世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】立花隆「日本共産党の研究(1〜3)」

今年65・66・67冊目読了。ジャーナリストにしてノンフィクション作家である筆者が、厳しい弾圧の下で革命を目指して闘った日本共産党の歴史を紐解き、その本質に迫る全3冊。


戦前の、共産党の成り立ちから何度となく壊滅する様子を描き出すことで、共産党の本質を抉るその筆致は非常に細かく、迫力がある。


マルクス・レーニン主義については「正統マルクス・レーニン主義の立場にたつかぎり。暴力革命の看板をおろすことは、実質的には革命の看板をおろしてしまった日和見主義、修正主義といわざるをえまい」「暴力革命不可避論とならんで、日本共産党が捨て去ったもうひとつのマルクス・レーニン主義の真髄的な教義は、プロレタリア独裁論である」「古典的なマルクス・レーニン主義にとって、議会制度とは破壊の対象である。共産主義者は議会には参加するが、それは議会制度を破壊するためなのである。この考えの前提には、議会制度は、ブルジョア階級が政治支配をつらぬくための機構であるという認識がある。したがって、議会を通じてプロレタリアートが政権を握ることは不可能で、暴力革命が唯一の道と判断する」と断じる。
さらに、マルクス主義の特徴について「マルクス主義の理論は一見おどろおどろしいようだが、実は単純な二分法概念の組合せの上に構築されているからきわめて図式的である。したがって、頭が単純な人にはきわめて入りやすい。マルクス主義が二分法概念から逃れられないのは、その基礎に、弁証法を置いているからである」「中間項に出会うと、さまざまの理屈をつけて、無理やり二分法概念を押し通してしまうのがマルクス主義の特徴である。実際そうしないと弁証法理論を適用できなくなる」と、その世界観の幼稚さを衝く。
さらに「スターリンソ連がその典型となったごとく、世界中の共産党が結局のところ、独裁制(個人の、あるいは中央指導部の)におちいったのである。それは、スターリンや各国のミニ・スターリンたちが悪かったからではなく、民主集中制というシステムそのものが生んだ悪なのである」と、仕組みが間違っていることを指摘する。


共産党員への批判も手厳しい。「党員たちが自分の頭で考え、自分のことばをしゃべる政治集団にならないかぎり、共産党はいつまた昨日までとはまったくちがうことを、明日から主張しはじめるかもしれない政治集団である」「スパイに導かれていたときの共産党がもっとも旺盛な活力を示し、スパイを発見し、それを党からはじき出すとともに党が崩壊してしまったというところに、戦前の党史の一大パラドクスがある」「共産党財政支出の柱は、機関紙の発行費用と専従活動家の人件費、活動費」「民主集中制を絶対不可侵の原則とする共産党においては、分派闘争はやったほうが負けと決まっている。原則と手続きに固執するほうが勝つ。これが党内に官僚主義をはびこらせる最大の原因となっている」「共産党はヒトのいうことを歪曲した上でこれに徹底的な誹謗中傷を加えて攻撃するという特性を持つ集団」「共産党と他の政党の違いは、その独善性、秘密主義、一枚岩主義、指導部絶対主義、党内自由の欠如などの体質で、かつ共産党の現在の性格と矛盾する」であり、そこに対して「自分のことを語るときと他者を語るときとで論理を使いわけるのはおやめになったほうがよいのではないだろうか」などは、まさに痛快といえる。
それにしても「日本共産党はエリート主義はおくびにも出さず、”大衆”をしきりに口にし、大衆の名において活動しているが、その組織そのものは、レーニン的エリート主義の組織原則の上にたてられている」というのは知らなかった。なるほどなぁ。


そして、皮肉なことに「日本は天皇制的意識構造が国民各階層の皮膚の下までしみわたっている国であるから、民主集中制の原則はいたってスムーズに受け入れられ、いまにいたるも共産党内部では、いささかのゆらぎも見せていない。共産党の体制を”左翼天皇制”と呼ぶのは、けだし名言であろう」というのはなるほど納得だ。


歴史観について「付焼刃的に主義にかぶれた人間のメッキははげやすいが、少年期の精神に刻印づけされた思想は、終生消え去りがたいもの」「人がそれまでの人生から逃れられないように、組織もまたその歴史から逃れられない」という中に置いて「党史の清算の上に現在の路線をきずきながら、党史を表立って清算できないでいるのが現在の共産党なのである。その結果、現在の党路線の正しさを強調すればするほど歴史の中の党の誤りが強調され、歴史の中の党を称揚しすぎると、現在の党路線に疑いの目が向けられるというジレンマがある」と、共産党の無謬性を指摘。
共産党ならずとも「あらゆるカルチュアはその内部の人間にとっては、その特性を客観的に把握することが困難なもの。それが住み慣れた水であるが故に、変えたいとは望まぬたぐいのもの」という罠には人間組織は陥るよな…


共産党をさんざん叩きまくる本書ではあるが、「民主主義は民主主義の敵まで保護してはじめて真の民主主義たりうる」「『人民の敵』とか『国賊』といった概念は、民主主義の最大の敵なのである。ある集団から、集団の敵さえ追い出してしまえば、集団全体が打って一丸となれる社会ができるという発想が全体主義を産む」という立場は明快で、非常に共感できる。現在のSNSの暴走やヘイトは許さない、という覚悟を感じる。


その他「日本人は勝負をアナログなものととらえず、オールオアナッシングでとらえようとする。どんな勝利でも勝ちは勝ちであり負けは負けである。負けたらいさぎよく敗北をみとめてしまうことがその倫理にかなう。だから、勝敗が決するまでは必死で頑張るが、勝負がついたとみるやそれ以上の抵抗をあきらめてしまう」「官僚主義の背後にあるのは、劣勢な知力の優勢な知力に対する嫉妬心である。もともと官僚主義は、劣勢な知力の持ち主の自己保身術として発生し発達したものである。もっぱら原則、規則、手続きの順守を主張するのに知性は必要ない」


それにしても、とにかく長い。かなりな想像力を働かせながら読まないと、これはしんどいだろうな…