世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】堀内勉「読書大全」

今年8冊目読了。多摩大学社会的投資研究所教授・副所長の筆者が、世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊を紹介しながら、様々な学問の歴史的推移を明らかにする一冊。


本の分厚さだけでなく、筆者の知の分厚さ、その知見の深さに感嘆するばかり。これは圧巻だ。


人間というものの業については「我々誰もが抱く根源的な問いというのは、太古の昔から全く変わっていない。その根底には常に、『世界のことを知りたい』という知的な欲求や、『自分が何者なのかを理解したい』『苦しみから救われたい』という人間としての希求や願いがある」と、鋭く斬り込む。


生きるということについては「我々人間は、常に『生きる』という問いの前に立たされており、それに対して実際にどう答えるかが我々に課された責務」「我々は自分が何者かを知るために、終わりのない旅を続ける旅人のようなもの。その答えは誰かが与えてくれるものではなく、我々一人ひとりが自らの力で探し求めるしかない。その旅を続けるための良き道しるべになってくれるのが、良書との出会い」「自分の存在が脅かされるような過酷な状況に立たされたとき、人には生きようという不思議な本能が働き、五感が研ぎ澄まされて、一皮むけた人間になる」のあたりの記述が心に染みる。


読書についての筆者の見解「読書をするというのは、単純に『知識を得る』目的だけではない。リーダーとしての、あるいは人間としての『洞察力』を高めるため」「本を読むというのは、ただやみくもに頭の中に知識のバベルの塔を構築することではなく、思想・知識・洞察・確信を融合し、ひとつにまとまった良識や正しい判断や行動に結びつけていくためのもの。まず自説を立てて、それを強化し補強するために読書をして、自分の頭で考えるということが肝要で、これが単なる博覧強記の愛書家と、偉大な思想家や人類の進歩に貢献する人との決定的な違い。本を読む際には、単なる『教養』としてではなく、自分の生き方や考え方と照らし合わせてどうなのかを常に意識しながら、自分の行動と結びつけて読み進める」は、ただ漫然と本を読んで暮らしている自分には鋭い刃となって刺さってくる…考え方を改める必要がありそうだ…


学問の分類については「古代の人々は、合理的には理解できない世界の成り立ちや生死の問題について、神話によって体系的な説明を与えることにより納得してきた」「哲学には一定の考察対象というものが存在しない。人間の思考と時代の流れとともに、その対象も範囲も常に変化している」「西洋哲学と東洋哲学の大きな違いは、西洋は『学』としての哲学、東洋は『教』としての哲学と捉えることができる。西洋哲学は、数学に代表される論理的思考を前提として、世界の本質を言葉で理論的に解明しようとする。東洋哲学は、論理的整合性よりは『いかに生きるか』『いかに体得するか』という人生の実践に重点が置かれる」「経済学は、広義には、交換、取引、贈与や負債など必ずしも貨幣を媒介としない、価値をめぐる人間関係や社会の諸現象を研究する学問であり、人類学、社会学政治学、心理学と隣接する」など、分厚い分析がすごい。


現代社会については「現代の大きな特徴は、資本主義の拡大とともに経済と科学の領域が肥大化し、その反面、宗教は大きな物語を提示する力を失い、哲学もその領域をどんどん狭められてしまったこと」「ポストモダニズムの特徴は『大きな物語』、つまり道徳的な善悪や法的な正義に関する万人に共通の普遍的な真理や規範は存在せず、もはや小さな集団の多種多様な意見があるだけ」と、混迷の理由を明かす。


その他、書評の中では「バブルが繰り返し発生するのは、人間が本質的にそれを求めているからであり、そもそも人間というのは、バブルへの当然の警戒心さえ忘れて熱狂へと身を投じてしまう生き物」「真実を語り組織の同調圧力に従わないことは、死に直結するほど危険な行為」「ポストモダンとは、歴史的な哲学・思想を含むメタ物語によって知を正当化することに対する不信感の表明であり、人類の進歩を信じてきた近代哲学や科学などを批判し、そこから脱却しようとする思想運動」などが心に響く。


筆者の凄さと、自分の力のなさに絶望感しかない。が、「人間にとっては苦しむことや死ぬことにさえ意味があり、自分にしか引き受けられないその一回限りの運命とどう向き合うのかが重要」「自分が自由にできるものとできないものを区別し、自由にできないものについて悩むのではなく、自分にできるものに注力すべき。自由にできないものとは健康、富、名誉といった、自分の外部にあるもので、自由にできるものとは自分の精神の働き。我々は、そうした自分の心の営みの中にこそ、独立と自由と平安を求めるべき」をよすがにして、頑張るしかないな。