世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】ピーター・ポメランツェフ「嘘と拡散の世紀」

今年64冊目読了。ウクライナ出身のジャーナリスト兼テレビプロデューサーである筆者が、「われわれ」と「彼ら」の情報戦争について解き明かす一冊。


2019年の著書であり、当時の情報戦争の実態を最前線から伝える本だが、その価値は2022年ウクライナ侵攻が起こった今、さらに増しているといえる。


ロシアのやり口について「冷戦で負けたからこそ、ロシアのメディア対策アドバイザーとメディア操作の専門かは誰よりも早く新しい世界に適応しようとした」「クレムリンソ連時代の映画を延々と放映し、ソーシャルメディアで世論を操作して、現在をファシストとの戦いに終始した終わりなき第二次世界大戦としてふたたびフレーム化しようとしている」「クレムリンの狡猾な手口のひとつは、宣戦布告することなく戦争をはじめ、はっきりと特定された敵を相手に戦うという従来の戦争の姿を徐々に変質させることだ」と指摘する。
そのうえで、ロシアとウクライナの対立について「かつて戦争は領土を奪い、そこに旗を立てることだったが、ここではそれまでと違ったことが進行中である。モスクワが必死に作り上げようとしているのは、民主化革命は混乱と内戦しかもたらさないという物語だ。一方、キエフが必死に見せようとしているのは、分離独立主義は悲惨な状況しかもたらさないという物語だ。けれども実際に現場で起こっているのは、そうした願いとほぼ無関係なことだ。両政府はそれぞれの物語を十分に裏付けするような映像がほしいだけなのだ」と分析するあたりは、日本の感覚があまりにかけ離れていることを痛感させられる。


そもそも、このような価値観の変化の基点として「アル・カイーダが仕掛けたトリックとは、さまざまな集団のさまざまな不平や怒りを拾い上げることだった。そして、彼らが世界的に団結すればより良い世界に到達できるという幻想、ただ異教徒を排除するだけでいいという幻想を彼らに与えたことだった」というところに立ち返るのはなかなか興味深い。


現在の権力の危うさについての「下品なジョークが弱者を蔑むために権力者によって絶えず使われる場合、それはユーモアでなく威嚇となる。さらにそれは弱者に屈辱を与える言葉の暴力へと発展し、やがてすべての規範が消えてしまうことになる」「政府がスポンサーのトロールは、政府に批判的な個人を恫喝し沈黙させるために、オンラインヘイトとオンラインハラスメントを利用する」「政府が支援するトロールに『表現の自由』が認められたことで、法律的争点は消滅し、『表現の自由』は濫用され、被害者の人権を抑圧しつづけた」という指摘は非常に恐ろしい。
さらに「陰謀論は、それを受け入れた人たちにある種の『恩恵』をもたらす。もし世界が陰謀で成り立っているのならば、あなたの失敗はあなたのせいではない。あなたが望み通りのものを得られないことも、あなたの人生がひどく混乱しているのも、すべて陰謀のせいなのだ。さらに重要なのは、陰謀論は政権を維持するための装置であるということだ。誰かが政府に抗議するようなことをしたら、それを皮肉まじりに話題にして陰謀論にすり替え、テレビの前の視聴者を楽しませてくれる」「陰謀論が張り巡らされると、普通の人間には世界はなにも変えられないと思いたくもなってくる。もし正体不明の力がすべてを支配しているのなら、だれが世界を変えられるだろうか?先行き不透明な状況でさ、あなたを導いてくれる強い人間に頼るのが最善だ」という陰謀論への捉え方は、2022年における意味のわからない不明さを痛感させられる。


SNSについても「ソーシャルメディアは、けっして満たされることのない一種の小型自己陶酔機関だ。そのため、人はより多くの注目を集めようとして、より過激な立場を取るようになる。その際、記事が正確かどうか、ましてや公平かどうかなどはまったく問題にならない」「私たちは、ポップアップ式ポピュリズムの時代に生きている。それは『国民』の意味がころころ変わり、誰を部内者とみなし誰を部外者とみなすかが終始見直され、帰属するという言葉の意味がけっして定まらず、政治的アイデンティティが破裂しては別の何かに作り変えられる時代だ」と、それがマイナスの大きな影響を与えていることを指摘。さらに、「激情が、すなわち、人のもっとも根源的な無意識の欲求を表現してそれらをひとつにまとめることが必要であり、敵を明確にすることがいかに重要であるか」「進歩という共通概念を支えてきた偉大な思想は滅びたのだから、共通点のない集団をまとめるには核となる感情が必要だった。彼らをひとつにまとめられるほど強力で、かつ、誰にとってもなにかしらの意味を持つほど漠然とした感情が。」と、感情増幅器として非常に悪い影響を与えている、というのも体感としてよくわかるが、指摘されないとスルーしてしまいそうで本当に恐ろしい。


情報の世紀である21世紀は「『情報戦』を言い続けているうちに、それは人々の意識の奥深くまで入り込む。そしてあらゆる情報は戦争に関与していると考えるようになると、思想が自由に生まれ、熟議型民主主義を支えるような世界的な情報空間が存在するという夢は消えてしまう。それどころか人が望める最高の未来は、双方が情報主権を認める『情報平和』ということになりさえする。それは北京とモスクワ双方に有利な概念であり、検閲の隠れ蓑になることは明らかだ」「ウクライナクレムリンの『次世代戦争』の実験場であり、同時に情報洗濯という全方位的世界観を拡散しようとしている場所でもある。情報戦争という考え方をすることがもっとも危険であるような場所で、私たちはいったいどうやって情報戦争と戦えばいいのだろうか?」という罠を仕掛けられているようなものだ…本当に暗澹たる気持ちになる。


訳者のまとめも秀逸。「筆者は、そもそもソーシャルメディアそのものが『事実』や『真実』『公平』『客観性』をないがしろにし、より過激で煽情的なコンテンツを求めるように設計されていることを指摘する」「なぜ冷戦時代には『事実』や『真実』に価値があったのか、それは、冷戦時代にはよりよい未来を約束するイデオロギーが存在したからであり、人類が過去から未来に向かって進歩発展していることを証明するために事実が必要とされてきた。だが、こうした展望が消えた今、不都合な現実を突きつける事実を誰も欲しがらなくなったと主張する」は、確かにそうだな、と思う。
そんな中、西側の報道に浸かっていると、筆者のように「アメリカが偽善者ぶった行動(これでも控えめな表現だが)を取った例はいくらでもある。自由と人権の支援という名のもとに、敵国側の反政府側の扇動を支援し、同盟国側の違反行為には目をつぶる」「中国では『屈辱の世紀』以前の偉大さへの郷愁が売り物になっている。『ロシアを立ち上がらせる』と約束するプーチン、『アメリカをふたたび偉大な国に』と言うトランプと大差ない」という視点が失われる。これは恐ろしいことだ…


では、どうすべきか。「有機的に見えてじつは人工的に組織されたものであることを知る権利が、人間が交流している現実がどのように設計されているかを知る権利が、私たちに与えられるべきではないか。そうなれば私たちは、目に見えない謎の力によって右往左往させられたり、うかがい知ることのできない理由のために震えたりおびえたりする生き物のようでなくなり、自分たちを取り巻く情報の力と対等に渡り合えるようになるだろう」「情報を判断する基準は、情報の出どころが『あちら』か『こちら』かではなく、あなたが対等に渡り合えるように提供されているかどうかになるだろう。そうすれば現在のように、行動原理の理解を本人から奪っているなんらかの勢力に見くびられることもなくなるだろう」と述べるのは簡単だが、これを実現するのはとても難しい…


個人でもできることとしては「テレビからの大量な情報にだまされまいと思っている人たちは、ソーシャルメディアのメッセージには逆に感化されやすい」「対象への感情や判断に基づいた心理的な傾向を理解するためには、人はニュースや政治の先にある、詩、学問、さらには官僚主義や余暇という言葉も熟考せねばならない」くらいだろうか。それにしても、自分の狭い視座を広げてくれる、非常に学びの多い書だった。超お薦め。