世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】宮本常一「私の日本地図15 壱岐・対馬紀行」

今年48冊目読了。日本の民俗学者である筆者が、昭和20~40年代に訪れた壱岐対馬の実際の風俗と状況を書き記した一冊。


ウクライナ紛争で明らかなとおり、国境に近い場所は様々な要素を抱えざるを得ない。そんな興味で読んでみたところ、なかなか深くて面白かった。


そもそも、壱岐対馬について「対馬は海を隔てて朝鮮に対しており、藩政時代には、藩主は朝鮮通交の役目を背負っていた。明治になると対馬は要塞地帯に指定され、島の中央部には海軍要港部がおかれた。そこでは、産業、人口その他の調査統計に関する数字は、いちいち要港部の許可がなければ発表できず、写真も撮影を禁止されていた。そうしたことのために、対馬は産業や文化発展の上に大きな制約をうけていた。ある意味でこの島は昭和二〇年まで鎖国が続いていたといってもよかったのである」「元来壱岐は三紀層の台地に玄武岩の溶岩がおおいかぶさったものである。そしてまた浸食がそれほど進んでいないからゆるやかな起伏が多い。そのうえこの島の土は重い。それだけに地力もある。そして農業も早くから発達したのではなかったか」「壱岐が福岡県に属さず、長崎県に属していることは、海人たちの島連合意識というようなものがあったのではなかろうか。海には海の世界があったようである」と述べるあたりはさすがだと感じる。
また、離島と本土に関する「本土の漁船も島の漁船も大きさや行動力に大差のなかったときは、よい漁港に恵まれた島の方が有利であった。ところが昭和10年頃から本土で漁港としての設備を整えたところがふえてくると、漁船が大型化してその行動範囲を広げ、島の周囲へも出漁するようになった。それが急に島の漁業を圧迫しはじめた。それに対抗するには島の漁港を整備し、島の漁船を大型化する以外にない。しかしそのような資本を漁民はもたない。どうしても政府の援助を必要とすることになる」という観点は、21世紀を生きる中ではなかなか出てこないものである。でも、故に離島には数多くの人が住んでいたんだろうな、と納得できる。


フィールドワークの姿勢は、実際に現地を訪れる、という行為の意味を考えさせられる。「どこへいってもその土地の地理を知ることが何よりも大切で、村の見える峠の上に立ったら、村をよく見ること、家の数、家のあり方、耕地のあり方、植えられているもの、周囲の山とそこに茂っている木、村の中の神社や森や寺などについても目をとめる。そして村へ降りていったら、目にとまり心にとまったものを一通り見てまわれ。平坦なところで見おろしのできぬようなところでも、村の中には火見櫓とか、丘のあるもので、そこへ上って村を見て、村から外へ通じる道なども十分たしかめておくことだ」「調査というものは、調査する者の方に知識と体験が深くないと、見落とし聞きおとすことがきわめて多い」「調査しようというのは自分の聞きたいことと知りたいことだけを聞いてくることではない。多くの人たちが聞いてもらいたいこと知りたいこともあり、訴えたいこともある。それに答えるものがなければならぬ」のあたりは、観光や出張にも参考にできるような気がする。


そして、筆者が現場を見るまなざしの「大勢の人が群になって行動するとき、大事なことのほとんどを見落とすものである。それは、そこに住む人たちの心にじかにふれることがほとんどないからである」「今の人たちは後世の人たちに対して誇りうるものとして何を残せばよいのだろうか。今日の観光というのは先祖ののこした文化、あるいは自然美などの居食のようなもので、現代の人びとの作り出したものはきわめて少ない。これでよいのだろうかと思う」「観光客も急に増えはじめたのであろう。新しくなることに反対するのではないけれど、この町の永年にわたってつちかわれて来た風格が消え去ってゆくとしたら、それはさびしいことである」「落ち着きを持つことが結局はほんとうの進化につながるのではないか」が実に慧眼であると感じる。このような目線を持っているので、今なお新鮮な記録として感じられるのだろう。


そのほかにも、「失敗することでかえっていろいろのことを教えられます」「これ以上わるくなることはあるまい、これからみんなで少しずつ工夫してゆけばよくなってくるのではなかろうか、これを機会にみんなで少し努力してみようではないか」「人は決して停滞しているのではない。機会と条件を与えられるならば、それぞれの工夫によって生活を向上させていく」「生きていくという現実の中には、もうこれで満足を得られるという日はないものである」など、心に残るコメントがいくつもある。非常に考えさせられる一冊だった。