世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】保阪正康「戦争の近現代史」

今年4冊目読了。昭和史を語り継ぐ会主宰にしてノンフィクション作家の筆者が、「日本人は戦いをやめられるのか?」という命題に挑戦する一冊。


戦争について「人類の争いごとは①食べ物②種族の保存・維持③安心感や尊厳、に絞られる」としたうえで、現代にいい手「私たちは、2つの問題への態度が問われている。一つは『核抑止力下の平和論』の危機と、もう一つは『クラウゼヴィッツ戦争論』の崩壊と新たな戦争論の確立」と、その危機感を明らかにする。


なぜ、日本はこんなひどい戦争をしたのか。「近代日本は軍事哲学、軍事思想を作れなかった。あったのは『勝つまで戦争する』という極めて狭い発想だけ」。この背景として「軍事が政治より20年ほど先行してスタートした」ということを指摘する。それでも、日清戦争日露戦争のころは「戦争遂行の根幹にあるのは『主権線と利益線』を守るという考え方」が存在した。ところが、20世紀初頭の戦争(※筆者は、第一次大戦は、人類社会が戦争というものを通じて、新しい時代に入ったが、戦後処理が中途半端だったために、第二次大戦が起こったと捉えている)では「日本は『国家が豊かになるためには戦争をやればいい』『日清戦争日露戦争を通し、戦争をすることによって、興産立国、産業立国ができると覚えてしまった』」。確かにそうだな…


しかし、なぜ明治と昭和でこんな変容をしてしまったのか。筆者が挙げる「昭和は、士族の出身ではない人が軍の指導者になった。彼らは士族の出身でないことに屈辱感、劣等感があった。それを打ち消すために爵位が必要だった」「軍事が栄達と関わり合う故に『戦争に勝つこと』そのものが目的になり、『戦争をしない』という軍事のあり方を模索する軍人は評価されない」「日本の軍事はすべてが上部構造で決まり、下部構造を支える兵士たちは、与えられた命令に従うのみだった。それでも一所懸命に戦った兵隊たちの真面目さ、けなげさは、ある意味で日本人の美徳。その美徳が、軍事指導者たちに徹底的に利用された」「日本軍の組織原理はかなり卑劣。軍の上層部は兵隊たちに死ぬことを強要する一方で、自分たちは死なないことを考えていた」のあたりの記述は納得できる。そして、なぜこんな理不尽な軍隊になったのか。筆者は「①天皇を利用しての無責任体系の確立②陸大の成績で恩賜組が自在に作戦を振り回したこと③陸大の軍事教育が兵站を考えずに作戦だけを重視したこと」と喝破する。
近代日本の失敗は「①軍事学に対して理論的な構えが甘すぎた②戦争に行った兵隊たちへの連隊の感情を持っていない③戦争が終わった後、きちんと文書化して、国民的財産にしていない」「常識から考えたとき、近代日本の誤りは、軍事システムと教育と人材にあったことがわかる」は冷静な分析だと感じる。


日本の現代に息づく危険性として筆者が述べる「危急の事態にどう対応するか、への答えを持っていないことは、太平洋戦争を含めた近代日本の戦争をどう継承してきたかに問題があったことを物語っている」「日本国も国民も歴史資料を残すことに関して、お粗末なほど鈍感、ある意味では無責任」「日本の歴史教育の本質的な問題は『政治的な理由で、自国の歴史を子供に教えることを避ける』という無責任さ」「犯人の行為が『義挙』となったとき、法体系さえ無視した暴力により平時の社会が崩壊していくという経験を、かつての日本がしている。義挙には『動機が正しい』という評価軸があるが、動機が正しければ何をやってもいいというのであれば、無法状態がもたらされるのは火を見るより明らか」は全くそのとおり。空恐ろしくなってくる…


では、これからどうなっていくか。筆者は「東西冷戦が終わり、局地的な紛争はむしろ増えていった。それらの紛争は民族と宗教が原因になっている。しかし、プーチンは『巨大なロシア帝国』という幻想のなかで、ソ連崩壊で失ったものを、再び自分たちの側に組み込もうとした」と現状を整理。「アイデンティティが曖昧な人は、仮に体制がファシズムになったとしても、いの一番にその傾向に巻き込まれてしまう恐れがある。また、歴史に対する見方が欠けていると『今、目の前にあることをやればいい。明日のことは明日考える』という刹那的な毎日を繰り返すだけになる。そういう人間ばかりになれば、根無し草の社会になってしまう」と警鐘を鳴らす。
それに対してどうすべきか。筆者は「昭和後期の歴史的解釈の葛藤期が終わり、戦争体験世代の歴史解釈と継承に内容を変える時代になる。そして、戦争体験を持たない世代にも継承されるような新しい普遍的な視点を追求する時代が登場してくる。そのための覚悟と責任の自覚が、私たちに求められる」「戦争体験を継承するには、生活に追われて歴史どころではない国民があふれていてはどうにもならない。一部の富裕層だけが突出するのではなく、国民全体が経済的にある程度安定した社会基盤が必要になる。その基盤の上に安定した歴史観が生まれる」と指摘する。


筆者が繰り返している「『戦争学』がない戦争は、たんなる暴力行為。軍事がたんなる暴力と一線を引くには、それを支えるきちんとした政治的な思想、人間的な思想があるかどうか、また『政治のなかの軍事』という捉え方を正確にできるかにかかっている」は、深く心に刻みたい。