世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】マーチン・ファン・クレフェルト「戦争の変遷」

今年84冊目読了。イスラエルヘブライ大学歴史学部で教鞭をとる軍事史および戦略研究科の筆者が、21世紀になって戦争の定義が大きく変わった、ということを主張する一冊。


翻訳のせいなのか、けっこう読みにくい本なのだが、いわゆるクラウゼヴィッツ戦争論を真っ向から否定し、全く新しい定義を立てるところが非常におもしろい。21世紀初に、こんな知見があったのか。不勉強を恥じる。


クラウゼヴィッツについては「いわゆる『クラウゼヴィッツ的』世界観そのものが時代遅れであり、現代に不適切なものなのだ。我々が突入しつつあるのは、通商ブロック間の平和的経済競争の時代ではなく、民族集団、宗教集団間における闘争の時代なのだ」「歴史的に見て、三位一体戦争-つまり、国家対国家の戦争であって軍隊対軍隊が行う戦争-は、比較的新しい事象」と、バッサリと叩き切る。


そして、20世紀になって「第二次大戦では戦闘員と非戦闘員の区別が弱まった。第一に、戦略爆撃は人々を無差別に殺した。第二に、占領された多くの国で一般市民は政府が降伏したのちに再び武器をとって立ち上がる傾向があった」という変化があり、その後、核兵器によって「核兵器の政治的効果が非常に小さいのはひとえに、地球を破壊せずに核戦争を行う方法を誰もまだ思いつかないから」「いろいろな国が核兵器保有するとか、必要であれば速やかに製造できる能力をもつようになったことを繁栄して、国々が単に領土拡大に慎重になっただけでなく、通常戦争そのものに対しても清朝になった」「すでに今日、もっとも強力な最新鋭の軍隊は現代の戦争とほとんど無関係な存在になっている」という変化が生じた、と分析する。


その結果、各地区で生じるようになった低強度紛争の定義を「①世界の低開発地域で繰り広げられる場合が多い②たいていが一方は正規軍で、もう一方の側であるゲリラやテロリスト、時には一般市民と戦っている③ハイテクを駆使した兵器には元来頼らない」とするのは確かに納得。


戦争と戦略について「戦争は、人間活動の中で最も混乱し混乱させるような活動である。と同時に、人間活動のなかでもっとも組織化された活動の一つでもあるという矛盾した性格をもつ」「戦略の真髄は偽り、欺き、騙す能力である」「戦争とは、誰かが誰かを殺して始まるのではないのであって、自分たち自身が報復として殺されるのを覚悟した時点で始まるのだ」と述べているあたりも、そうだなぁと感じる。


そして、この本の核となる考え方「戦争が目的を達成するための一つの手段にすぎないというのは正しくない。実際はその逆だ。人々はしばしば戦うために目標をつくりだす。人を楽しませる、鼓舞する、魅了する戦争の魅力はいまだかつて疑われたことがない。戦争は大きく拡大された人生なのだ。二極の間で動く戦争だけが、最高の能力も最低の能力も、とにかくすべての能力をすべてぶつけることを許し、また要求する」には、びっくりするが、確かに説得力がある。
実際、その裏付けとして筆者が「戦争が非常に楽しいもの、あるいは楽しめるものであるということは、競技・試合・ゲームの歴史を見ても明らかである」「参加者の観点からも見物人の観点からも、危険は戦争の主要な魅力なのであり、それが戦争の存在理由だ」「危険に対処することをこのうえなく楽しめるものにしているのは、危険が鼓舞できる独特の自由感である」「要するに戦争とは大きな劇場なのだ。劇場は人生と入れ替わり、人生が劇場に変わるのだ」「戦争は真剣さを最高の形に表現するものであり、まさに遊びである」と主張する部分は、なかなか否定しきることが難しい。『人類は戦争から逃れられないのか』という問いに対して、残念ながら『是』としか答らえないのもむべなるかな。


その他、一般論として「硬直化、摩擦、不確実性は組織の規模が大きくなってくると発生するものであり、規模に比例して増加する傾向にある」「知識を持っていることと、知識を理解していることには大きな差がある。そして、無知であることと知識を持っていることには、さらなる大きな差がある」のあたりも、なるほどと感じる。


けっこう読みづらくて疲れるが、それだけの価値はある、と感じた本。