世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】福田充「新版 メディアとテロリズム」

今年3冊目読了。日本大学危機感理学部教授、同大学院危機管理学研究科教授の筆者が、テロの歴史とそれを報じるメディアの負のスパイラルを脱する道を探る一冊。


安倍晋三元首相襲撃事件、岸田文雄首相襲撃事件を受け、2009年の本に加筆されたものであるが、その切実さは今なお健在どころか、さらに重くなっていると感じる。


筆者の指摘「日本では歴史的の要人暗殺は繰り返されてきた。戦後日本の民主主義社会において首相クラスの要人暗殺テロは発生しなくなっていたが、今後『要人暗殺テロ』が日本において復活する可能性がある。それは同時に、治安大国日本という幻想が崩壊することを意味している」で、なるほど確かに治安大国なんていうのは本当に虚構だなぁと痛感。


テロリズムとは「世界の注目を集めるために事件を起こし、それを報道するメディアを通じて、自分たちの犯行声明やメッセージを報道させることによって、社会に対して不安や恐怖を与え、そして自分たちの主張の正当性を訴え、闘争を継続させて勝利をつかむために行われる一連のプロセス」「言論を奪われた、外部へのメッセージの発信が困難な状況にある社会的勢力が、その言論の場を暴力的に取り戻そうとする行動」と定義。
テロとメディアの関係を「テロ事件が発生すれば、テレビや新聞などメディアはジャーナリズムの使命として報道せざるを得ない。そして、視聴者はメディアを通じてそのテロ事件に目を奪われる。その結果、テロリストが目論んだテロリズムのメッセージを世界に伝えることに成功する」「グローバル・メディアであるテレビやインターネットの存在こそが、国際テロ組織によるグローバル・テロリズムを可能にしている」「テロリズムはテロリストが積極的にメディアを利用することによって、メディアイベントに変容する。そこでは、テロリストのパフォーマーも、それを伝えるメディアも、それを視聴している観客である一般市民も、テロリズムという名のメディアイベントを構成するひとつの要素となる」と読み解く。


そして、現代においては「人は個人で決定不能に陥ったとき、社会的繋がりに依存する。そして、世界中の人が同じように感じ、情報を求めていることを知り、安心する。現代におけるテロリズムとメディアを考えるとき、新しい変数として機能しているのがインターネット」という問題がさらにややこしい状況を生み出している。インターネットは人に利便をもたらしたが、ユートピアは全くもたらしていない…


テロ問題の難しさとして、どちらから見るか?という問題提起は秀逸。確かに「世界のテロリズムの動向は、一国覇権主義を維持する超大国アメリカの安全保障政策に対する中東諸国、アジア諸国のひとつのリアクション」「アメリカ政府は、チベット問題を『人権問題』と認識しているのに対して、ウイグル民族運動組織に対しては『テロ問題』と指定している」「オウム真理教事件のメディア報道は、治安問題フレームか、宗教問題フレームか」「見方や立場が変われば、事件の解釈が異なる。これがテロリズム問題の難しいところ」「メディアが設定したフレーム次第で、視聴者がもつ印象や心理的反応を操作することが可能」というとおりだからなぁ。
そして、日本の特殊性にも言及。「日本には、赤穂浪士の行動は義挙であり、テロリズムとはみなされない歴史的文化がある。この文化が日本におけるテロリズム対策を難しくしている側面もある」「日本文化の特徴は、テロリストの正義感や義侠心を読み取ろうとするところである」「よど号ハイジャック事件は、国際的な視点から見れば、テロリズムが過激化し、世界に拡散し国際テロリズムに変容した重大なターニングポイントであり、スタートライン」と述べられると、なかなか否定できない…難しいなぁ…


そんな現代において、どうすればよいのか。筆者は、特に日本の問題点について「民主主義において、『安全・安心』という価値と、『自由・人権』という価値のバランスをどのようにとるか、徹底的に議論しなければならない」「日本では、テロリズムや戦争などの問題に関して、政府もメディアもお互いが腫れ物に触るような態度で、見て見ぬふりしてやり過ごしている現実がある。その結果、テロリズムの問題は戦後長い間、両者にとってタブーのまま残され続けてきた」「日本では、新聞社やテレビ局の国民保護計画には簡単なお題目があるだけで、中身はないに等しい。そのようなメディアを、危機事態において一般市民は信用できるのか」と鋭く指摘。「テロリズムとメディアの問題は政府だけでなく、メディアだけでなく、国民一人一人も参加した形で、幅広く声を集め、客観的かつ冷静に議論が尽くされなければならない」と呼びかけるあたりは、確かに必要なことだと感じる。


個人レベルにおいては「『情報の不在』『情報の空白』が一体何を意味するのか。情報がないことから自体を読むメディアリテラシーも、私たちには必要」「消費者はメディアのCMやニュースによって、不安を煽られ、不安を回避するために安全な商品を買う。メディアはこのようなマッチポンプ的な役割を演じ、その結果、消費者は踊らされる。これはテロリズムとメディアの問題と相似的な構造を持つ」のあたりの指摘が非常に意識すべきところだと思った。