世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】マルレーヌ・ラリュエル「ファシズムとロシア」

今年78冊目読了。アメリカのジョージ・ワシントン大学ヨーロッパ・ロシア・ユーラシア研究所所長、同大学教授が、ロシアを簡単にファシズムと捉えることに対して異議を唱え、その文脈を読み解く一冊。


これは日本人ではなかなか辿り着けない知見だ。もちろん、完全に正しいかどうかは分からないが『なるほど、こういう見方もあるのか』と、非常に勉強になる。


ロシアの欧亜への立ち位置について「クレムリンは、太平洋側での記憶をめぐる戦争をエスカレートさせないよう、アジアのパートナーたちとのイデオロギー対立を回避すべく、注意を払っているように見える。ロシアはアジアでは、ヨーロッパにおけるほどにはイデオロギーにこだわらない。なぜなら、大国としてのその地位と自己イメージは、アジアよりもヨーロッパにおいて、そしてヨーロッパによって、認められ、あるいは否定されるからである」とするのは、少し驚く。だが、歴史的に考えると、確かにそうかもしれない。


筆者の認知に対する立ち位置「言語実践はアイデンティティの中核をなす。アイデンティティとはつまり、本質的なところで彼らが何者であるかよりも、日々の社会実践の中で人々が何をするか、である」「認識とは常に話し手自身の世界に埋め込まれているのであるから、ロシアの政治的展開を問う唯一正当な方法は『我々自身』すなわち西側を問うことだ」は、物事を安易に単純化せずにしっかり観察しようという覚悟が伝わり、好感が持てる。


ロシアでのファシズムの定義について「ソ連の伝統では、また今日のロシアでも同様に、『ファシズム』という言葉は、政治体制の性質や大衆教化の技術に関係する一連の抽象的な原理ではなく、むしろ非常に具体的な国家の敵、ナチ・ドイツのことを意味する」「『ファシスト』とは、つまり、政治的原則の中身などよりも、侵略概念と強く結び付いた異名」ということから「ロシアの『ファシズム』認識が、イデオロギー的内容やホロコーストではなく、領土拡大と占領の概念を中心に置いているために、敵は空間的な起源-西側、ヨーロッパ-を持ち、それは現代の地政学的緊張を高めることに容易に利用され得る」と述べるあたりは、なかなか日本人には肌感覚で理解できず、故に貴重な指摘だ。
現在のロシアの見解を「クレムリンは、ナチ・ドイツに影響されたイデオロギー世界に住んでいるのではない。むしろ。ペレストロイカ、ヤルタ秩序の崩壊、ソ連解体の時代が依然として歴史的参照点であり、トラウマ」「戦争記念日を、国家として、民族として、国民として、あらゆるかたちで生まれ変わるロシアと、それらすべてを体現する者としてのプーチンを讃える年恒例の行事にしようという流れは、現政権の基本的な特徴」と見るのも、表層的なロシア分析とは一味違う。


さらに、ロシアの内政について「クレムリンは三つの生態系から成る。大統領府、軍産複合体、正教界である。それぞれが、機構、資金提供者、支援者から成り、象徴的なことば、イデオロギー起草者、恒常的に作動しているメディア・プラットフォームで見分けられる独自の領域を形成し、均衡を保つために絶えず調整を繰り返している」「時にファシズムのレパートリーを演じているのは、軍産複合体と正教」と見るのも、プーチンの独裁と単純化しがちな日本マスコミの見解とは異なり、新鮮に感じる。


そして、ロシアの行動について「現在の緊張は、ほとんどにおいて、ロシアとヨーロッパが共に隣接する地域で、冷戦後の環境づくりに失敗してきたことと関係している」「ロシアは社会変革者として行動しているのではなく、むしろ、ヨーロッパとアメリカ社会自体の疑念と変質のエコー・チェンバー」と指摘するのも、なかなか日本人には出てこない視点だ。


故に「『西側』とは、ヨーロッパとアメリカ合衆国の両方を含み、大西洋に跨る機構と、ある一定の世界観つまりリベラル秩序によって現わされる。『ヨーロッパ』の概念はもう少し複雑で、①EUの機構によって体現される層②ロシア、トルコ、地中海地域のような近しい隣国と対話する、より広域の層③キリスト教から啓蒙主義に至る文化遺産と哲学的バックグラウンドによって現わされる層」「ロシアは、文化的遺産と言う点から自らをヨーロッパの一部だと考えているだけでなく、ヨーロッパの護り手であるともみなしている。『西側』こそが真の『ヨーロッパ』の敵であって、ロシアは『ヨーロッパ』の真正性を、『西側』の内側から生じる劣化から守ることを申し出ている」「クレムリンの見解では、今日のファシストとはヨーロッパを破壊しようとする者であり、共産主義とナチズムを同等視することでヤルタ秩序を否定する者のこと」という目から鱗の主張を見ると、まさに驚愕。そう読み解くことは考えたこともなかった。


そして、緒論に立ち返り、「ファシズム概念は、敵とみなされる者を明確化し、それを絶対悪として『他者化』する最も強力な二分法」「誰がファシストなのかを決める現在の戦いは、ヨーロッパの将来を定義する闘いであり、分断線を引くキーとなる問題は、ロシアの包摂か排除か、にある」とファシズムについて分析するところも秀逸だと感じる。
そして、筆者が定義する「ファシズムを、暴力的手段によって再構築された、古来の価値に基づく新たな世界を創造することで近代を徹底的に破壊することを呼びかける、メタ政治的イデオロギー」が、恐ろしく深い。


文章が硬くて、非常に読みづらいのが筆者のせいか訳者のせいかはわからないが、それを乗り越えてでも読む価値はあると感じた。