世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】小田全宏「なぜ富士山は世界遺産になったのか」

今年58冊目読了。株式会社ルネッサンス・ユニバーシティ代表取締役にして富士山を世界遺産にする国民会議の運営委員長である筆者が、富士山の世界遺産登録に向けた活動を振り返りながら富士山の魅力に迫る一冊。


一応、世界遺産検定マイスターとして概要は把握していたが、改めて勉強してみると、やはり見えるモノはいろいろある。


筆者は、富士山が世界遺産になった意義として「富士山が世界文化遺産として登録されたということは、単に富士山の造形としての美しさが認められたのではなく、二千年にわたる私たち日本人の富士山への深いまなざしと対話の姿が、世界から賞賛されたといえる」「富士山を世界文化遺産にするための理念として『信仰と芸術の源泉』ということがメインテーマとなったが、その信仰というものは、富士講のように『かつて存在していたが今は消滅してしまったもの』ではなく、今もなお生き続けている現存の信仰だ」「今まで富士登山をした人の中には、自分の人生の節目として登った方も多いのではないか。その意味では富士山は、今もまぎれもなく『信仰の対象』であり、単なる自然物というだけではない」と強調。
その信仰のイメージを「富士山の祭神を観察すると、まさに神仏混淆、神も仏も何でもあり。大体の感じでいうと、富士山の神様は、浅間大菩薩と、もう一つは『かぐや姫』が信仰の中心」と大づかみで説明する。


富士山が擬人化されることについて「自然が人格上の言葉に翻訳されるということは、単に自然が大きいとか高いという物質的なものを超えて、人間の魂に感化を及ぼすことの本質を語っている。そして反対に、自然が人格上の言葉を持つということは、その自然の中に単なる物質を超えた『人間的な何か』を私たちが感じたときにのみ、成立するのだ」と述べるあたりはなるほどと感じる。


世界遺産登録の問題点として「世界遺産の候補地のほとんどが、地元の経済活性化の一環として世界遺産登録を目指しているといっても過言ではない。しかしそれは、本当の世界遺産の意味からは逸脱している」「確かに二、三年の間は観光客は何割か増える。しかし、人びとの関心は瞬く間に薄れてしまう。反対に、訪れる人が増えることによってかえってその意義が失われたり、破壊されたりする」と述べる部分は、自分自身も問題意識として持っているところであり、強く共感する。
そして、富士山についても「富士山は名前が有名であるということも手伝って、世界遺産に登録されたが、補欠合格のような状態」「富士を守るということは、富士山そのものだけを守るということではない。富士を通して、自分たちの国日本を、美しい姿で次の世代に引き継いでいくという決意。そのままの姿ではなく、もっと美しい姿にして次代に手渡そう」と、その課題感を指摘する。本当に、これはそうだな。


そして、筆者が世界遺産登録に大きく貢献した立場から「大事業を成就させるには、ひたすら陰で汗を流す人たちの努力があってこそ」と述懐しているのは本当に重い。実際、そうなんだろうな…