世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】アドルフ・ヒトラー「わが闘争(上下)」

今年54、55冊目読了。世界を地獄に叩き落とした政治家の、根本となる考えを書き著した本。


言うまでもなく悪魔の書であり、佐藤優「危ない読書」が薦めるほどの本だが、訳者の「戦争体験なき世代こそ、この書を読むべきではないだろうか。この書をくもりなき目で読み、客観的に判断することが、この世代にとって必要であり、戦後の教育を受けたものなら、十分な批判力をもって読むことができるのではないか」もそうだな、と思って読んでみた。


彼の危険な思想が現れるのは「多数はいつも愚鈍の代表であるばかりでなく、卑怯の代表でもある。百人のバカからは実に一人の賢人も生まれないが、同様に卑怯者からは、一つの豪胆な決断もでてこない」「永遠の闘争において人類は大きくなった。永遠の平和において人類は破滅するのだ」「結婚は、それ自体を目的とするものではあり得ず、種と人種の増加及び維持という、より偉大な目標に奉仕しなければならない」「ただ健全であるものだけが、子供を産むべきで、自分が病身であり欠陥があるにもかかわらず子供をつくることはただ恥辱であり、むしろ子供を産むことを断念することが、最高の名誉である」「われわれが今日、人類文化について、つまり芸術、科学および技術の成果について眼の前に見いだすものは、ほとんど、もっぱらアーリア人種の創造的所産である」「多数決はなく、ただ責任ある人物だけがある。もちろんすべての人々には、相談相手というものはある。だが決定は一人の人間だけがくだすのである」「民主主義はほとんどの場合、ユダヤ人の要求に一致した。なにしろ、それは人格を排除し、その代わりに、愚鈍、無能、そしてこれに劣らず臆病さ、これらで構成されている多数を持ち込むからである」のあたりにある。


そして、領土的野望も「抑圧されている国土は激しい抗議でもって共通の国家のひざの中に戻ってくるのではなく、戦闘力のある剣によって取り戻されるのだ。この剣を鍛造することが、一民族の国内政策上の指導の課題であり、鍛造作業を安全にし、戦友を探すのが外交政策指導の課題である」「もし領土拡大が出来ぬとすればある大民族が没落せねばならぬように思われる場合、領土に対する権利は義務と変わりうる」が、彼の横暴の基礎と感じる。
同盟などについては「イギリスとイタリアのこの二つの国家は、少なくとももっとも本質的な点では、自国のもっとも自然で固有な利害を追求してもドイツ国民の生存条件に対立しないし、それどころか、ある一定の限度までは一致さえする」「フランスが、自国の報復情熱に拍車をかけられ、またユダヤ人に計画的に導かれ、今日ヨーロッパでやっていることは、白色人種の存続に反する罪」「ロシア・ボルシェヴィズムは二十世紀において企てられたユダヤ人の世界支配権獲得のための実験と見なされなければならぬ」あたりが偏りを感じる。そして、歴史はこのとおりにならないのもまた興味深い。


彼の後の行動にも現れるのは「ほんとうに偉大な民衆の指導者の技術というものは、第一に民衆の注意を分裂させず、むしろいつもある唯一の敵に集中することにある。民衆の闘志の傾注が集中的であればあるほど、ますます運動の磁石的吸引力は大きくなり、打撃の重さも大きくなるのである」。
特に宣伝についての「宣伝はすべて大衆的であるべきであり、宣伝が目指すべきものの中で最低級のものがわかる程度に調整すべきである。それゆえ獲得すべき大衆の人数が多くなればなるほど、純粋の知的高度はますます低くしなければならない」「宣伝は、大衆の鈍重さのために、一つのことについて知識をもとうという気になるまでに、いつも一定の時間を要する。最も簡単な概念を何千回もくりかえすことだけが、けっきょく覚えさせることができるのである」「ある理念を大衆に伝達する能力を示す扇動者は、しかもかれが単なるデマゴーグにすぎないとしても、つねに心理研究家であらねばならない」は、実際に活用された。
そして、皮肉にも「国民大衆の心は本質的に、意識して、故意に悪人になるというよりも、むしろ他から容易に堕落させられるものであり、したがって、かれらの心情の単純な愚鈍さからして、小さな嘘よりも大きな噓の犠牲となりやすい」となっていく。


ただ、人間心理を「誤った概念やよからぬ知識というものは、啓蒙することによって除去することができる。だが感情からする反抗は断じてそれができない。ただ神秘的な力に訴えることだけが、ここでは効果があるのである。そしてそういうことはつねに文筆家にはできず、ほとんどただ演説家だけがなしうるのである」「群をなしておれば、人間というものは実際にこれに反する千の理由があろうとも、つねに何か安心感を持つものなのだ」と分析しているのは鋭い。


読書好きとしては、希代の煽動家が「読書や学習の技術というのは、本質的なものを保持し、本質的でないものを忘れること」「正しい読書技術をもっているものは、どんな本、どんな雑誌やパンフレットを読んでも、有用であるかあるいは一般に知っておく価値があるという理由で、長く記憶すべきだと考えるすべてのものにただちに注意するだろう」と述べているのは、反面教師としたい。


猛烈に長いし、批判的に読み続けることが必要なので、かなり疲れた。しかし、巨大な振興宗教のカラクリのようなものであり、現代への警鐘としては意義深い。