力を感じ続けていくと思われる」

 

<インド>

「経済成長率でいえば、インドは中国を上回る水準をおおむね維持して、現在に至っている。インドがいないBRICSはありえない」「インドにとって、BRICSに加盟していることの外交的メリットは大きい。現在においてもなお、インドはロシア製の武器と、天然資源に、大きく依存している」「インドの外交スタイルは、広範な多元主義だ。あらゆる国と関係を持つが、いずれの国とも同盟のような緊密な関係は持っていない」「インドは自国について、インド洋の覇権確立が可能なほどの国力をまだ充実させていないと考えている。だから中国を牽制するために、アメリカとの関係を重視する。しかし同時に、自国の目の前に広がるインド洋の覇権国としての地位を、太平洋と大西洋の間に浮かぶアメリカに譲り渡すような意図は、全く持っていない」「インドは他の地域でのBRICS拡大には反対しないが、南アジアでは、他国の加盟を認めない。自らだけが唯一の南アジアからのBRICS構成国でいいと考えているのだろう」「ヒンドゥー至上主義は、少なくともインド人の自国の文化に対する誇りを喚起する効果を持つ。そして超大国化しつつあるインドの国力の上昇とも重なって、広範な支持を得ている」「ヒンドゥー至上主義は①インド文明の卓越性を強調する②世界の数多くのイスラム諸国との連携に制約を課す③インドから離れた地域に存在する文明には、強いこだわりを持たない」

 

<その他の国々>

ブラジル:「BRICSにおける南米からの唯一の正式加盟国として南米大陸を代表する位置付け」「BRICSに不可欠な要素である反面、準地域『覇権国』といった緩やかな位置付け」

南アフリカ:「アフリカ大陸全域が、いわば下駄をはかせてもらって、BRICS当初メンバーを送り込むことになり、南アフリカかその代表となっている」

インドネシア:「他のACEAN諸国に先駆けてBRICSの正式加盟国となったインドネシアの主導的地位を尊重しつつ、同時に『圏域』としての東南アジアの位置付けは比較的穏便なものにとどめる」

中東:「BRICSにおいて、中東の加盟国は引き続き厚遇されるだろうが、地域的一体性を持って行動し、影響力を高めるところまでは想像できない」

中央アジア:「カザフスタン優位を自明の前提としながら、ウズベキスタンにも配慮を見せる形で、今後の中央アジアにおけるBRICS拡大は進んでいくと思われる」

 

非常に考えさせられる中で、「世界中に自由民主主義と自由貿易主義が広がり、その動きの中心には常に欧米諸国の指導者がいる、という世界観は、時代遅れとなった」「『多極化する世界』への大きな動きが、さらにいっそう進んでいくだろうことは、非常に確かなことのように思われる」という言及が、さらに重くのしかかる。流れを読む、ということは大事だ、と改めて痛感。

【読了】池波正太郎「剣の天地(上下)」

今年42・43冊目読了。ベストセラー作家が、長野業正に仕えた名将の生き様を通して、戦国の世を見つめる一冊。

 

戦国というと、つい、東海・近畿に寄りがちだが、各地の国衆はそれぞれに考えと生き残り戦術を持って奮闘していた。歴史の表舞台とは言いづらい北関東で、人物群像を描き出したのは、筆者の実力ならでは、と感じた。非常に面白く、かつ歴史を感じながら読めた。 ネタバレ回避で、気になったフレーズを抜き書き。

 

「人が、ものごとを伝え残し、人が、これを受けつぐということは、両者の呼吸が一つにならねば、何事も実りはせぬ」

「『天と地、いわゆる自然の摂理を忘れるな』ということを、伊勢守は『神を忘れるな』の一語にふくめている。それは、『人間という生きものが、この世に生れ出たことへの神秘を、忘れるな』と、いうことでもあった」

「勝とうとおもうこころには、焦りの念が生ずる」

「われらが決死の覚悟をきわめて戦う折は、まだまだ、後にある。それは天下平定のために死ぬるときだ。このように、ばかげた戦さに大切な人びとを失うてはならぬ」

「戦乱の世に生きぬいた、そのころの男女にとって、『過去は、無用のもの』なのである。いつの日にか、『やがては…』到来するであろう平和の世に、ひたと眼をすえ、『その日が、やって来るまでは、何としても生き残らねばならぬ。必死に闘いぬかねば…』ならなかったからである」

「平和な時代にあっても、人間の生活は割り切れるものではない。それを、しゃにむに、『割り切って…』突き進むのが、戦国の世に生きる人びとなのであった」

「当時、一個の英雄の下にあった軍隊は、その英雄をうしなうことにより、さんざんに乱れくずれてしまうことが多い。近代の戦争とちがい、あくまでも〔人間〕のちからとちからが物をいっていたことがわかる」

「いかに城や砦があったとて、これをまもる兵力がなくては『無しも同然』なのである。武田信玄は、少しずつ、長野麾下の武将や豪族を味方に引き入れることから、箕輪攻めを『やり直した…』と、いってよい」

「伊勢守は、人間の肉体の機能と精神のはたらきを、剣法の中へ取り入れ、そこに人間そのものの進歩と発達を目指していたにちがいない」

「上泉伊勢守の剣法は、敵と闘って、これを倒すということのほかに、それよりも、さらに深く重く、人間の心身を鍛錬し、人格の完成を目指すものとして体系づけられた」

「人は天地の塵ぞ。塵なればこそのいのちをおもいきわめ、塵なればこその重さを知るがよい。塵となりつくして天地に呼吸せよ」

「勝つ見込みのない勝負はするものではない」

「身に寸鉄も帯びず、いかに強大な敵といえども恐るることなく立ち向かい、敵の武器をうばい取って、敵を制圧する。まさに、これは兵法者がのぞむ最高の境地といってよい」 「心と躰は二にして一。一にして二つに分かれている」

【読了】角田光代「方舟を燃やす」

今年40冊目読了。ベストセラー作家の筆者が、ある別々に生きている2人の人生を昭和から令和まで描くことで、人生への向き合い方を問いかけてくる一冊。

友人が薦めていたので読んでみたら、一気に引き込まれて読み切った。自分からは絶対に手にすることがないので、こういう出会いは本当に大事だ。 ネタバレ回避で、気になったフレーズを抜き書き。

 

「全員が死ぬということは、死後の世界はこの現実世界の反転でしかない」

「だれがどう言った、みんながやっている、そういう考えでなく、自分でしっかり考えて決めなさい」

「だれもが多少なりとも自分と似たような混乱と不安を感じていて、酔ったり集まったりすると、それが興奮となって噴出するらしい」

「本当はどう考えていたのかなんて、親子でもわかんないもんだよな」

「人生百年時代とか言うじゃない。私たちだってまだまだ若いんだから、子どもや孫は勝手にやってもらって、こっちはこっちで人生を謳歌していたほうが、子どもも安心みたいよ」

「信じる者だけ助けます、じゃなくて、信じない人といっしょに流されなさいっていう神様がいたとしたら、そっちを信じる」

「ずっと長いこと信じてきたことを、急には手放せない」

「以前だったら、情報をより多く集めて、そこから判断することも重要だったと思うんですけど、今hその情報自体にあやしいものが多いし、エコーチェンバー現象っていって、ある考えの人をフォローすると、同じ意見の人ばかりが集まってきて、それが真実だとしか思えなくなるんですよね」

「私たちは知らない。ただしいはずの真実が、覆ることもあれば、消えることも、にせものだと暴露されることもある。それだけではない、人のいのちを奪うことも、人に人のいのちを奪わせることも、あり得る」

「どんなに頭がよくたって、ただしいことが何かなんて、私たちにはわからないときがある。いいことをしようと思っていたって間違うこともある」

「もしかしたら、やり尽くしたのではなくて、やり尽くさなくていいと思うことができたのかもしれない。父がかつて言っていた『ひとさまの役に立つような立派な男』を目指さなくていいと、心から思えたのかもしれない」 「だれもが、このわけのわからない世界の解釈を試み、そこで日々生きることに意味を付加しようとし、いつだって予想不可能の未来の舵をとろうとする。何か、なんでもいいから何かを信じないと、何が起きるかまったくわからない今日をやり過ごすことができない」