世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】田原総一朗「日本の戦争」

今年85冊目読了。テレビジャーナリストとして評論活動を行う筆者が、「なぜ、日本は無謀としか思えない太平洋戦争に踏み切ったのか?」を江戸末期の流れから解き明かそうとする一冊。


「開国、倒幕、そのための富国強兵…それまで、同じ尊王ではありながら、開国と攘夷に分かれて敵対していた、薩摩と長州の足並みをそろえたキーワードは、両藩が力を入れている富国強兵だった」「もともと、大和魂といえば『世渡り術』。小回りのきく、小才な知恵とか、あるいはずるさだとか、接待だとか…まぁ生活の知恵」のあたりは、意外に思える。幕末から明治のことすら、はっきり知らないんだな、と反省させられる。さらに「憲法などの法律に束縛されず、いわば超法規的に国民を縛り得る戒律、これが教育勅語だった」というのも、コロナ禍で「自粛要請」ばかりで乗り切ろうとする政府の姿勢にも一脈通じているようで空恐ろしい。


日清戦争の際に「伊藤博文内閣の命運はもはやこれまで、と追い詰められていた。こうした状態を突破するには、無理にでも、外でコトを起こすしかない。つまり外憂。そうなれば国内の対立など吹き飛んで、誰もが愛国心民族意識をかき立てられて国内は一丸となる。そんな状況が、伊藤が意図しないのに東学党の乱で出来上がった」、日英同盟が成ったのは「ボーア戦争に予想外の兵力を取られたため、イギリスは同時期に起こった北清事変に存分の軍隊を派遣することができず、日本に大量派兵を求めた。ボーア戦争については国の内外から激しく批判されて、大英帝国はすっかり弱気になっていた。」という背景は、実に興味深い。


明治初期の「政府は、ことが難航すると、最後は天皇を持ち出す」は、昭和初期の軍部の統帥権干犯理論と同じだ…そして「明治天皇は、後の日露戦争に対しても強い拒否反応を示し、昭和天皇も太平洋戦争を何とか回避しようと努めた。いずれの天皇も戦争を忌避しようと努めたのは興味ある事実だ。しかし、どちらかの場合も日本は戦争に突入している」のが悲しい事実。そして「日清、日露戦争に勝利した結果、初めて不平等な条約改正ができたというのはぬぐえない事実である」ということも見逃せない。


政党政治についても「世界恐慌に対して、政府は有効な、国民を納得させる手立てが打てなかった。それどころか、金解禁、緊縮財政が致命的な失政と映った。これが、政党政治に対する信頼性を失墜させた何よりの原因だった」「政党としては、軍が政治に介入する危険性が生じれば、対立党とも協力して、懸命に介入の阻止を図るべきなのに、政友会はその逆をやってしまった」「わが国は政党政治のいうのが、はなはだ評判が悪い。相手党を攻撃するために、事実とかけ離れたスキャンダルの捏造も躊躇せず行うし、また金をめぐるスキャンダルも頻発する。そしてマスメディアは、とくに政権政党を徹底批判するのが、まるでマスメディア自身の『良心』読めたのように考えている」のあたりは、2021年の今もって変わらない。
そんな中、「昭和の政治家たちは、結局、軍のテロの恐怖に脅かされながら国の舵取りをせざるを得なかった」ところに、昭和初期の閉塞感の中で近衛文麿が総理になる。「『受けやすい』論理というものは、実は危険なのだが、あるいは近衛の主張は、受け狙い、つまり人気取りも計算に入っていて、だから政界登場が歓迎されたのではないか」とし「聡明で論理的であまりに人間的なゆえに『ぶれ』の大きい人物をリーダーとし、また彼に対する国民の人気が異様に高かったことが、日本の昭和の歴史の不幸だったといえる」と指摘する。
そして、「近衛新体制とは、私利私欲に拠る資本主義を止め、経済に動かされる政治から、政治が経済を動かすという体制に切り換えることだった。露骨な貧富の差、そして金がらみのスキャンダルに明け暮れる政治にうんざりしていた国民の多くは、近衛による変革を強く求めた」。これこそが、皮肉なことに「護送船団方式、官僚主導体制、企業別労働組合、下請け制度など、戦後の復興期、日本経済の快進撃、高度成長期を通して、一貫して根幹であった『1940年体制』」だと鋭く指摘する。これは、2021年の日本とも似ており、危険だ…


終盤、運命のアメリカとの交渉から太平洋戦争突入まで。「日本がアジアの国々を全て視野に入れた新秩序を構築しようとすれば、何とかしてソ連アメリカの脅威を抑え込まねばならず、日独伊ソ四国同盟こそが必要とされたのだろう。だが、それには2つの前提があった。一つはイギリスがドイツに降伏すること、二つ目は独ソ関係が悪化しないこと。この二大前提が崩れれば、つまり英米ソが連合し、日独伊は、単なる『持たざる国』の集まりになってしまう」という認識の中で口承に入る。しかし当然ながら「アメリカが日米交渉に本気だったのは、ヒトラーのドイツがソ連を打ちのめし、アメリカが日独の両国と戦う破目になるのを避けたいと考えていた時期までだった」。「日本側が、情けないほどアメリカを疑わず、一方、ハルやルーズベルトが、強い日本不信感を抱いていたのは、決定的な情報格差のためであった」という情報戦の弱さは今もって変わらないし、それに対する日本の決断に至るまで右往左往したあげく、最後は東条英機が首相指名を受けてから「『聖慮』を重んじて、戦争回避に転じ、『聖慮』を重んじて、また戦争突入を決めた。そこには、国民も国家も東條自身さえも存在していない」。これはコロナ禍の日本政府の対応と重なるように感じる。「そして、日米開戦の12月8日、ヒトラーはモスクワ攻撃放棄を指令した。ドイツの『敗北』の始まりである。日本はドイツがソ連にもイギリスにも勝つことを国策の前提にしていたが、皮肉にもそれが日米開戦の日に崩れたのである」。


歴史を教科書ベースではなく振り返ることの大事さは「敗戦以前に、わたしたち国民が見、聞き、教えられた日本という国家がねじ曲げられた情報によるものであったことは十分に知っている。だが、敗戦後にあらためて学校で教えられ、あるいは本で読んだ日本の歴史が、必ずしも実像ではなかった」「敗戦まで、日本の軍人には選挙権が一切なかったこと、日韓併合の時点では、世界の中で植民地政策をとることが悪いという認識がなく、アメリカをはじめ、欧米の列強が例外なく日本の行為を支持していたことなど、数多くの事実を、今回の取材で初めて知った」のあたりの記述からもひしひしと感じる。


政治のそもそもについての「運動というのは、論理的に詰めれば詰めるほど細かく分裂してしまう」「(日露開戦前夜に)どの新聞も『戦争やるべし』に転向していたのだが、これは政府の弾圧のためではなく、どの新聞も『反戦』報道では部数が激減したからである。部数の激減はマスコミにとって弾圧よりも致命的」あたりの指摘も非常に納得できる。


この流れを、今もって引き摺っているのは、コロナ禍における日本政府のまずい対応をみても一目瞭然。非常に重たい本だが、これは押さえておくべき一冊だ。