世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】内田樹、釈徹宗「聖地巡礼コンティニュード」

今年59冊目読了。思想家・武道家の筆者と、如来寺住職にして相愛大学教授の筆者が、対馬へ日本の源流を求めて旅した体験を述べていく一冊。


前に、熊野のバージョン(聖地巡礼ライジング)を読んだことがあり、対馬バージョンということで読んでみたが、安定の面白さ。


そもそも対馬に行き先を定めたのは「対馬経験者は口々に『神道の原型を見ることができる』『神道成立以前の古い信仰を体感する』と言う」ということから。


もともと、対馬は「魏志倭人伝で、最初に登場する日本の地名が対馬朝鮮半島の南端から入ってきて、対馬壱岐、松浦と旅する」「朝鮮通信使は、幕府と朝鮮王朝が直接外交交渉をやるのではなく、対馬が間にワンクッション入って仲介する」「日本ではもう廃れたような古いヤマト言葉が残っていて、文化的には、純然たる日本」という独特な歴史がある。


それは地政学的な背景による。「対馬は日本と朝鮮半島・大陸とのインターヴェース。日本海側こそがインターフェースの場所であり、クリエイティブな場所であり、しかも非常に多様な文化と先取の気質に富んだところであった」「日本人の宗教性の根本的な特徴は習合。対馬というのは、朝鮮半島・中国大陸からの宗教的なものの到来の最前線。当然にもそこで選択された宗教的なソリューションが習合」「外部から来た『まれびと』を歓待して、混血することで異族との共生をはかるというのは一つの合理的な生存戦略」という特殊性は、まさにインターフェース故に育まれたのだな。


さらに、対馬での努力を「対馬藩では、秀吉の朝鮮出兵からの信頼回復が非常に難しかった。朝鮮出兵のときに日本に連れてきた人たちを帰したり、漂流民をちゃんと送り届けたり、そういうことを対馬として地道に積極的にやって、それでやっと話し合いのテーブルが開かれるようになった」「対馬は米が採れないから、サツマイモが普及した」「対馬は本当に島なので、拠って立つものがないから、自分で自分を確立してシャンとしていないとやっていけなかった。また、武士としてピッとしていないと保っていけなかった」と描き出しているあたりはなかなか興味深い。


知らなかったこととして「クジラは左側通行。初夏に東シナ海のほうから日本海に向けて北上していくときには対馬の西側を通り、秋になって日本海から下ってくるときには対馬の東側を下ってくる。対馬海流は、西側のほうが流れが速いので、北に行くには、そちらに乗る方が楽。流れに逆らって南に下るときには、東側のほうが広い分、流れは緩やかになるので、そちらを下ってくる。だから、ロシアのバルチック艦隊は、軍歌に害に輸送船とかも引き連れているから、西側の速い流れのほうは通らずに、緩い流れの東側を通ろうとした、日本海軍も、もうこっちしかないと読んだ。確信を持って、絶対に東水道を通ると」「対馬海流によって朝鮮半島と日本列島が隔てられていて、距離的に近いほうが海流がきついので実は渡航しにくい」のあたりは本当に驚いた。そうなんだ…


聖地に関する「『厳』は権威や聖性を表す。超越的なものが顕現する場所」「聖地は大体この世とあの世の境界線上にある。崎も坂も堺も、地名に『さ』が付くところはこの世とあの世の境界」のあたりの記述はなるほどなぁと感じる。


クリエイティビティが求められる現代において「辺境にいろんなものが集積する。一番クリエイティブなのは辺境」の言及はなにげに重たい。いろいろと考えさせられる本だ。分厚いが、口語のやりとりがまとまっているので、割と読みやすいと思う。