世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】久坂部羊「人はどう老いるのか」

今年116冊目読了。医師にして小説家の筆者が、医者はホントは知っている楽な老い方、苦しむ老い方を解き明かす一冊。


筆者の「人はどう死ぬのか」があまりにも心に響いたので読んでみたら、こちらも読み応え十分の良書だ。


最近の若造り絶対という風潮に対しては「上手において穏やかにすごしている人は、ある種の達観を抱いている。決していつまでも元気を目指して頑張っている人ではない。いつまでも元気にこだわると、いずれ敗北の憂き目を見る」「欲望肯定主義に乗せられて、いつまでも元気で若々しくさわやかに快適になどと思っていると、目の前の日々は不平不満に塗り込められる」と、痛烈に批判を寄せる。


そのうえで、実際に終末医療に携わった経験に基づき「いつまでも死なないというのは、実際、つらくて苦しいもの」「痛みや不如意があっても、こころの準備がある人は、ある程度、うつ病にならずに受け止められる。心の準備のない人、すなわちいつまでも元気でいられると思っていた人は、『なんでこんなことに』とよけいな嘆きを抱えるので、うつ病になる危険が高まる」「『徘徊』とは『目的もなく歩き回ること』だが、認知症の高齢者は、それぞれ歩き回る目的がある」「認知症にかぎらず、人は『ダメ』と言われるとやりたくなる」「いつまでも明晰だと、老いのつらさ、惨めさが如実に意識され、不快な過去と不安な未来に苦しめられるのに対し、認知症になるといっさいが消えて、“今”だけの存在になる」と述べるあたりは『知らない』故の死への幻想を打ち破る。


老いに対してこじらせないためには「いくら精神的な支えがあっても、想定外のトラブルを起こされるとつい感情的になるのが人間。であれば、前もって想定の範囲を思い切り広げて、何があっても想定内という状態にしておけば、少しは楽に受け止められる」「知らないということが、事態を無駄に悪化させる」という主張は確かにそうなんだろうな。


筆者は終末医療に関わった経験から、老いに対して「歳を重ねるということは、人としての成熟であるという価値観が広がれば、若者も高齢者を敬う気持ちを持つ。しかし、現代は若さや強さや美しさが価値の基準になっているので、老いて弱って醜くなる一方の高齢者は、人間としての価値が下がる一方で、ますます尊敬されない」「ほんとうに敬老精神を養うには、まず高齢者自身が尊敬に値する存在にならなければならない。自らの老い、苦痛、不如意を泰然と受け入れ、名誉や利得を捨て、怒らず、威張らず、自慢せず、若者に道を譲り、己の運命に逆らわない心の余裕を持つこと」「はじまったものはいつかは終わる。それは致し方ないことで、未練は無駄で、抵抗すればよけいに苦しむ。そのときがいつ来てもいいように、今できることは、目の前にベストを尽くし、悔いを残さないようにすること」「きっとうまくいく、まだチャンスはあると、前向きな姿勢も大事だが、危機管理として最悪な状況も意識しておくことは、とくに老いや死のように厳しい現実に立ち向かわなければならないときは、必要なこと」「実は今がいちばん幸福なんだと気づけば、これからどう老いるべきか考えずに済む。幸福に浸っているときは、人はあれこれ考えない」と、かなり突き放した・しかし現実的な見解を展開する。これは確かに若造り絶対主義では届かない境地だな。


そして、死に対しても「死を容認することは本能に反することだし、少しでも命を延ばす手立てがあるなら、すべて試すべきだというのが一般的な感覚かもしれないが、そのことで死にゆく人に余計な苦しみを与えてもよいのか」「家族が大切な身内に死んで欲しくないという思いは当然のことだが、それは見方を変えれば、家族の切なる願い、強い要望であると同時に、酷な言い方かもしれないが、欲望と執着、すなわちエゴ」と冷徹に見えながら、最終的にはヒューマニズムあふれる説を展開する。


それにしても。医療従事者たる筆者が「認知症の予防として確実に有効なものはない」「医療も医学も必ずしも万能ではないし、当てにしすぎると裏切られることもある」「医療は死に対しては無力。それどころか、よけいな医療(死を遠ざけようとする処置)は死にゆく患者を苦しめるばかり」「医療も営利で成り立つ業界なので、顧客を増やすのに熱心なのは致し方ないが、偏った情報やあざとい手法で一般の人を不安に陥れ、必要がない人まで医療に導き入れることには疑問」と述べるのは、かなり勇気が必要なことだったんだろうな…でも、それ故に理解が深まるのもまた事実。


心に残ったのは「戦前の日本は命を粗末にする国だった。それは武士が切腹をしていた時代から続くものだろうが、戦陣訓の『生きて虜囚の辱めを受けず』や、特攻隊の出撃などは、明らかに命を粗末にしすぎだった。それが敗戦後、百八十度転換して、今度は命を大事にしすぎる国になった。あなたを大事にしすぎて何が悪いというのは原則論で、各論では命を大事にしすぎることの弊害がいろいろある」というところ。確かに、過ぎたるは及ばざるがごとし…なるほどなぁ…