世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】飯田一史「『若者の読書離れ』というウソ」

今年83冊目読了。出版産業などについてのライターが、中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるかを分析する一冊。


新聞で紹介され、標題に惹かれて読んでみたら、自分がいかに『思い込み』の世界に生きているか、ということを痛感させられた…本当に自分の認識は雑で適当だ、と反省する次第。


筆者の問題提起「子どもや若者の読書をめぐる論評や施策についての問題は、実態ではなくイメージに基づいた提言がされていること、当事者たちの気持ちに寄り添うことなく"べき論'"や"打ち手"、評価から入っていること」は、何事にも通用すると感じる。


読書についての「1980年代から1990年代にかけて本離れが進み、1990年代末には平均読書冊数と不読率は史上最悪の数字となる。しかし、2000年代にはどちらもV字回復を遂げ、2010年代になると平均読書冊数は小学生は史上最高を更新、中学生は微増傾向を続け、高校生はほぼ横ばいだが、過去と比べて『本離れが進行している』とは言えない」「朝読で、小中学生の8割は学校で半ば強制的に本を読む時間がある。したがって、学校生活や自治体の計画に読書推進が組み込まれていなかった1990年代までと比べて、この年代の不読率が激減するのは当然」という言及は、いかに自分の時代からすべてを見るのが誤りか、を痛感させられる。


驚くのは「子どもの読書量に対して、環境要因からの影響はほぼ確認できず、遺伝的影響だけが『影響があった』と統計的にみなせる」「出版不況の本質は雑誌需要の大幅な減少と可処分所得の減少であり、書籍の読書量は大人も若者も減っていない」という言及。そうなんだ、と驚くしかない…


情動・衝動優位である中高生が好むフィクションが満たすニーズは「①正負両方に感情を揺さぶる②思春期の自意識、反抗心、本音に訴える③読む前から得られる感情がわかり、読みやすい」。それに応える人気の本の型は「①自意識+どんでん返し+真情爆発②子どもが大人に勝つ③デスゲーム、サバイバル、脱出ゲーム④『余命もの(死亡確定ロマンス)』と 『死者との再会・交流』」は、考えたこともなかったので、なるほどと驚くしかない。
そして「誰かに本音を吐露し、感情を交わし合いたいという若者のニーズは根強くある。にもかかわらず、ズケズケと相手の内面に踏み込み、本音をぶつけ、感情を互いに昂らせ、分かち合う関係は、虚構のなかにしかほとんど存在しないー現実には『ありえない』ものになっている」は、SNS時代でも『人は繋がりたい』という本能が変わらないことを感じる…
筆者が指摘する「中高生が読む小説以外の人気本は①勉強や受験に関する情報、(主に理科の)知識にエンタメ要素を交えたもの②競争を煽らず、思春期の気持ちに寄り添うかたちで、身近な実例と『できそう』と思える手順を組み合わせて、『生き方』を示したもの③恋愛や人生についてのエモいポエム」という視点があれば、ティーンズコーナーを見る眼も変わりそうだ。


そのほかにも「児童文庫を中学生も読むのが当たり前になったのは、児童文庫レーベルが増えたことと、マンガやアニメ、ゲームのノベライズが刊行されることが増えたこと」「映画版のノベライズを児童文庫で出すのは、2時間の映画を小説化すると、児童文庫一冊分の尺にちょうど収まるから」のあたりは、なるほどなぁと感嘆するしかない。


そもそも論として「教育の二大原理は『卓越性』と『公正』の追求。ざっくり意訳すれば『個人最適』の追求と『全員を救うこと』の追求」の指摘は至当だし、「『平均的な中高生から見えている本の世界』は、月に2桁以上の冊数を当たり前に読む『本好き』から見えている世界、読書家が好むような本の世界とはあまりに隔たりがある」「学校や図書館は、『こういうものを読んでほしい、学んでほしい』といった規範を子どもに押しつけがち」は耳が痛い…


結局、大事なのは「『当事者の側から捉えると、景色が見える』『受け手の捉え方と送り手の捉え方には差異がある』」という認識なんだろうな。新書ながら、非常に勉強になる本だった。