世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】西ケ谷恭弘、日竎貞夫「名城の日本地図」

今年47冊目読了。月刊歴史手帖の編集長と、日本写真家協会会員の筆者が、日本の名城100を案内する一冊。


後に制定される「日本100名城」とは別に、独自で選んでいるので、意外と違いが面白い。


まず、城の立地を考える際に「河川と街道による運送は、城の立地を考える上で最も重要たま。とりわけ城に用いる石材、大型木材は陸送運搬は不可能で、浮力を利用した水運が不可欠だ」「城は丘や山に立地することが多く、平地でも塁壁を高くして、ぐるりとめぐらせる。平面プランだけでは城の防御、攻撃の形態がどのようなものか、どのような仕組みなのかわからない」というのはそうだな。


そして、実際の城の見方として「城を訪れたなら、築いた者になりきって城を見てみよう。必ず城には攻めやすい所とか方向をつくる。敵をそこに集中させて殲滅させるためだ」「城の区画や塁壁ラインを決める縄張の時、正面がどの方向かあらかじめ考えて、見映えのよい曲輪や建物を配置する。すなわち正面は見た目がある程度優先されるのだ。となれば、天険や厳重な防御のある攻めにくい搦手の裏より、空堀や土橋という容易に戦闘に入れる正面を攻めた方が城攻めは確かだ。守り手は、城を包囲する攻め手を裏より出て正面に追い込み、搦めとる、すなわち裏より出て大手に攻め手を集中させ、搦めとるのが築城の基本なのである」は、非常に参考になる。そんなことを考えて城を観光したことはなかったな…


筆者は、修復についても「石垣が修復され、松にかわり桜が植えられると、人々はどうしても石垣上に建物が欲しくなる」「史実を無視して土塀をめぐらす修復は、史跡文化財の活用をめぐり今後議論を呼ぶであろう」と警鐘を鳴らす。これもまたそのとおりだと感じる。


個別の城についての記述については詳細すぎるので割愛するが、「実は、城と桜が結びついたのは、明治中頃からであった。戊辰戦争、日清・日露戦争だの戦没者を慰めるために県別に護国神社が、各地に忠魂碑が建てられ、その周囲に国威発揚のため、武士道に通じる『散るみごとさ』の象徴として桜が盛んに植えられた。護国神社や忠魂碑は当時、廃城後まもない地方都市の中心に位置する城址に建てられた」という事実は知らなかった…モノに理由あり。興味深い。