世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】石郷岡建「杉原千畝とスターリン」

今年46冊目読了。毎日新聞のモスクワ支局ソ連・ロシア特派員を二度務め、現在は日本大学国際関係学部非常勤講師、麗澤大学非常勤講師の筆者が、「ユダヤ人をシベリア鉄道に乗せたソ連共産党の極秘決定」について読み解いていく一冊。


人道主義の極みのように言われる杉原ビザ。しかし、本当にそうなのか。様々な資料から読み解いていくことで、なかなか衝撃の事実が明らかになる。これは勉強になる…


そもそも、なぜユダヤ人は嫌われたのか。「ひとことで言えば、『イエス・キリスト(神の子)は、エルサレムユダヤ人によって十字架にかけられた』という怨念」「ローマ帝国時代から中世にかけて、欧州各地に広がったユダヤ人たちは、土地の所有を禁じられ、商工業の職人組織にも入れなかった。このため、金貸し、行商、芸能など、通常ではない職業にしか就けなかった」はなんとなく知っていたが、その流れが「ロシア帝国の危機が深まると、政治・社会の不安が広がり、人々の怒りはユダヤ人に向かう」となることは知らなかった。


日本人でも意外と知らない河豚計画。「ナチス・ドイツの迫害を受けたドイツ系ユダヤ人を満州で引き取り、ユダヤ系米国資本の満州投資を促進させる」という案は、日露戦争時のジェイコブ・シフの資金援助が背景にある。「『ユダヤ人→金持ち→ロシア嫌い→ロシアと戦う日本を援助』という思考回路が確立され、『戦争をする場合には、ユダヤ富豪の支援が必要不可欠だ』という結論、もしくは神話ができあがった」とは、知らなかったなぁ。
その後も、「日本の対ユダヤ政策は、ドイツの要求に応じながら、米国との関係悪化も気にするという、どっちつかずの態度で、この時期に一貫してあらわれる政策だった。結局、判断は現場の外交官に任せる『良きに計らえ』的な訓令で、どのような行動も許される余地があるというあいまいなものであった」という日本の弱点はこのときにも露呈する…


杉原千畝についても細かく分析する。「杉原は大学を卒業しておらず、文官高等試験に合格もしていない。高度な外交戦略を展開できる外交官としては見られておらず、単なる通訳官としか考えられていなかった可能性が高い。この学歴の話は、その後の杉原の行方について回ることになる」「フィンランド国家警察は日本大使館の行動を監視しており、明らかに杉原が諜報活動の中心人物だったと結論づけていた」「杉原は、情報連絡網の真ん中のリトアニアの首都カナウスに位置し、当時はドイツ支配でもない、ソ連支配でもない、絶好の中立地帯で、迫り来る機器の情報を集めることができた」とは、けっこう驚愕の事実。そうなんだ…


そして、このカナウスが不思議な命のビザを生み出す。「ポーランド難民の多くは、ドイツ軍侵入で慌てて避難してきたため、パスポートを持っていなかった。または、もっていたとしても、ポーランド国家がすぐさま崩壊し消滅したため、国家の支えがなくなっていた」という状況において「カナウスで出入国・通過ビザを発給してくれそうな領事館は、難民は早く出て行ってほしいと思っていたリトアニアと、『通過』だけなら認めるというソ連と日本の三カ国」「問題は最終目的地の入国許可。そこで出てきたのが、『キュラソー』という南米の小島を目的地にするという、トリックに近い解決案」「日本・ソ連ユダヤ難民の三者の間で、シベリア横断の手続きに関して、お互いに『キュラソー・ビザ』のトリックを暗黙の了解とし、もしくはあうんの呼吸の合意を行ったということだったかもしれない」というのは知らなかった…


官僚主義の中で、杉原が巧みに立ち回るところも、非常に興味深い。「外務省は『日本は、難民を受け入れない』という原則は基本的には変えていない。問題は、難民か一般旅客か、この区別をつけるのは難しく、きちんとした身なりで金を持ち、ビザを準備した個人客にはどう対応するのか、はっきりした説明がない。杉原は、この区別の難しさを利用した『金持ちなら(ビザ発給は)問題ないのですよね』というような雰囲気で、ビザ発給許可願いをこれ見よがしに外務省査証課に送り、許可を求めたケースもあった」「杉原からすれば、判断責任を現場に任せ、どちらとでも解釈できるような訓令を送ってきた査証課への、ある意味、冷笑であり、批判であったとも思われる。そして、難民ビザを側面から認めさせる、ある種のトリックでもあった」「杉原と査証課の対立は、差別構造が堅固存在していた戦前の日本の官僚組織の底辺で働く非エリート同士の衝突という色彩が強く、後々まで感情的なしこりは残ったのではないか」は、今なお官僚組織に残る弊害のように感じる。
他方、「松岡外相は、杉原発給の日本通過ビザにおいて、外務省の規則に反する“怪しい書類”がかなりあったが、何ら厳しい処分をしなかった。その一方で、外務省内部の原則順守の厳しい態度も否定せず、それなりに面子を立てていた。結局、問題がこじれないように、うやむやにしたということだったのかもしれない」というのも、いかにも事なかれ主義だ。これがたまたま良い方向に出るというのは皮肉だが…


日本人はなぜユダヤ人を差別しなかったのか。「日本人の反感の対象は、ユダヤもしくはユダヤ人ではなく、西洋への反発で、西洋主義批判に重点があったのではないか」「ユダヤ教キリスト教の違いがよく分からず、米国人とユダヤ人の違いも分からない日本人としては、結果としてよく分からないまま『公平』となったということかもしれない。しかしユダヤ人にとっては、特別な記憶として残ったようだ」という程度だが、無理解は時にして不思議な結果を生むなぁ。


そもそも、杉原ビザとは何だったのか。筆者は「杉原の『命のビザ』の話は、ユダヤ人の『絶滅収容所』の虐殺が始まる前、第二次大戦と独ソ戦争の二つの戦争の勃発の間の非常に短い期間に起きた話だった。そして、混乱の欧州の中で、リトアニアというユダヤ人が自由に動ける小さな空間が出現し、日本政府のあいまいな訓令の中で、奇跡的な『シベリア横断のユダヤ難民移送計画』が実現されたのだった」「杉原が発給した『命のビザ』の半数以上は、宗教関係者で、しかも、独身の神学生がほとんどだった」「杉原の『命のビザ』の背景を調べていくと、宗教と密接な関係を持った者が非常に多いのに驚く。結果的に、ユダヤ人への共鳴から、ビザ発給を支援するという行動になったが、どの程度正しい理解に基づいたものだったか、はっきり分からない。だが、それぞれに、宗教的な信念と正義への思い(もしくは思い込み)が、強くあったのではないか」と、その奇跡は単なる人道主義だけでなく、実に不思議な人の思惑が生み出したもの、と結論づける。


とにかく分厚い本だが、読み応えがあった。そして、筆者の「どの人も、客観的ではなく、偏った理解や主張している状況から逃れられないのが普通だと思う。真相を知るということは難しい」の言葉が重い。これは本当に同感だ。

 

ただ、残念ながらタイポがそこここに。こらはなんとかしてほしかったな…