世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】ジャック・アタリ「食の歴史」

今年76冊目読了。フランス大統領顧問、欧州復興開発銀行初代総裁などを歴任した筆者が、人類はこれまで何を食べてきたのか、これから何を食べるのか、を読み解く一冊。


「人々のアイデンティティを長年にわたって形成してきたのは、領土、風土、植生、動物、そして料理法や食事法」であり、それは進化してきた。「火の利用によって大きな変化ぎ訪れた。食物が消化しやすくなったため、脳はさらに多くのエネルギーを利用できるようになり、毒性のある植物を食べられるようになった。そして夜は、皆で火を囲んで1日を長く利用できるようになった。炉は会話を促し、言語と神話を生み出した」「定住化は、人口増から生じる食料需要の増加によって引き起こされる当然の帰結だった」「増え続ける人口を養うには、食糧を増産しなければならなかった。そのためには、新たな統治形態が必要になった。それは帝国である」と、人間の進化と食は密接不可分であることがわかる。


その食事を大きく変えたのはアメリカ資本主義と指摘。「アメリカは食物そのものだけでなく、人々の食べ方に大きな影響を及ぼし、世界の文化、社会、政治を一変させた。人々は、食事にかける時間を短縮し、身体に悪い(工業化の進んだ)食品を食べ、可処分所得に占める食費の割合を削減した」「消費者は、住居、衣服、交通、娯楽などの費用のために、食費を減らさなければならなかった。だからこそ、食は簡素化されて似通ったものになり、食の存在価値は弱まった」という流れから「ファストフード店で提供される食物は、脂肪分、塩分、糖分が高い。顧客が安い値段で食欲を満たせるように、冴えない食材を利用する。だが、顧客はファストフードの虜になる。味の価値が低下したため、従来型レストランからファストフード店への移行が加速した」「会食、すなわち議論の場がなくなったちめ、共通の認識を培うことがきわめて難しくなった。孤独は食べる量を増やす。人々は手当たり次第、何でも食べ、どんな食物でも購入するようになった。消費社会にとって、食卓で食事をしなくなったことは好都合」という帰結を見せられると、空恐ろしくなる…


そして、現在。「食堂の消滅とともに、食卓で食べる機会は減りつつある。家族が食卓についても、各自が別々の食物を、テレビを見ながら食べるようになった。食事の消滅の家族の崩壊は相関している」「食生活は、他の活動や娯楽の付属的な行為になり、食事という形式は風化しつつある。スマートフォンと画面を常時眺めながら、だらだら少しずつ食べるようになった」「食物の品質を重視しない国々は、力強い経済成長を謳歌したが、文化的なアイデンティティを失った。これらの国とは反対に、食を愛し、食卓ですごす時間を楽しむ国々では、労働時間は短く、商業的な成長の面では劣ったが、自国のアイデンティティは維持された(フランス、イタリアなど)」「自然を画一化した食の画一化は、ショックや危機に対して自然がもつ抵抗力を奪った」は、恐ろしいが、確かにその通りだ…日々のことなので、つい流されていたが、これはまずい、と気付かされる。


今後の見通しも、暗い。「食生活のあり方は、5つに区別できる。①裕福な美食家。腕の立つ料理人のレストラン料理を味わう②体に良いものしか食べない食通。自分たち以外のことを真剣に心配しない③富裕層や食通を真似る上位中産階級④多数派の下位中産階級。工業的に製造される食品の主な顧客⑤最貧層。食品業界が提供する劣悪な食品を食べる」「昆虫食が推進される。昆虫は、タンパク質など栄養が豊富で、動物よりも捕獲と飼育が容易で、生育する際に必要な水の量が動物より少ない」「人々は、孤独感を紛らわせ、物足りなさを埋め合わせるために、麻薬中の麻薬とも言える工業製品の砂糖を大量に消費し続ける」「人々は各自の都合の良い時間に、ちびりちびりと食べるものを冷蔵庫や自販機から取り出して食べるようになる。食物は、個食、持ち運び可能、すぐに食べられるという要望に見合うように加工される」「人々が集う食事のうち、存続するのは宗教行事、家族の行事、結婚式、誕生祝い、葬式のときの会食」などは、既に始まっている、とも言える。
「われわれは、社会が個人の健康を監視する社会で暮らすことになる。長寿を約束する独裁者に身を委ねるのだ。長寿の対価として、われわれは、話す、聞く、意見を交わす、感情を抱く、愛する、楽しむ、叫ぶ、苦しむ、背くなどの、本当に生きるという行為を断念しなければならない」「民主主義にとって、より多くのモノを売らんとして、資本主義が人々を沈黙に追い込むのを放置すること以上に危険な行為はない」という警告も、全く脅しに聞こえないくらいリアルだ…


では、どうすれば良いか。「食は、人生と自然を分かち合う一つの方法であり、体と心を最善の状態にするための手段であり、自然との触れ合いを見直し、これを失わないようにするための貴重な機会」ということを強く認識した上で「糖分なしで健やかな暮らしを好き送るのは難しい。糖分を摂取すると、自己を制御しやすくなるから。なので、砂糖に変わるものを見つける必要がある」「食物の無駄を減らし、地産地消を優先し、肉食を減らし、季節の果物や野菜を食べ、温室効果ガス排出を削減する」「ゆっくり食べる。よく噛んで、時間をかけて食べることで、食べすぎを防ぐ」「会話で健全な食を促す。我々は会話によって自分たちの食を正しく知ることができる」「食品業界が有無を言わさず押し付ける食品に異議を唱える」「飽食の社会で暮らす人が節食するのは、本人ならびに地球環境にとって有益。定期的に、1日のうち連続14時間は何も食べないというような、連続的で秩序立った断食が効果的」などと提言する。
難しいように感じるが、「すべての答えは、われわれの歴史、そして、各自の明晰さ、反骨精神、勇気に宿る」の言葉に力をもらって、進むしかないんだろうな。


コロナ禍真っ只中で、会食が悪とされる日本にいると、「話すことと食べることは不可分であり、権力と性行為、生と死という人間の本質に還元される」「食事中の会話は親交の証」「食事は出会いと会話の場であり、これは世界中の旅先においても同様」というモノがぶった切られでいて、本当に生き苦しい。そして、こうした歴史が積み上げてきたものが、アフターコロナで「個食」に駆逐されないようにしないといけない、と強く感じる。


筆者の叡智と強いメッセージが印象的だが、地域・過去の掘り下げも楽しめる。「ギリシア人は、酩酊状態を三つの段階に分けた。一つめは、抑圧から解放されて自由に発言する段階だ。二つめは覚醒する段階だ。三つめは酩酊するだんかいで、これは創造性の段階と見做された」「ラテン語の『安定的に位置づける、強くする、強固にする』という意味の『staurare』に接頭辞の『re(再び)』を付けると『restaurer』という動詞になる。その現在分詞が『restaurant;レストラン』」はその一例だが、筆者の博覧強記ぶりには舌を巻くばかり。


本当に面白く、これは是非一読をお薦めしたい。