世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】相良俊輔「流氷の海」

今年57冊目読了。動物小説、熱血冒険小説を描く作者が、軍司令官・樋口季一郎の数々の決断を追う一冊。


筆者が「ヒューマニズムの精神と、それに殉じた一人のサムライの生涯を、このまま地に埋もれさせたくなかった。いや、埋もれさせてはならないと思った」という想いを乗せて描いた力作であり、樋口季一郎大将の素晴らしいリーダーシップを感じることができる良書だ。


そこいらの大将と違うのは「樋口は、『進め、進め』式の明治時代の戦法が、近代戦で通用しないことを知っていた。兵力のムダな損失を避け、弾力性のある用兵の妙を発揮することが、勝利につながることである、と信じていた。」「手綱を締めるときは締め、ゆるめるときはケタはずれにゆるめるのが、樋口のやり方であった」という思考にも表れている。実に見事だ。


樋口を名将たらしめているのは、オトポール事件の人道的対応、キスカ島撤退作戦の完遂もさることながら、やはり終戦後のソ連軍の不法行為に対抗した占守島の戦いだろう。
アメリカ軍の戦闘行為は、八月十五日正午をもってぴたりとやみ、一機の飛行機もとばなくなっていたのに、樺太ではそれから、九月五日まで、戦闘がつづけられたのである」。そもそも、日本軍の立場としては「当方は、天皇の命によって武装解除するのであって、敗戦の連続としての投降ではない。したがって、武器投棄は両軍協議の上、紳士的に行われるべきである。」が、「しかるに、ソ連軍は無警告で、武力による奇襲行動をおこしたのである」。
これに対する樋口の記述は涙無しには読めない。「(兵がかわいい。一兵でも死なしてはならない。一人でも多く生きてかえしてやりたい)樋口は、目を閉じたまま、そう思いつづけていた。だが、樋口は、カッと目をみひらくと、凛とした声でいった。『堤兵団長宛、電報をうつのだ。"断乎、反撃に転ぜよ!"』参謀たちは、電気にうたれたように棒立ちになった。が、すぐに、喚声をあげると、あらあらしく部屋を出ていった。(すまん、ゆるしてくれ)だれもいなくなった部屋に、ひとり佇んだまま、樋口はだれにいうともなしに、ポツリと呟くのだった」…


そして、「占守島攻防戦で、凄絶にして、もっとも華々しく散華したのは、戦車第十一連隊長池田末男大佐と、その部下たちであろう。戦車第十一連隊は、通称を"士魂部隊"ともよばれていた。十一という隊号を『士』となぞらえ、もって困難に殉ずる、というのが、創設以来の連隊の信条であった」「『戦車第十一連隊は、これより突撃を開始す。祖国の繁栄と平和を祈る』池田戦車隊は、かくして出撃した」。壮絶な戦いの末、局地戦で勝利しつつも武装解除をされる破目になる。「あきらめるんだな。この島では、勝った。みごとに勝った。だが、日本は負けたのだ。日本はな…」
しかし、樋口の英断、占守島部隊と池田戦車隊の活躍は無駄ではなかった。「『日本軍強し』の感が、ソ連首脳部に、武力による占領をより慎重にさせ、躊躇させた事実をみのがすことはできない。もしも占守島の戦闘が、満州における関東軍のごとき負けいくさであったならば、勢いにのるソ連軍は、南千島を席捲していたにちがいない。ソ連が意図した北海道半分の武陵占領が、もし現実化していたら、北海道もまた、東西ドイツのごとく、そして『ベルリンの壁』のごとく、二つに分断される悲劇を招いたかもしれないのだ。その意味では、占守島の戦いは、ソ連のあくなき野望を、完全に破摧したものといえよう」。樋口大将に、敬礼しかない。


これだけの傑物がいながら、大本営は情け無い。「いったん樹てた基本方針を、たった三日でおくめっもなく撤回する大本営の見識のなさは、どういったらよいのか」「その場、その場のおもいつきで勝手きままにふるまい、あとのことなどわれ関せず、といった大本営のやり口に、参謀たちは、またか?と呆れ、うんじりした顔をした」「戦略、戦法に奇襲攻撃はあり得る。しかし、戦争の本質上には奇襲はないのだ。いや、あってはならないのである。戦争は『大義名分』を絶対に必要とするからである。なぜ、大義名分が必要なのか。それは戦争が大義に立つ限り、国民の志気を永続的に作興し、敵国民の志気を挫折せしめるからである」とは、本当に酷い。


樋口大将の素晴らしさは、「いつのときもそうだ。ひとのやらないなにかを、やろうとすると、かならず、といっていいほど、いつもこんなおもいをさせられる。それでも、そのなにかをやろうとすることが、大切なのだ。そのためには、大きな勇気と決断がいる。それを恐れていては、しょせん、なにもできやしない…」「よし、おれがやろう。おれがやらずにだれがやるというのだ。軍を放逐されたっていい。正しいことをするのだ。恐れることはない、いまこそ、本当の勇気がいるのだ」というヒューマニズムにある。正義感溢れるリーダーシップに、感嘆するしかない。