世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】田中慎弥「孤独論」

今年112冊目読了。未だに手書き原稿でしか文章を書かないというかなり異端な作家である筆者が、逃げて生きる、ということを提唱する一冊。


小6の娘が読みたいと言っていたので図書館で借りてきたのだが、これはどう見ても大人向けだ。むしろ、自分の方がためになる。


現代社会の状況について「あまりに孤独になりすぎるのもよくはないけど、人には独りになって息をつく時間だって必要」「まるで『こうでなければならない』『みんなこうしているのだから』といった幻影の声に惑わされ、正体のないものの奴隷になっている状態なのではないか」と鋭く切り込む。
そのうえで「人生はたいへんである。ならばせめて、少しでもやりたいことをやれたほうがいい。おもしろいほうがいい」「自分の頭で考える―。このシンプルにして味わい深い営みが、奴隷状態から抜け出すポイントだ」と、奴隷状態に気づくことを主張。


では、どうするか。「奴隷状態を克服して脱したいと願うのであれば、やるべきことはひとつ。いまいる場所から逃げることだ。自分の命を守り、生き方を取り戻すほうがはるかに重要」「大切なのは、逃げたら、そこからは能動的な思考を継続していくということ。主体性、能動性、そういったものを取り返すための逃避なのだから」という言説は重い。


40代の自分にとっては「三十代、四十代なら、まだ気力も体力も振り絞れる。間に合ううちにぜひ、とことん現実の壁にぶつかる。あなたにとって大切な『なにか』、価値ある『なにか』があればできるはず」「臆病風に吹かれながら必死に取り組んで、それで前進すれば喜び、進歩がなければ落胆すればいい。一筋縄ではいかず、一進一退の先になにかがある。感情はいつも揺れ動き、順風満帆にはいかない。だからこそ挑み甲斐がある」という言葉は心に刺さる。


情報化時代を「情報の側に行動を決めてもらっているのでは情報の奴隷。あなたの主体性は限りなく弱くなっている」「自分の頭で吟味せず、ひたすらインターネットの情報を飲み込み続ける。情報の上辺だけを味見して、絶え間なく自分の中を通過させる。咀嚼することなんて忘れて、消化不良に消化不良を重ねていく。それで疲れてしまわないほうがおかしい」「みずから向き合う時間がなければ、豊かさは得られないし、あなたは奴隷のまま。ずっと急き立てられて生きることになる」と見ているあたりは、かなり正鵠を射ているように感じる。


孤独については「孤独であることは社会のシステム上、忌避されている。しかし、人間は根本的には孤独。わたしたちはそうしたアンビバレンツにさらされている」「自分のやりたい道に舵を切れば、必ず孤独に直面する。そこは耐えるしかない。そして耐えられるはず。孤独になるのは当たり前の事」「孤独とは思考を強化する時間でもあるので、その時間が足りないと、建設的な提案や、あるいは反論ができなくなる。生産性を高められなくなるし、無理筋な要求を唯々諾々と受け入れるはめにもなる」と、その効用を強調。「独りの時間、孤独の中で思考を重ねる営みは、あなたを豊かにする。そうした準備、練習が、仕事に幅をもたらす。あなたを解放する」は、心に留めおきたい。


読書の意義については「本の世界に浸る孤独な時間は、無数の選択肢をもたらし、希望の光となる。滞った思考を耕してくれる。読書は奴隷に陥らないための、奴隷状態から逃げ出すための、手引きにもなりえる」としつつ「ビジネス書でも自己啓発本でも、そこに確かな答えはない。自分なりに考え、創意工夫をめぐらせなければ、言いなりになるだけ。そしてそのうち、つぶれてしまう。本の奴隷になってはいけない」と、流されすぎないように釘をさす。


言葉の大事さを「人間の脳、身体は、いわば言葉の容れ物。そこから言葉をどんどん出して、出した分だけまたどんどん容れていかなくてはならない。他者の言葉を知らずして、自分の言葉は生まれない。自分の言葉がなければ喧嘩一つできないし、だれかと仲良くするのもかなわない。人間の正体は、言葉そのもの」と語るのは、筆者が文筆家故ではあるが、真実だろうな。


ただ、なんだかんだ言っても50近くなってくると「身体は頭よりも正直。あなたはどういうものが好きなのか、どんな状態が心地よくて、どんな状態がきついのか。肉体をしっかり動かし、肉体に耳を傾けたうえで、取捨選択をはかる」というのが大事だ、というのはよくわかる。


いやぁ、これは人生に向き合う大事な本だ。一読をお薦めしたい。