世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

[読了】梨木果歩「海うそ」

今年174冊目読了。超ベストセラー作家が、昭和の初めに離島を調査した人文地理学の研究者のフィールドワークと、50年後の縁を描く一冊。


学生の頃の友人に強く薦められて読んでみたが、なるほど、それだけの読み応えがある。これは面白い。


自然に対する主人公の感想「島、というのは盆栽仕立てのようだ。人工的、というのではない。むしろ生命力が横溢していて爆発せんばかりだ。盆栽、というのはつまり、何もかもが凝縮しているかのごとく小づくりなのである。木々も道も動物たちも。そこに、濃い何かが充ち満ちている」「どんな状況下にあっても、たいていの植物は、日に向かって伸びるしかないのだ。それが彼らの、生きる悲しさである」のあたりは興味深い。


主人公の人の世への眼差しも、少し独特。「決定的な何かが過ぎ去った後の、沈黙する光景の中にいたい。そうすれば人の営みや、時間というものの本質が、少しでも感じられるような気がした」「国というもの、人のつくる社会も、こういうものではないか。何かの上に乗っかって、それを守るかのように法令をつくり、巷では暗黙の規則を張り巡らせて、乗っかったものは大きくなるが、気づけば中身は虫の息、それでと外側の機構だけは確実に成長を続け、形は崩れずなんとか持ちこたえている。文字通りの形骸化。だがそれもまた、運命のしからしむるところなのかもしれない」などから、厭世的な香りがする。


人間の自然に対する向き合い方については「地名とは、使っている間に記憶の伝承の欠落や、時代の好みでどんどん変わっていく。しかし、あの伝承は、するともう、語り継ぐものもいない、ということなのか」「それにしても、怖れ気もなく木々をなぎ倒し大地を削り、道をつくったことよ。畏れる、ということが、己の世界観のどこにもないとしか思えない」のあたりの言及がなんとも胸をつく。


アラフィフになり、老年が近づいてくると、「五十年。私は何をしてきたのだろう。」「どんなことが起こっているのか、もうずっと先から、大体はわかっていたけれどーいや、わからないことを、わかっていたのだけれど、自分に因果を含めてあきらめさせるのに時間がかかっているーなんだかそのような人生なのだった」というのでは物悲しい。
なんとか「幻は、森羅万象に宿り、森羅万象は幻に支えられてきらめくのだった」「老年を生きることの恩寵のようなものだと思う。若い頃は感激や昂奮が自分を貫き駆け抜けていくようであったが、今は静かな感慨となって自分の内部に折り畳まれていく。そしてそれが観察できる。若い頃も意識こそしなかったものの、激する気持ちは自分の中に痕跡くらい残したのだろうが、今は少なくともそのことを自覚して静かに眠ることができる」という域に達したいものだ。しかし、それって、欲してたどり着くものではなく、人生を織り成し続けてこそたどり着く景色のように感じる。