今年153冊目読了。毎日新聞編集委員から作家に転じた筆者が、黒部ダム建設に至る現場の苦闘をインタビューに基づいて描き出すドキュメンタリー。
これは、迫力満点。昭和31年という、まだまだ敗戦の傷跡が深い中で、復興、そして未来に向けて突き進んでいく日本の瑞々しいエネルギーを感じることができる。
技術面において「新しい工法は、若い柔軟な頭脳でなければ駄目だと痛感していた」「戦いは長いんだ。仲間や部下を信じて、お互いに助け合わなければこの困難な工事は出来上がらないんだ」のあたりの指摘は、現代にも十分に通じる教訓だ。
171人もの犠牲を出した難工事。それゆえに「一個の人間の生命は、地球全体の重さより重いことを真に自覚するところから、一切の安全活動は始まるのだ」「現実にこうして事故は起こったのだし、またこれからも起こるだろう。それを承知で、またあすからも、危険な工事に技師や労務者たちをかり立てなければならないのだ」「人間が、人間のために、何かを打ち立てようとする時に、どうして犠牲が、いつも目的そのものの中に内在するかのようにあるのだろう。人間全体の生活や将来に何かをプラスするために、同じ人間が、自分の尊い生命を、どうして捧げねばならないのだろう。─幾ら考えても割り切れない矛盾だけれど、それはまた、避けようのない現実でもあるのだ」のような死生観にもつながる指摘は重い。
そして、時代背景から「困難は組織に闘志と団結を生むし、困難の克服は、また高い自信をも植えつけるのである。悲しむことでも、くやむことでもなかった」「胸を張って高らかにいえる何かを、─それは高貴なロマンを、壮大なドラマを、壮麗な記念碑を、人々は自らの会社の誇りにかけて、欲していたのかもしれない。もう一段高い会社に会社自身が高まり、もういっそう深い同士愛に相互の結合が強まり─、それを果たすために、何かみんなが全身全霊をあげてぶつかるものが、彼らはほしかったのかもしれない」のようなことが盛り上がりに繋がった、と述べるあたりを見ると、2021年の日本には完全に失われた何かだなぁ、と感じてしまう…
年齢を重ねる、ということについての「思うに『死』というものについて、深い恐れを抱くのはむしろ少青年時代ではあるまいか。壮年となり老年に近づくにつれて、人は死自体には日一日と近づくわけだが、むしろ恐れは薄らぎ、消えていくのが通例ではないだろうか。人間の諦観が、死もまた待つべきものと、長い時間をかけて教えてくれるのではないだろうか?」という指摘は、ただただ日々を浪費している自分には耳が痛い…
「そもそも『黒部』という地名はアイヌ語の『グルベツ』‐魔の川という意味の言葉から出たものだといわれ、また黒々と大木が茂って、太陽の光さえ通さぬところから来た名前ともいわれるが、どちらにしてもそれは、謎であり未知であることの呼称にほかならない」というのは知らなかった。
プロジェクトXもいいが、こうやって小説で読むのも、また味わい深いものだ。そして、そこから幾星霜を重ね、今の日本は今後どうなっていくのか?という気持ちにさせられる。もちろん、この時代をむやみに礼賛する気持ちはないが、熱量はあっただろうな、と感じさせられる一冊。