世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】ジェイムズ「プラグマティズム」

今年79冊目読了。アメリカ人で、哲学者にしては珍しくコスモポリタン的存在となった筆者が、アメリカ的思想の基礎となったプラグマティズムについて説く一冊。


本当に哲学というのは理解が難しく、この手の本を読むと頭がこんがらがりながらになってしまう。これは昇華し切れた、消化し切れたとはいえないが、それでもなんとかついていけたかな、というレベルを辛うじて保った、というところ。


「これまで哲学にとって本質的と考えられてきたことは、いやしくも人間は事物を観察するべきであるということ、すなわち自分独自の方法でまっすぐに観るべきであって、自己と反対のものの見方ではいかなるものにも満足しえないということである。このような強い気質的な観察力が今後はもはや人間の信念の歴史において重要さをもちえなくなるなどと想像すべき理由はいささかも存しない」


哲学上の問題について「諸君は二つのものを結合せしめるような一つの体系を要求している。すなわち一方においては事実にたいする科学的忠実さと事実を進んで尊重しようとする熱意、簡単に言えば、適応と順応の精神であり、もう一つは、宗教的タイプであるとローマン的タイプであるとを問わず、人間的価値にたいする古来の信頼および信頼から生ずる人間の自発性である。そしてこれがつまり諸君のディレンマなのである」と提起。
これに対し「私は両種の要求を満足させることのできる一つの哲学として、プラグマティズムという奇妙な名前のものを提唱する。それは業理論と同じようにどこまでも宗教的たることをやめないが、それと同時に、経験論のように事実との最も豊かな接触を保持することができる」「プラグマティックな方法とは、各観念それぞれのもたらす実際的な結果を辿りつめてみることによって各観念を解釈しようと試みるものである」「プラグマティズムとは、ギリシア語のプラグマから来ていて、行動を意味し、英語の『実際(プラクティス)』および『実際的(プラクティカル)』という語と派生を同じくする」「プラグマティックな方法なるものは、なんら特殊な結果なのではなく、定位の態度であるに過ぎない。すなわち、最初のもの、原理、『範疇』、仮想的必然性から顔をそむけて、最後のもの、結実、帰結、事実に向かおうとする態度なのである」と述べる。
プラグマティズムについては「真の観念とはわれわれが同化し、効力あらしめ、確認しそして験証することのできる観念である。偽なる観念とはそうできない観念である」と述べた上で、その視野の方向性として「認識論的自我とか、神とか、因果性の原理とか、設計とか、自由意志とか、これらのものを何か事実を超絶した至尊なものとしてそれ自身であると考え、そのような原理に立って後ろを見返すものではなく、いかにプラグマティズムはアクセントの置き場所をかえて、前方に目を向けて事実そのものを見究めようとするものであるか」「合理論にとって実在は永遠の昔からの出来上がっていて完全なものであるのに、プラグマティズムにとっては実在はなお形成中のもので、その相貌の仕上げを未来に期待している」と、未来志向であることを強調する。


プラグマティズム云々を抜きにしても、「世界は純粋にして単純な一なる世界でもないし、また純粋にして単純な多なる世界でもない」「新しい真理は新しい経験と旧い真理とが結びついて修正し合った結果」「事物についてのわれわれの根本的な考え方は、遠い遠い昔の祖先が発見したものであって、その後のあらゆる時代の経験を通じて保存されることができたもの」という世界観は非常に参考になる。物事の見方というのはこうでないとな、と感じる。


比喩としてうまいなぁ、と思ったのは「水が感覚的な事実の世界をあらわし、水面上にある空気は抽象的観念の世界をあらわしているものとしよう。この二つの世界はもちろん現実的にありそして相互に作用し合っている、しかし両者の相互作用はただ両者の境界線で行われているに過ぎない。だから一切のものが生存しまたあらゆることがわれわれの身に起こるその場所は、経験の及ぶかぎりでは、この水にほかならない。われわれは感覚の海のなかを泳いでいる魚みたいなもので、上の方は空気に仕切られており、空気をそのまま呼吸することもできなければ、また空気のなかに入り込むこともできないのである。しかしわれわれが酸素をとるのは空気からである。だから絶えずあっちへ行ったりこっちへ来たりして空気に触れるのである。そして空気に触れる度ごとに決心を新たにしてまた水のなかへ舞い戻るのである」というくだり。ものすごく共感できる。


哲学というのは、本当に頭を使うし、その深淵を覗き込んだ程度の理解しか出来なかった…何にせよ、読書好きの端くれとしては「われわれめいめいにおいてそれほど重要な哲学は単に技術的な問題ではない。それは人生というものの真実の深い意味についてわれわれが多かれ少なかれ暗黙のうちに会得する感じなのである。読書から得られるものはわずかにその一部分でしかない。哲学はわれわれ個人個人が宇宙の緊張圧力の全体を見かつ感ずるまさしくその仕方なのである」の言葉を重く受け止めたい。