世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】津本陽「最強の英傑たちに学ぶ勝ちの掟」

今年43冊目読了。直木賞受賞作家の筆者が、戦国の三英傑や武将たちに教訓を求める一冊。


図書館で見つけて、ちょっと面白いかなと思ったが、正直、けっこう期待外れだった…


信長については「生涯を通じ『戦いの勝敗というものは、戦場へ出るまでに七割がた決まっている』と言っていた」「信長は何物にも絶対的な価値を認めない人物であった。領国、金銀、官位など、自分の置かれた状況に応じて、それらがどれほどまで利用できるかという、利用価値の判断をするのみであった。」「信長は常識にそむき、前例を無視することを怖れず、専門家たちを自在につかいこなす、偉大な素人であった」「信長は軍学を嫌い、無学であった。彼はわが感性のみで、乱世を縦横にきりひらいたが、わきかえるような生存闘争のなかで生き残れたのは、常人のまねのできないほどの用心深い性格であったためである」「信長は衣食住にあらわす贅沢には、まったく興味をあらわさない、倹約家である。贅沢をするのは、みずからの権威と富力を誇示して、他者を威服させようと考えるとき」と、手放しで絶賛する。


が、秀吉については、いろいろ述べるものの「彼は主人が望むところを告げられる前に、みずから察してそれをおこなった」「彼が信長から異例の抜擢をうけたのは、部下の信望を得たためである。他者への慈愛は、出世の階段を駆け上るための二つ目の条件」という程度。


家康についても「彼は強者に従い、その影で翼を休めながら、生き抜く道をきりひらいていった」「家康は大事を決行するとき、石橋を叩いてたたき割らんばかりの、慎重な姿勢を取る癖があった」「家康は幼少の頃から織田、今川の人質となり、松平譜代衆を率い辛酸をなめてきた。その間に、危急に際してもうろたえることなく、地面に根をはやしたかのような不動の粘り腰を鍛えた」くらいでしかない。これは不公平ではなかろうか。


その他で気になったのは「インテリは状況判断が明確であるだけに、発想が平凡になりがちである。野武士と呼ばれるゲリラには、侍とは違った情報源、知恵がある。彼らは土壇場まで粘りに粘って、侍の思いもつかない奇想天外の戦術を用い、敵を圧倒し、一気に攻守ところを変える爆発力を見せる」「戦場でのむごたらしい死の有様を見た大名たちは、たとえ生存競争に勝ったとしても人生は夢のように頼りがたいものであると覚っていた」のあたり。


余談ながら、「北条氏が、三代の間でめざましい発展を遂げたのは、国富が周辺の国々よりもはるかにぬきんでていたことによる。北条氏の領国が富裕であったのは、初代早雲以来、租税を軽くしていたためである。領民は安心してはたらくことがで、自然に産業がさかんになっていった」は岸田総理に聞かせてやりたい…