世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】安田元久「北条義時」

今年37冊目読了。元学習院大学学長の歴史学者が、北条義時の一生を読み解く一冊。


大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にハマっているので、ついついこの本も読んでみた。「義時の生涯を語ることは、武家政権の基礎確立の歴史を見ることに他ならない」というコンセプトを、1986年に書き上げていたのが凄い。


平家政権の崩壊については「平清盛は彼を支持した新興の武家勢力そのものによって崩壊の一途をたどっていた律令体制を否定せず、むしろその枢機にたつことに努めた」「貴族政権内部にその政治的地位を求め、貴族社会の中でその政権を確立することに努めた平氏は、その目的を達したとき、もはや地方に成長した在地武士、とくに豪族的武士を、直接的にかつ強力に把握する途を失っていた」が原因と指摘。
それが「義時ばかりでなく、北条一門が頼朝を支援したのは、たんに平氏を追滅して源氏の政権を樹立するためではなかろう。頼朝を利用することによって、真に武士階級の利害を代表する政権を作り上げることこそ、彼らの終局の目的であった」という坂東武者の動きとなる。


義時の気質については「北条氏の事績を称揚するため粉飾をまじえる傾向が強い『吾妻鏡』にも、少壮気鋭の義時の武勇、あるいは戦場における彼の武勲が見当たらないという事実は、むしろ義時がはじめから戦略家、あるいは政略家としての資質を具え、一般の東国武士の如く武威の顕現のみをこととするものとは、性格を異にしたことを物語る」「冷静にして果断、大事件に際しての沈思の深さと、断行の迅速さなど、その天性の故に、頼朝に信頼された。しかしこのような天資に、一層の磨きがかかるには、頼朝との日常における親近関係が大きな役割を果たしたのではなかろうか。また義時におけるすぐれた政治的洞察力、あるいは、まさに陰険とまで見られるところの政治的謀略の能力は、少なからず政治家頼朝の影響力のもとで培われたもの」と分析。「義時が頼朝の信頼を得たのは、御家人の分際を充分にわきまえた上で、将軍頼朝に対する忠勤を励んだから」と述べる。


源氏政権の危うさについては「豪族的領主と、文筆を主とする側近職員は頼朝の独裁制の中で互いに相矛盾し、御家人の相互間も個人的対立があった。すべての矛盾と対立は、頼朝という結び目に結集することで一応の安定が保たれていた。それ故に、その頼朝自体の存在が失われたとき、その矛盾・対立が表面化し、また激化するのも必然」と、頼朝のカリスマぶり故の不安定さを指摘。二代目の「頼家にとって、時政や義時は祖父及び叔父であるばかりでなく、将軍が寵愛するグループとも密接に繋がり、他方、東国の豪族的武士層の利害を代表すべき立場を示すところの、きわめて扱い難い存在」であったり、三代目の「北条氏としては実朝を将軍として、幕政を自由に行うために、頼家の存在を否定しなければならなかった」「実朝の初政において北条・大江両氏が他の御家人に抜きんでて、幕政の枢機に任ずる地位を占めていた」と、冷静に見抜く。


そして、執権として「義時が執権となったときの問題は、一つには武家政権内部における統制力の復活、一つには武家政権を公家政権に優越させ、名実ともに全国的政権として確立させること」という状況にありつつも、「義時が成長していったのは、峻厳な態度と、温情ある人間性との見事な調和」という力で実権をゆるぎないものとしていく。


承久の乱に向かう際に「京都貴族たちの偽らざる本心は、政治権力機構としての鎌倉政権の存在を否定するところにあった」という思いがあった以上、この対立は不可避だったのだろう。「軍事力の上からみれば義時の勝算はまず間違いないであろう。しかしここに一つの、しかも最も重大な障碍があった。それは『一天万乗の君』に向かって攻撃をしかけることの不利である。中世の武士たちの意識の中にも、天皇上皇に向かって弓を引くことを、道徳的な悪であるとする傾向は強く、決定的であった」という中においても、敢然と立ち向かった義時の精神力には感服する。
戦後処理においても「幕府が後鳥羽上皇の罪を考えていたことは明らかであるが、皇室を正面の敵とすることは赦されない。幕府としては、あくまでも君側の奸を除くのが第一次的な目的である」と、配慮をにじませる。


結局、義時とはどのような人物だったのか。「一か八かの関頭に立たされ、そこには天皇に敵対する恐怖感と、政治家的理性との内心における争いを克服したのちの、かえって冷静な判断が生まれていたのではなかろうか」「義時追討の宣旨の前にも、ほとんど動揺を示さなかった幕府の統制力は、この軍事行動を通じて、一層強固なものとなった。しかも、今や幕府の統制の中心が、形式的な将軍よりも、むしろ実際の政治的独裁者たる執権義時であることが、現実に示されたのである」「義時は、すぐれた武家政治家であり、変革の時代に、新興の階級を指導していく政治的指導者にふさわしい、真面目な人間であった。彼には政治家に必要な長所ばかり目立って、人間的にどこか間が抜けるとか、大きな欠陥は見当たらない。それだけ、彼は人間味の乏しい、また面白みの感ぜられない人物として印象付けられる」というのは、面白い洞察だ。


大河ドラマと並行して、ぜひ、押さえておきたい一冊だ。