世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】猪瀬直樹「空気と戦争」

今年106冊目読了。執筆当時は東京大学客員教授東京都知事に就任したばかりの筆者が、東京工業大学の学生に向けた『時代に流されずに生きるとは』という講義を書籍化した一冊。


筆者の「昭和十六年夏の敗戦」を読んでいたから事柄は知っていたが、改めてこのような知見と視座を持つことは大事だと感じる。つくづく都知事としては残念な結果に終わったなぁ…


日本の戦前・戦後を切り分けたがる風潮に対しては「日本がアメリカと戦争をはじめた昭和十六年より、原子爆弾を落とされて戦争に負けた昭和二十年までの四年間を、ダルマ落としのようにスコーンと抜くと、風俗やライフスタイルは、ほぼそのまんまつながる。進駐軍と呼ばれたアメリカの占領部隊が現れたからアメリカナイゼーションがはじまったわけではなく、戦前からアメリカ文化は洪水のごとく押し寄せていた」と指摘。さらに、そもそも日米戦に対して「軍人将棋もなく、教師たちにも戦争体験がなく、経済成長のおかげで生活水準はアメリカと差がなくなれば、なぜ日本はアメリカと戦争をしたのか、考える動機が薄まってしまった」と、21世紀の理解の薄さの背景を抉る。


日米開戦の背景として「昭和十六年に『インドネシア進駐』を、という考えは、日本人の頭にあったのだろう。太平洋戦争は『欧米列強からのアジア解放』戦争と鼓舞され、今なお『右の左翼』はそう言い張っているが、ホンネとしてはまずは『石油奪取』ありき」「日本の石油輸入政策は、その日暮らしの場当たり的なものでしかなかった。南進、すなわち蘭印(インドネシア)占領も、その場あたり的な選択の延長線上」と、結局は石油問題だったことを指摘。
さらに「結局、対ソ戦略は成り行きまかせ、ドイツ軍が勝ちそうになったら日本も打って出る、という是々非々路線。その間に南方作戦のほうが基地獲得のため仏印進駐は実行する。中国大陸で拡大する戦線を支えるために屑鉄、石油などかなりの部分を米国に依存していた日本の戦争経済は行き詰まり、資源の代替地を東南アジアに求めなければならない、とする南進論は、あいまいに決まっていった」という杜撰な意思決定を糾弾する。これ、今も変わらないような気がする…


そして、明治憲法において「内閣が言うことを聞かないなら、天皇の『統帥権』を盾に、統帥部は内閣と無関係に兵を動かすことができるのだ。『統帥権』はまさに昭和を転落に導いた”妖怪”で、『文民統制』のもと内閣総理大臣が最高指揮権を持つ戦後の憲法下ではありえない事態だった」と、統帥権という存在がそもそも欠陥だったという主張は確かになぁと思う。


筆者は、開戦を判断した当時の日本の問題を分析。「昭和十六年にアメリカと戦争をはじめることに、百パーセントの必然性があったとはかぎらない、と考えることも重要である。中国大陸から撤退し、朝鮮半島と台湾を領土としたままで昭和二十五年とか昭和三十年まで我慢していれば状況は変わったかもしれないのだ」「なぜ戦争をしたか。僕の結論は、そこに軍国主義があったからという理由がすべてではない。意思決定のプロセスのなかで数字データのインプット・ミスとか、あるいは最終決断にあたっての自己責任の放棄とか、いまも起きていることと同じような日常性が日米戦を呼び込んだのではないか」「数字を誤魔化すと国が滅びる、と僕は信じて疑わない。官僚機構は、虚実を巧みに使い分ける、と知っている。局地的な『実』に拘泥しながらついに全体を見ない、全体が『虚』であっても責任をとらないのである」と、その問題は今なお根強く残ることを憂える。


最後に筆者は、講義をする中で「『同調圧力』に屈しないためには、『自分探し』などというヤワなものに捉われずに、自分の役割の中で自分にできることはなにかを『事実』にもとづいて、論理とデータで考えていくことだ。そうやって社会で働いていれば自然と『空気』とは無縁の『オンリーワン』になれる」と訴えかける。これは今なお、いやむしろコロナ禍を抜けた今だからこそ、さらに重たくのしかかる命題と感じる・・


元・陸軍省燃料課中尉の言葉「若い人は、多分、老人の回顧談というものに、感傷めいた匂いをかぎつけるかもしれない。私も、かつてはそう信じていた。しかし、実際に齢を重ねてみると、そうではないということがわかった。悔恨というものは、もっと激しく渦巻いて消えないものなのである」は、自分自身がアラフィフになってみると非常に切実だ…


鴻上尚史同調圧力」もあわせて読みたくなる一冊。