世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】櫻井芳雄「まちがえる脳」

今年84冊目読了。京都大学名誉教授で医学博士の筆者が、脳の実態と特性を、最新の研究結果をふまえて解説し、心とは?人間とは?に迫る一冊。


脳科学好きとしては非常に楽しく読めた。が、そうでなくても、人間の考え方を知るには勉強になる本だ、と思う。


そもそも、「私たちは、眼の奥にある網膜に映った像を見ているのではなく、脳がつくったものを見ている」ということから考えなければならない。


常識を覆す考え方として「記憶力のよい人とは、すでに覚えている記憶との関連づけが得意な人」「人に働きかけ、人の集中力や行動を変えようとする方法には限界があり、マニュアルの工夫のほうがより効果的。最も効果的なのは、工学的な対策、つまり装置や道具の工夫」のあたりは留意したいところ。


脳みそなんていい加減、というのは「脳の中でニューロンからニューロンへの信号は30回に1回程度しか伝わらず、しかも伝わるタイミングはランダム」「伝達の確率を上げるため、多くのニューロンが協力してほぼ同時に信号を送り、伝わる確率を向上させる」のあたりの記述でよくわかる。
だからこそ「アイデアの良し悪しも最初はわからないが、偶然に任せエラーとなる覚悟でどんどん出していくと、時としてヒットするアイデアが出てくる。脳の信号伝達の実態は、この考え方を支持している」「ときどき間違いを起こすようないいかげんで柔軟な神経回路だからこそ、機能代償が可能になる」という発想が出てくるのは非常に興味深い。


筆者は「脳の活動が心を生んでいる。しかし逆に、心が脳の活動を制御できることもわかってきた」として、AIは脳とは異なる、と主張。「そもそも、脳とはまったく地下鉄人工的材料からつくられた構造物(コンピュータ)の中で作動し、脳とはまったく違う方法で信号を伝達し処理しているのだから、同じようなシステムであるはずがない」「AIが自由意思をもつことはあり得ず、常に与えられた課題や目的に向かって動くだけ」「今心配すべきことは、AIが人になることや、AIによる人の支配ではなく、この便利な道具のプログラムミスであり、すでに問題となっているその誤用と悪用である」というのは、AI万能論がはびこる中では大事な視点だ。


直感的にオンライン会議がもてはやされすぎていることに疑念を感じている身としては「行き過ぎたオンライン方式の多用は、他者との接触を含む適度な刺激と身体運動を奪うことで、脳に悪影響を及ぼしていることはほぼ確実」の記述は我が意を得たり、の重い。


この本の面白いところは、脳科学『神話』の否定をしているところ。「ヒトは3歳までに脳の働きが決まるという3歳児神や、自閉症は親の育て方で脳に障がいが生じたから、あるいは、ニューロンは出生後は増えず1日10万個死ぬ、などは、根拠のない間違い」に始まり、右脳と左脳についても「そもそも論理や感性が脳のどこで処理されているか、ほとんどわかっていない。左脳と右脳のどちらが関わっているという証拠もない。現在、唯一いえるのは、言語機能が左脳で優位な人が多いということくらい」。さらに「個人の脳を男性脳と女性脳に二分することは不可能であり、また意味がない」のあたりは面白い。


なぜ、こんなことが言えるのか。筆者の「これまでの脳科学の問題は、多分、脳という多要因の相互作用からなる動的な構造体を、個々の要因が独立して働く静的で機械的な構造体として理解しようとしてきたこと」「脳の機能は、多様な部位、多様なニューロン、多様な神経伝達物質、そして多様な遺伝子が相互作用しながら働くアンサンブルによって実現されていると考えざるを得ない」は、直感的にそうだろうな、と思える。


脳をデータに置き換えることはできない。筆者の「脳はいいかげんな信号伝達をしてまちがえるからこそ柔軟であり、それが人間の高次機能を実現し、一人ひとりの成長を生み、脳損傷からの回復を促し、個性をつくっている」「そもそも分類という方法論だけでは、脳の最も重要な特性である多様性と可塑性、つまり人の多様性と可塑性を説明できそうにない」のあたりがそれを痛感させる。


脳の不思議を、ある程度理解させ、謎の『脳神話』を打ち砕く。その意味で、読み甲斐のある一冊だ。