世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】千々和泰明「戦争はいかに終結したか」

今年23冊目読了。防衛省防衛研究所主任研究官の筆者が、二度の大戦からベトナムイラクまで、さまざまな戦争の出口戦略について考える一冊。


筆者の問題意識が非常におもしろい。「国際政治学は、戦争と平和の問題を探究する学問分野である。そこでは、抑止や国際協力を通じた戦争の予防策や、戦争の原因究明分析が盛んになされてきた。しかし、『戦争はいかに終わるのか』についての研究は、量的にも少なく、まだまだ発達途上の研究領域である」というところに絞った観点は、確かにない。


あまり議論されていない戦争終結を、筆者は「戦争終結の形態は『紛争原因の根本的解決』と『妥協的和平』のジレンマのなかで決まる」「戦争終結を主導する側は『将来の危険』と『現在の犠牲』のどちらをより重視するべきかというシーソーゲームのなかで、決定を迫られる」と分類する。
さらに、戦争終結形態のパターンを3つに分ける。「①優勢勢力側にとっての『将来の危険』が大きく『現在の犠牲』が小さい場合、戦争終結の形態は『紛争原因の根本的解決』の極に傾く②優勢勢力側にとっての『将来の危険』が小さく『現在の犠牲』が大きい場合、戦争終結の携帯は『妥協的和平』の極に傾く③優勢勢力側にとっての『将来の危険』と『現在の犠牲』が拮抗する場合、戦争終結の形態は不確定となり、劣勢勢力側にとって相手に付け入るスキが生じる。優勢勢力側は、劣勢勢力側の反応を見極めて均衡点を選択することになる」は、わかりやすい。


二度の大戦の分析が、非常に興味深い。
第一次大戦については「第一次世界大戦終結の失敗は、連合国・アメリカが『紛争原因の根本的解決』の極に近い決着を手にできるほどドイツを打ち負かしていなかったにもかかわらず、ドイツに過酷な条件を、十四か条の原則の皮をかぶせて受け入れさせたことにある。一方のドイツも、敗者にできることは限られていたとはいえ、あとになって失望するくらいなら、十四か条の原則に安易に飛びつくべきではなかった。相手に譲歩を求めるために、自らが相応の『現在の犠牲』を払う覚悟がない以上、アメリカのみならず連合国の動向も冷静に分析し、楽観を排すべきであった」
「ナチズムの恐るべき『将来の危険』を考えると、連合国は『現在の犠牲』を払ってでも『紛争原因の根本的解決』の極を追求せざるをえなかった。ヨーロッパにおける第二次世界大戦は戦争終結が基本的には成功したケースである。ただし、アメリカが『現在の犠牲』をためらってソ連とのベルリン獲得競争から降りたことは、ドイツとは別の『将来の危険』について判断を見誤ったものであった」。
第二次大戦については「ポツダム宣言による無条件降伏政策の修正は、連合国にとっての日本の『将来の危険』と自分たちの『現在の犠牲』のバランスを考慮した柔軟な対応であった。また、日本本土戦も回避された。それでも、アメリカによる核使用とソ連参戦という破滅的な結末を避けられなかった。こうした結末は日本がポツダム宣言を即時受諾していれば避けることができたものである。日本は、自分たちが守ろうとしている価値(国体護持)が犠牲に見合うものなのか、正しくにんしきすべきであったり、一撃和平はもとより、ソ連仲介策の非現実性に向き合うべきであった。ポツダム宣言を和平交渉の足掛かりにしようなどと欲を出さず、『損切り』をおこなう勇気を持つべきであった」。特に日本は本当にそうだ…後知恵ながら…


朝鮮、ベトナムの両戦争についての観察もなかなか。「結局アメリカは、韓国による朝鮮統一をあきらめ、『勝利にかわるもの』、すなわち休戦を求めたという点で、『妥協的和平』の極に傾いた決着を選んだ。アメリカは本来は優勢であるにもかかわらず、中国やソ連との全面対決に発展することで生じる『現在の犠牲』を恐れて、核使用を含むエスカレーションをためらった。一方、たとえ朝鮮半島北部が共産化しても、アメリカ本土が共産側の脅威に直接さらされるとは考えられなかった。つまり『将来の危険』を低く見積もることができた」「アメリカはベトナム戦争において、ことあるごとに朝鮮戦争の『失敗』を意識しながらも、結局その終結において朝鮮戦争と同等の結果すら手にすることはできなかった。それはその時点での『現在の犠牲』を避けた結果である。許されたのは、離脱と終幕のあいだに『時間的間隔』を置くことだけであった」という視点は興味深い。


まとめも実に鋭い。「①パワーのみが『紛争原因の根本的解決』か『妥協的和平』かを左右するのではない。強者はまさに強さゆえに、『将来の危険』を恐れずに妥協できる②構造的なパワー・バランスの変化が戦争終結に影響を与えるのは、一方のパワーの増大を交戦勢力各々がちがうように評価するという理由だけではなく、パワーの変化が、交戦勢力にとっての『将来の危険』と『現在の犠牲』に対する評価を変える点も重要③多国間戦争の終結形態は、局地的な集結の場合はその後の全面的戦争終結を見据えた戦略的打算や、またそれ以外の場合でも同じ同盟勢力内の戦後を見据えた確執に影響されることがある」は示唆に富むし「『現在の犠牲』をためらうあまり『将来の危険』を過小評価して妥協を行い、その結果短期間で平和が崩れたり、逆に『将来の危険』を過大評価して不必要な『現在の犠牲』を生んだりするような戦争終結は失敗である」はまさに然り。
他方、劣勢側への提言も興味深い。「劣勢勢力側による優勢勢力側への離間策が成功したためしはなく、戦争終結の局面でそのような希望的観測にすがるのは愚行といわざるをえない。劣勢勢力側は、自分たちが守ろうとしている価値が犠牲に見合うものなのか、構造的なパワー・バランスを自分たちに有利なかたちで変えることができる可能性が客観的に存在するのかを熟慮しなければならない。そしてもしその可能性が乏しい場合、希望的観測を排し、勇気をもって『損切り』を決断しなければならない」という視点は難しいが、故に大事だと感じる。


ウクライナ侵攻の先行きがまったく見えない今だからこそ、読み応えのある本だった。