世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】柏井壽「京都 奥の迷い道」

今年42冊目読了。歯科医師にして、生粋の京都人として京都案内本を多数執筆する筆者が、街から離れて「穴場」を歩くことを提唱する一冊。


メジャーどころからマニアックまで色々あるが、なかなか興味深く読むことができた。京都に住んでいるのだから、と、さっそく活用させてもらった。


筆者の主張「京都は『歩く街』である。歩いてこそ、その価値をたしかめることができる街だ」「賑やかな通りに面した小さな神社ひとつにも、平安の世から今に至る女性の変遷などを垣間見ることができ、感慨を深くする。通り歩きの醍醐味である」には同意する。実際、歩くことで見える景色は多い。


恥ずかしながら「天龍寺は度重なる火災に見舞われた。大火だけでも8度である。結果、寺のほとんどは焼失してしまった。わけても応仁の乱での被害は甚大で、復興には長い歳月を要した。ようやく再建されようとしていた矢先、蛤御門の変で伽藍が焼失してしまう。それというのも、長州藩が当寺にに陣を置いたことで兵火に遭うという不運に見舞われた」は知らなかった。また、柴葉漬けについての「赤紫蘇の葉を塩漬けにしたそれは、御所を思わせる紫色。きっと里人たちは、建礼門院徳子にかつての誇りを取り戻させようという思いで、これを献上したのだろう。里人たちの心遣いにいたく感動した徳子は、これを<紫葉漬け>と命名し、大原の名産とするよう、村人たちに伝えた」や、「門跡とは、皇族や貴族が住職を務める、特定の寺院のことをいう。元を辿れば、日本における仏教の開祖の正式な後継者を指した。鎌倉時代になって、位階の高い寺院そのものをいうようになり、それらの寺院を門跡寺院と呼ぶようになった」のあたりもうろ覚え。不勉強を恥じるばかり。


余談ながら「多くの神社は参拝料を取ることもなく自由に境内を見て回ることができるが、その維持費は少額ではおさまらないだろう。氏子の寄進や篤志家の善意に頼るしかないのが現実」は全く同感。


本筋ではないが「口コミサイトの評価だとか、メディアの喧伝に惑わされ、行列店、人気店に集中する愚は、そろそろ卒業したほうがいい。そうでないと、本当に美味しいものとはどういう味わいなのかが分からなくなってしまう」はそのとおりだなぁ、と感じつつ、ついついそう生きてしまう自分がいる…