世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】竹谷靱負「日本人は、なぜ富士山が好きか」

今年56冊目読了。富士山御師の末裔にして、理学博士・拓大名誉教授の筆者が、日本人が富士山を誇りたがる理由について、社会文化面から掘り起こすことを企図した一冊。


筆者の出自が出自だけに、あまりにも富士礼賛がすさまじいが(苦笑)、個別の読み解きや知識はさすがだと感じる。


筆者は「富士山賛歌の歴史は、そのまま日本美の歴史である。万葉歌人が畏敬の念を持って詠ったこの山の名声は、信仰、美術、文学などを通して全国的なものとなり、葛飾北斎による一連の表現が、ひとつの頂点をもたらした」としつつ、「富士山は、人知の及ばぬ自然の中で、最も畏敬の念を懐かせる自然だ。しかし富士山は、霊妙で崇高な神の山である一方で、どこからでも拝することができ、誰にでも好かれるという大衆性をも兼備している。この親近感が、崇高な山というだけのものとも異なる傑出した存在にしている。富士山の醸し出す貴族性と庶民性との対照の妙もまた、大きな魅力のひとつ」
「富士山は『両性具有の山』であり、『大衆化された神山』であった。『まのあたりなる仙郷』と表現され、現実に実在しないと考えられてきた世界を実見できる場所だった。老若男女こぞってご来光を仰ぐために、浄土であり、かつ神仙郷である富士山頂をめざすことになる。他界の浄土を拝したいと願う一方で、不老不死の仙薬を求めたいと願う、相矛盾した日本人の願望に富士山は応えてきた」と、まさに陰陽道の陽と隠を兼ね備える存在ととらえる。


また、科学的ではないものの「富士山の自然そのものが、ひとつの性格として日本人の精神に与えるエネルギーを秘めている。富士山を見て感動する心情が、美の象徴として、また日本人の精神として自然と醸成されるところにこそ、その偉大さの本質がある」は、感覚としてわかる。


ところ富士、と呼ばれる山が多いのも富士山の特徴。「平安期に命名された『都の富士(比叡山)』と、室町期に命名された『近江富士(三上山)』が古い『ところ富士』。江戸時代には国鎮記に14のところ富士が記載され、江戸末期には30そこそことなった」。明治になると、思想家の志賀重昂が「『ところ富士』を転用することで、日本民族としての帰属意識を高揚させようとした。富士山のすばらしさを地元で偲びたいという追慕や憧憬の念は、古くから日本人の中にあったが、これを巧みに利用し、全国に向けて、日本人が共有すべきアイデンティティとして啓蒙したのだ」。そして、だんだん日本の軍国主義と結びつくことで「膨張主義思想の象徴として『ところ富士』を利用していることは『日本帝国の勢力の大陸に拡大せしことを顕示』することから明白である。富士山は、その正当性を主張するためのレッテルであった。『ところ富士』の呼称も、占領地の正当な継承を子孫に残すことに主眼が置かれたものである。したがって、特定の地方のみに通用する山の名前では不十分であり、全国に轟く『富士』の名でなければならなかった」のあたりは、なんだかなぁと思いつつも、日本人の富士山好きが溢れている。


日本人には「外国人が富士を仰ぐ光景を見て、日本人は優秀な民族としての矜恃を強くするのだった。そして富士山は、世界の人に対して日本の卓越性を誇示する神格化されたシンボルとなる」という記述もあるが、却って日本人の海外コンプレックスすら感じる。でも、拠り所として富士山があるというのは、海外からの富士山礼賛でも感じるところ。


筆者は「山は、天空に立ち昇る気を生ずるところであった。深山に至ると、山中から湧きいずる気を身体の中に取り込める。現代では、山の気の効用が科学的に説明されている。永い年月をかけて、山との親和性が東洋人の気の感性を育んできたといえるが、その中にあって、富士山は、日本人の心性を格別なものにした」など、観念的な主張が多いが、富士山論としてはなんとなく違和感なく読めてしまうのが、日本人の感性のように感じる。理屈じゃない。それを痛感する。