世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】西岡常一、小原二郎「法隆寺を支えた木」

今年21冊目読了。法隆寺薬師寺の修復工事を務めた「昭和最後の宮大工」と呼ばれる筆者と、千葉大学工学部長・千葉工業大学常任理事を務めた筆者が、日本人と木の関係性を掘り下げて考察する一冊。


途中、あまりにもマニアックな分析にまではいり込んでややだるいが、概ねの主張は非常にスッと入ってくる感じがする。そして、「日本の古い建物を支えるヒノキの木材、良材は、国内に求めてももう無理です。ないも同然なほど、伐りつくされてしまいました。法隆寺薬師寺の再建をまた行うとなると、あと数百年、いや千年以上待たない限り、役立つヒノキは得られません」という森林の状況に、まず愕然とする。


棟梁の「人間ちゅうもんは土から生まれて土に返る。木も土に育って土に返るのや。土をわすれたら、人も木もあらへん。土のありがたさを知らなんでは、ほんとの人間にも、立派な大工にもなれはせん」「昔の日本人が、たくさんの木の中から、粘り強いヒノキを選んで建物に使ったのは、天変地異の経験から教えられたのかも知れません」「鉄やセメントの現時点における強さだけを信じて、木のいのちの長さを忘れたこのごろの新技術を、わたしは悲しく思います」という言葉には、ハッとさせられる。
そして、教授の側は「芸術第一主義では庶民にはとても住めない。庶民は人間であるよりもさきに、まず生物で、生物は本来もっとも泥臭いものだということが、いつの間にか忘れられていた」「冷たい無機質の材料で囲まれた舞台装置のようなインテリアよりも、木やもめんのような素朴な材料で囲まれた泥臭さの中に、なにか人間の本質というったものがひそんでいる」という分析を加える。


木という独特の素材について「木材というものは自然の形のままで使ったときが一番よくて、手を加えれば加えるほど本来のよさが失われていくのではないか」「飛鳥の工人たちはまず土を見て、根を通して吸い上げられる水の音を聞き分ける心構えで、よい木を選んだのであろう」と見るあたりは、自然を大事にする過去の価値観をあらためて問いかけてくる。


西洋と日本の違いについては「ヨーロッパ人は木を見たとき、まずこれを工業材料として考えるが、日本人は工芸材料として受け取る。つまり木を手にして第一に気になるのは、美しいかどうかということである」「西洋においては黒檀や紅木のように見た目の美しい材が珍重されたけれども、日本ではごくふつうの木材の中の目立たない優秀さに着目して、適材を適所に使い分けていた」とみる。
そのうえで「わたしたちがこのように木を愛する心情の根底には、植物も動物も人間も、もともとはおなじ根から出た自然の中の仮の姿であって、すべての生命は永遠の時間の中でつながっているという、仏教の輪廻の思想とかかわりがあるように思う」「すべてのものは、人間とおなじように限りあるはかないものと知っているから、木のような朽ちて自然に還る材料に心を惹かれたのである。木は仏教の無常観に通ずるものを持っていたわけである」という洞察は、非常に肌合いのよいものであり、日本人らしい心情だろう。


人間にも通じる話として「年相応の形をしている木は、皮から芯まで充実しています。古木でありながら、若々しく青々と歯に勢いのある木は、きまって芯がからっぽなんです。空洞であれば、木の皮だけを養えばよいから、養分が見てくれの外観にあふれて、若木のように見えるのではないでしょうか」はそうだなぁと感じる。若作りを良しとしがちな現代の風潮を、木の観察からバッサリ切り捨てた、といったところか。


子育て中の身としては「『保護をすれば弱くなる』、というのは生物学の原則である。ただ大事にするだけが、真の幸福につながるものではない」という一文を心に留めおきたい。