世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】武田砂鉄「わかりやすさの罪」

今年30冊目読了。フリーライターの筆者が、わかりやすさがもてはやされる現代に警鐘を鳴らす一冊。


筆者がひねくれ者なのはよくわかるが(笑)、それで片付けられない深さがあるように感じる。


現代社会の病理として「『どうしてこの私にわかるものを提供してくれないのか』という姿勢は『わかりやすさの罪』の最たるものだ」「今という時代は、こっちが理解できるもんを出してくれという生温い受動性と、こっちはそっちも理解してますから、という身勝手な能動性が、相手に対する最低限の尊厳さえ損なっているのではないか」「このところ、世の中のあらゆる場面で、話にオチをつけなければならない強迫観念がある」「正解を欲する。正解を共有できなければ怖くなる」のあたりは共感できる。
また、「理解のために、理解できないものを排除する、歓迎しない。この姿勢が『わかりやすさ』と抜群の相性を見せてしまうのは窮屈である」「どこまでも効率化が図られていく状態を、今を生きる人間として優れていると規定するのはまったく乱暴」という指摘も、行きすぎた社会の息苦しさをうまく掬っていると感じる。


わかりやすさに振り切らないほうがいい理由として「他者の創造や放任や寛容は、理解し合うことだけではなく、わからないことを残すこと、わからないことを認めることによってもたらされる」「人の心をそう簡単に理解してはいけない。そのまま放置することを覚えなければいけない。理解できないことが点在している状態に、寛容にならなければいけない」「わかりにくさを描くことの先に知は芽生える」「余計な話が含まれていたほうが、人と人は対話をしやすくなるはず。余計な話、無駄な話があるから、考える余白が生まれる」というあたりも、よく理解できる。


どのように、情報に触れるべきか。筆者の主張する「検索できるのは自分の知っていることのみ。そうならないよう、検索未満のうっすらとした記憶や興味を、特定の場所(新聞、本屋など)を徘徊することによって形にしたい」「偶発性をふんだんに用意しておかなければ、唐突な定義に翻弄されてしまう。情報を操作されてしまう。自分から検索サイトを翻弄させるくらいの気持ちで臨まなければ、あちらはこちらに『まるで偶然』を仕掛け続けてくる」「情報に対して受け身になりすぎることによって、思考の幅が萎縮する。あれとこれをこじつける力というのは、あくまでも自分で有していかなければならない」という姿勢は、自分も意識しているところで、共感できる。


そのほかにも「自分の放ちやすいように加工され、盛られ、整理された文句って、相手にはさほど響かない。人が読みたくなる文章というのは、これまで見たことがない、でも、それがあると知ってはいて、それについて語られているのを初めて見るもの」「本は、そして文章は、すぐには掴めないからこそ、連なる意味があるのだ」のあたりは確かになぁと思う。


筆者の結論が「結論を出す、というのは、そんなに優れたことなのだろうか。そう簡単にゴール地点を探さないほうがいい」というのは皮肉だが、なかなか頷けるところが多い。これは一読をお薦めしたい。