世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】シェリング「学問論」

今年78冊目読了。ドイツ観念論の哲学者である筆者が、1802年にイエナ大学で行った講義を書籍化した古典。


哲学というのは、往々にして理解が大変なのだが、本書も御多分に洩れず、なかなか苦労した…到底理解できた、とは言い難い。


「根本知は全く不可分であり、したがって全然残る隈なく実在性であり観念性であるのだから、絶対知のいずれのはたらきの中にもこの分ち難い二重性のあらわれが見られなくてはならぬし、また一般に実在的なものとして現れるものにおいても、観念的なものとして現れるものにおいても、両者は一なるものに形成されていなくてはならぬ」「根本知の最も直接的な器官としての或る学問において根本知が半生され、そして反省するものとしての知識が反省されるものとしての根本知と一つに合体しているのであるが、そういう学問は、知識の有機体における普遍的感覚器官のようなものなのである。われわれは、この中心器官から出発して、そういう器官からいろいろな細流を通って、最も末端の部分に至るまで生命を通わせなくてはならぬ」のあたりは、非常についていくのでアップアップ。でも、言わんとしているところは何となくわかる。


学生時代に「真の知識は個人の知ではなく理性の知を可能にするものだけである。学問が時間から独立であるということの本質は、学問というものはそれ自身永遠である人類のものだということのうちに現わされている。したがって生命や生存と同じように、学問もまた、必然的に個人から個人へ、時代から時代へ伝えられるのである。伝承はその永遠なる生命の表現である」「端的に普遍的なもののみが理念の源泉であり、そして理念は学問の生命である」「大学においては学問以外のものは認められてはならぬ、そして才能と教養のつくり出す以外の差異は存在敷いてはならぬ」のあたりを知っていたら、もう少し真面目に(というか根本的に)学問をしたのかもしれんなぁ…と後悔する気持ちが湧きおこってくる。


しかし、アラフィフのオッサンになっても「学問研究に対して立てられるであろうすべての規則は、自ら創造せんがためにのみ学習せよ、という一つの規則に集約される」「生きた学問は直観を目的として陶冶する。直観においては普遍と特殊は常に一つである」のあたりの記述は実践的であり、今なお失ってはいけない姿勢だなぁと感じる。


それにしても、本当に久々に脳みそが混乱しながら読んだ本だった。いかに哲学的思考に慣れていないか、ということだな…反省。余談ながら、岩波文庫の1997年版(第11刷)を図書館で借りたのだが、紙面に文字がビッチリ書き込まれていて、最近の本は読みやすい、他方、スカスカとも言える、と感じた。