世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】宮元健次「日本の美意識」

今年80冊目読了。作家・建築家である筆者が、日本の美の潮流を俯瞰し、心のふるさとに耳をすます一冊。


ちょいちょい「その断言はどうなのか?」と思うくらい、やや「踏み込み過ぎ」な自説の展開と見られる部分もあるものの、全体的にはなかなか興味深い分析が多く、面白く読めた。


日本の美意識について「美しい自然をもつ日本において、日本人はその起源と同時に『自然』に美を見いだした」「優美は、日本人の美意識の基層をなすもの」としつつ「以後、神道と一体になった優美に加えて、仏教と一体となった幽玄の美が主流となっていく」と述べる。


では、仏教がはいってきてどう美意識が変容したか。「人は死んで無になるのではなく、太陽のように生まれ変わると説いた仏教が日本人の心をとらえ、広く普及した」「『もののあはれ』とは、時間的に限りある美をいとおしく思う心を指す」「人は生をうけた瞬間から死に向かう。人生の道はあの世への入口である。『死』があるからこそ、『生』が哀れであり、そうした視点に立った優美こそが『幽玄美』」「幽玄美の表現方法である『余情』あるいは『余白』あるいは滅びつくした『無』をいいかえれば『未完の美』ということができよう」と、その美意識の深まりを分析する。


わかったようでよくわかっていない、侘び寂びという概念については「侘びというのは、挫折や絶望といった不完全性を美として積極的に評価しようといった概念」「芭蕉が旅という『侘び』を実践し、自らを限界まで責めた結果、ついに到達した境地こそが『軽み』。芭蕉は『軽み』によって『侘び』の美意識を『さび』の美意識へ昇華させた」と言われると、そんなものなのか…と感じる。


きれい、という感覚についてはなかなか大胆に提言する。「『美しい』や『かわいい』という表現は古来から用いられてきたのに対し、『きれい』という表現はそれらより新しく、江戸時代はじめに生まれた」「1613年、後陽成天皇の命令により、宮廷建築担当である幕府作事奉行・小堀遠州キリスト教宣教師より西欧技術が伝えられた。①遠近法②見通し線③黄金分割④幾何学的配置など。」「皇族たちを学芸に専念させることで、宮廷全体が学芸専用施設として『虚構化』する」「寛永文化サロンに共通した美意識『きれい』を一言でまとめるならば『虚構としての西洋意匠』」とは驚くばかり。そして、それが明治を迎えるにあたり「古来連綿と続いてきた日本の自然に神仏を見る『優美』の美意識が、西欧的な神不在の自然観へ変質してしまった。以降、日本の知識人の多くが『優美』を忘れ、西欧的な自然観に支配されていく」「文明開化におyって日本人の美意識の根本出会った『優美』は終焉を迎えた」と嘆く。


最近の日本アニメがもてはやされる要素の「かわいい」については「『かはゆし』は、現代で使われる『かわいそう』と同様、同情する気持ちを含んだ美意識である」「『かわいい』と評されるのは、未熟なために助けを必要とするか弱いもの、小さくていまにも惚れてしまいそうなもの、純粋無垢ですぐに汚れてしまいそうなものを『守ってあげたい』と感じる愛着を指している。いいかえれば、それ自体が『未完の美』である」と読み解く。


旅と他界を結びつける考え方は、非常に共感できる。「人は生まれた瞬間から死への旅がはじまる。人生は死への旅である」「日本人にとって旅とは、死霊や祖霊が住む世界への訪問の意味をもっていた」「旅は、いわば現実世界から他界へと向かう行為であり、いいかえれば疑似的な『葬送』を意味する」という旅そのものの位置づけに加えて「日本文化は、茶道や華道、柔道や剣道など『道』をもって説かれることが多い。この道というのも、それらの芸能が旅にたとえられたから」「日本人は古来『死後もまた旅なり』と考えてきた。いわゆる『死出の旅』という仏教思想である」と述べる。


旅行業に携わる者としては「旅は擬似的な他界であり、それにより生命を浄化し、再生する行為である」という言葉は身に染みる。そして、筆者が最後にまとめた「日本人の美意識は『滅びの美学』であるといいかえることができる。人間は『生』を得た瞬間から『死』という滅びにむかって生きるという矛盾を抱えている。そうであるからこそ『生』を尊ぶという考え方が日本の美をつくってきた」という言葉を重く受け止め、今一度、自分なりの死生観にも向き合ってみたい。そんなことを思わせてくれる。これはなかなか深く楽しむことができた。