世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】アントニオ・ダマシオ「ダマシオ教授の教養としての『意識』」

今年129冊目読了。南カリフォルニア大学ドーンシフ記念教授にして、脳・創造性研究所所長の筆者が、機械が到達できない最後の人間性を解き明かそうと試みる一冊。


畏敬する先達が薦めていたので読んでみた。これはなかなか難解だが、芯のメッセージは『身体性と心理の連関』ということだと感じる。意識について、ここまで身体性を強調している点が優れた洞察だなぁと思った。「私たちの感じるものはすべて、私たちの身体の内部の状態と対応している」という筆者の指摘が深い。


まず、身体と神経系との連関について「神経系は、その中核である脳も含め、身体の領域の中にまるまる含まれており、なおかつ身体と完璧に会話することができる。その結果、身体と神経系との直接的で豊かなやり取りができるようになるのだ」「この身体と神経系との奇妙な関係性は、驚くべき結果を生む。感情とは、単純な身体の知覚ではなく、むしろ身体と脳の両方に根差したハイブリッドなプロセスなのだ」と述べる。
そのうえで「感情と創造的な推論は、意識が実現した新しいレベルの生命管理において、重要な両輪を担うようになった。生存は生きる目的の一つだが、自身の知的創造物を体験することで得られる多幸感もまた、生きる目的の一つへ加わった」「意識に照らされた心が存在しなければ、事前に計画を練ることも、内省を行うこともできない」と、意識というものについて切り込む。
「感知することは意識することとは違い、心がなくてもできる」というのは、冷静な弁別に基づいて意外なところを指摘された感があった。


イメージというものについて「何かを記憶するということは、概して、あとで原型に近いものを再現できるよう、イメージを何らかの符号化された形式で記録すること」「私たちは、心の中でイメージ同士を関連づけ、組み合わせ、クリエイティブな想像力を使って変換することにより、具体的な概念や抽象的な概念を表す新しいイメージを生み出す。また、記号も生み出す。そして、そうして生まれたイメージの大部分を記憶へと移す。その過程で、将来、心の内容を大量に引き出すことのできる保管庫をせっせと広げていくのだ」と定義するあたりは、本当に知性が辿り着く素晴らしい場所だなぁ、と感じる。


非常に扱うのが困難な感情についても「感情とは対話型の知覚である。感情は、単に生物の周囲だけでなく、『生物の内部』、さらには『生物の内部に位置する事物の内部』からも信号を集める。そうして、私たちの身体の内部で生じた活動とその影響を描き出し、その活動にかかわっている内臓の様子を私たちに垣間見させてくれる」「感情は、幸いにも心を備える一人ひとりの心に対して、その心が属する生物の生命の状態を知らせる。さらには、そのメッセージが持つポジティブまたはネガティブな合図に従って行動するインセンティブを、その心に対して与えるのだ」と、その特性を明示したうえで「感情を音楽にたとえて考えるとわかりやすい。私たちの思考や活動を楽譜と考えるなら、それを演奏するのが感情なのだ」「感情こそが、意識という名の冒険の出発地なのだ」と、実に独特な表現をするのが興味深い。


人間における意識の重要性について「①人間の体験する痛みや苦しみこそが、一心不乱に何かを生み出す並外れた創造力の源泉であり、創造活動の引き金となるネガティブな感情に対抗しうる、ありとあらゆる道具の発明につながったこと②幸福や快の意識が、生存にとって有利な個人的・社会的状況を確保し、改善していく無数の方法を動機づけてきたこと」としつつ「結局のところ私たちは、ときどき創造力から自由を得る、苦と快の両方の操り人形にすぎない」と述べ「意識とは、いくつもの心的事象が寄与する生物学的なプロセスから生じる、特定の心の状態のことなのだ」と結論付ける流れは非常に見事だと感じる。


そして、心について「心をその正当な所有者たる生物と強固に結びつけ、心を豊かにするメカニズムは、その生物の心の流れに、心とその所有者たる生物をまぎれもなく結び付ける内容を挿入することで成り立っている」「心の内容であるイメージは、概ね三つの主たる宇宙に由来する。①私たちの周囲の世界②私たちの内部の古い世界③骨格、四肢、頭蓋骨といった、骨格筋によって守られ、命を吹き込まれている身体の領域」と洞察するのは、今まで見たことのない見解だったな。


AIがもてはやされる中で、筆者の「”感じる”機械は、”意識する”機械になりうるだろうか?まあ、近い将来は無理だろう。感情は意識に至る道の一部であるから、意識に関連する機能的要素を発達させることはできるだろうが、機械の”感情”は生物の感情とは等しくない。こうした機械の最終的な意識の”度合い”は、『その機械の内部』と『周囲』の両方の内的表象の複雑さによって決まるだろう」「私たちが尊敬すべき対象は、まだ完全に解明されたとは言えない、自然そのものの目を見張る知性や設計のほうなのだ」という見解は留意したいところ。


余談ながら、吞み助としては「麻薬やアルコールといった物質の利用者は、意識に手を加えることに、取り立てて興味があるわけではない。彼らにとって興味があるのは、誰もがなくなってほしいと願う痛みや不調、そして誰もが最大化すること、そしてできればそれ以上のことを望んでいる幸福や快といった、特定のホメオスタシス由来の感情に手を加えることなのだ」が結構気になった。なるほど…