世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】国分功一郎「暇と退屈の倫理学」

今年59冊目読了。高崎経済大学経済学部准教授の筆者が、人間が生きることについて、暇と退屈という観点から哲学的に掘り下げる一冊。


なかなか骨太だが、自身の抱える問題意識にピッタリ適合したこともあり、かなりのめり込んで読めた。


人類は満たされているのか?というところを起点に「人間は豊かさを求めてきた。なのになぜその豊かさを喜べないのか?」「そもそも私たちは、余裕を得た暁に叶えたい何かなどもっていたのか?」と問題提起。「人は暇を得たが、暇を何に使えばよいのかわからない。なぜ人は暇の中で退屈してしまうのだろうか?そもそも退屈とは何か?」と、本書の問いを立てる。そして「生きているという感覚の欠如、生きていることの意味の不在、何をしてもいいが何もすることがないという欠落感、そうしたなかに生きているとき、人は『打ち込む』こと、『没頭する』事を渇望する。大義のために死ぬとは、この羨望の先にある極限の形態である」という状態にも問題意識を持つ。


そして、暇を持て余す人間の欲望の根源に切り込む。「人は、自分が<欲望の対象>を<欲望の原因>と取り違えているという事実に思い至りたくない。そのために熱中できる騒ぎをもとめる」「部屋でじっとしていられず、退屈に耐えられず、気晴らしをもとめてしまう人間とは、苦しみをもとめる人間のことに他ならない」「退屈している人間がもとめているのは楽しいことではなくて、興奮できることなのである。興奮できればいい。だから今日を昨日から区別してくれる事件の内容は、不幸であってもかまわない」あたりは、コロナ禍の2021年において、まさにじっとしていることに耐えられなくなっている日本国民(自分を含む)の状況にピタリと当てはまる…


そして、もともと人類の祖先は遊動生活者であったことに着目。「貯蔵は移動を妨げる。貯蔵の必要に迫られた人類が、定住を余儀なくされた」「退屈を回避する場面を用意することは、定住生活を維持する重要な条件であるとともに、それはまた、その後の人類史の異質な展開をもたらす原動力として働いてきた」と指摘する。


暇と退屈の区別については「暇は客観的な条件に関わっている。退屈は主観的な状態のこと」と定義づける。これはなるほど納得できる。


そんな中で、消費社会は恐ろしいサイクルを人々に突き付けている。「レジャー産業は人々の欲求や欲望に応えるのではない。人々の欲望そのものを創り出す」と指摘。「消費社会は私たちを浪費ではなくて消費へと駆り立てる。消費社会としては浪費されては困るのだ。なぜなら浪費は満足をもたらしてしまうからだ」「いくら消費を続けても満足はもたらされないが、消費には限界がないから、それは延々と繰り返される。延々と繰り返されるのに満足がもたらされないから、消費は次第に過激に、過剰になっていく。しかも過剰になればなるほど、満足の欠如が強く感じられるようになる」「終わらない消費は退屈を紛らわすためのものだが、同時に退屈を創り出す。退屈は消費を促し、消費は退屈を生む」というサイクルを見せつけられると、暗澹たる気持ちになる。まさに「消費者は自分で自分たちを追い詰めるサイクルを必死で回し続けている」というわけだ。


また、退屈にはいくつかパターンがあるとする。「私たちは何かによって退屈させられているとき、その何かがもつ時間にうまく適合できていない」という形、「外界が空虚であるのではなくて、自分が空虚になる」という形、そして「なんとなく退屈だ、と感じる私たち」。特に最後のものは非常に危険であり「あらゆる配慮と注意を自らに免除し、ただひたすら決断した方向に向かえばいい。しかも、もはや『何となく退屈だ』の声も聞こえない。決断は苦しさから逃避させてくれる。従うことは心地よいのだ。だからこう言わねばならない。人は従いたがるのだ」と述べるが、この恐ろしさは、まさに田野大輔「ファシズムの教室」でナチスドイツに国民が積極的に加担した姿と相似形を成している。筆者も「大切なのは、退屈の奴隷にならないこと」と警鐘を鳴らしている。


では、どうすればよいのか。「人はものを考えないですむ生活を目指して生きている」という前提がありつつも「ものを考えるとは、それまで自分の生を導いてくれていた習慣が多かれ少なかれ破壊される過程と切り離せない」「大切なのは理解する過程である。そうした過程が人に、理解する術を、ひいては生きる術を獲得させる」とし、「日常的な楽しみに、より深い享受の可能性がある」「楽しむためには訓練が必要。その訓練は物を受け取る能力を拡張する。これは、思考を強制するものを受け取る訓練となる。人は楽しみ、楽しむことを学びながら、ものを考えることができるようになっていく」とする。


非常に参考になることが多い。とにかく、ものを考えたくないという人間の根本的な行動特性を理解したうえで、「今、ここ」で楽しむことを学びながら、ものを考える。このマインドは、飽きっぽい自分にとっては非常に学びが深い。大いに活用していきたい。


一般的にお薦めできるかは微妙だが、とても納得しながら読むことができた。