世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】大木毅「独ソ戦」

今年113冊目読了。防衛省防衛研究所講師、陸上自衛隊幹部学校講師を経た筆者が、現代の野蛮とも呼ぶべき絶滅戦争の惨禍を抉り出す一冊。


自分より年下ながら、歴史に学ぶことにおいては畏敬すべき友人がSNSで薦めていたので読んでみたが、これはなるほど読みごたえがある。


なぜ、独ソ戦が特殊なのか。「独ソ戦を歴史的に際立たせているのは、独ソともに、互いを妥協の余地のない、滅ぼされるべき敵とみなすイデオロギーを戦争遂行の根幹に据え、そのために惨酷な闘争を徹底して遂行した点に、この戦争の本質がある」とする。それは「ドイツ側が、対ソ戦を、人種的に優れたゲルマン民族が『劣等人種』スラヴ人を奴隷化するための戦争、ナチズムと『ユダヤ的ボリシェヴィズム』との闘争と規定したこと」「ソ連コミュニズムナショナリズムを融合させ、この戦いは、ファシストの侵略者を撃退し、ロシアを守るための『大祖国戦争』と規定したこと」によって、「両軍の残虐行為は、合わせ鏡に憎悪を映したかのように拡大され、現代の野蛮ともいうべき凄惨な様相を呈していった」と指摘する。


緒戦においてはドイツ軍優勢で進むが、決してドイツ軍の優秀さ故ではなく、「スターリンのイギリスに対する不信、当時のソ連軍が大粛清で著しく弱体化していたため、戦争など起こってほしくないという現実逃避に近い願望」が原因であり「ソ連にとっての悲劇をいっそう深刻にしたのは、大粛清などによる権力集中によって、ソ連指導部から異論が排除され、スターリンの誤謬や先入観、偏った信念がそのまま国家の方針となったこと」とする。実際、ドイツ側も「バルバロッサ作戦は、モスクワか、それ以外の目標かという優先順位のあいまいさ、実施部隊が強いられる過剰な負担、兵站の困難など、さまざまな欠陥を抱えたもの」であり「ドイツ軍の将軍や参謀は、プロフェッショナルとしてなすべき、醒めた敵情判断さえ怠っていた」のが実態だった。
とはいえ、この状況に際して「スターリンは、緒戦に敗れたのは、西正面軍の高級指揮官が敵に通じていたためだというフィクションをでっちあげ、生贄の羊を捧げた」となれば、「こんな状況では、誰もが疑心暗鬼に陥り、戦友すら信用しなくなった」のも当然だろう。


では、なぜドイツ軍は防戦に回ってしまったのか。「国境会戦で決着がつくものと確信していたドイツ軍首脳部は、補給を維持できるだけの十分な準備を整えていなかった」ことにより「戦争に勝つ能力を失うことによって失敗した」。つまり「作戦次元、すなわち戦場での成功を積み重ねていけば勝利が得られると信じ込むばかりで、銃後も含めた彼我のリソースを冷静に測り、戦略次元での優劣を計算に入れた戦争計画が立案されることはなかった」ためである。そんな中、「1941年から42年にかけての冬に、ドイツ軍を壊滅から救ったのは、ソ連軍が実力を顧みない総花的攻勢を強行したからだった。ところが、ヒトラーは、死守命令こそが危機を克服したと思い込み、おのが軍事的才能を信じて疑わぬようになった」ため、反転攻勢に立つこともできなくなった。
そうなっていくと、「作戦術という、戦略と戦術の両次元をつなぐもので、戦術上の成果を積み重ねて、作戦次元の成功に結びつけ、さらに特定戦域での戦略的勝利に持っていくために重要な手段」を重視するようになっていったソ連軍が「人的・物的資源といったリソース面のみならず、用兵思想という戦争のソフトウェアにおいても、優位に立った」という状況になる。


ドイツが戦況を立て直せなかったのもまた「通常の戦争では、軍事的合理性に従い、敵に空間を差し出すことによって、態勢立て直しや反攻準備のための時間をあがなう。しかし、世界観戦争、また、それを維持するための収奪戦争の必要から、ヒトラーには、後退と言う選択肢を取ることはできなかった」という。その状況から「『大祖国戦争』を標榜し、スターリン体制の維持とナショナリズムを合一させた政策は、ソ連側においても通常戦争の歯止めをはずし、犯罪行為を蔓延させていた。ドイツ側もまた、ソ連側の蛮行に直面し、よりいっそう残虐なかたちで戦争を遂行することになる。かくて、独ソ戦の最終局面は、空前、そして、今のところは絶後である巨大な暴力に染め上げられていく」ことになった。


末期ナチスドイツで革命が起きなかった理由について「1930年代後半から第二次大戦前半の拡張政策の結果、併合・占領された国々からの収奪が、ドイツ国民であるがゆえの特権維持を可能とした。国民にとって、抗戦を放棄することは、単なる軍事的敗北のみならず、特権の停止、さらには収奪への報復を意味していた。ゆえに、敗北必至の情勢となろうと、国民は、戦争以外の選択肢を採ることなく、ナチスドイツの崩壊まで戦いつづけた」と述べていることには感嘆させられる。


本当に恐ろしい戦争の本質を深くえぐり出す、興味深い本だ。