世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】杉田俊介「男がつらい!」

今年89冊目読了。批評家の筆者が、資本主義社会の『弱者男性(未婚、非正規、孤独、美醜、貧困、非モテ)』論を展開する一冊。


新聞で紹介されていてタイトルで気になり読んでみた。…が、途中までは納得できるが、途中から「自身の心の叫び」にいきなり転換し、わけがわからなくなる不思議な本。なんだろう、このブレっぷり…


弱者男性について「それぞれの複雑な理由によって貧困、剥奪感、尊厳破壊などを背負わされた『弱者男性』たちの絶望と苦悶を的確に論じるための言葉や理論が、いまだに存在していないのではないか」「弱者男性たちは、積極的な属性として語りうる弱さ(政治的な集団性の根拠としての弱さ)ではなく、『残り物』としての弱さを強いられ、それによって人間としての尊厳を剥奪されている」と述べるあたりはそうだろうなと思える。
また、「『男』たちは最初から上げ底の『下駄』を履いている。それが男性特権の問題として強く批判されるようになった」「高齢男性の自殺は、労働問題や経済問題のみならず、孤立が要因であることが多いと言われる。男性が理想とするライフスタイルとは、男性稼ぎ主モデル+妻依存に大きく傾いている(子どもや孫の存在は、統計的には必ずしも大きくない)」という『男であるが故の生き辛さ』も、自身が経験しているだけによくわかる。


また、つい男がハマってしまう罠として「日常の『ささやかなこと』や『無駄に思えること』に意味を見いだせないことが、『男』らしさの呪縛なのかもしれない。日々の『無意味な楽しさ』に巻き込まれてそれを味わえばいいのに、なぜかそれを積極的な『男の趣味』や『~道』にしてしまう」「『そこそこ』に人生を楽しむためのモデルがあまりなく、保守的で家父長制的な男らしさか、リベラルでスマートな男性モデルか、それくらいしか選択肢がない」のあたりはまさにそのとおり。軽やかに生きるモデルが意外にないのだ。


それゆえに、「男性たちにもセルフケアや自己への配慮が必要である。男性たちは、自分の心身を蔑ろにしがちである。身だしなみや化粧をつねに過剰なほど要求され、重圧を受ける女性たちにくらべて、男性たちは、身体をネグレクトすることを特権的にゆるされてきた。心身の傷や痛みに配慮せず、黙ったまま耐える、という『無痛』こそが男らしくかっこいい、そんな男性性の規範もあった。しかし、そこにはやはり心身の無理がある」「日々の適切なセルフケアの訓練や練習をあらかじめしておかないと、セルフネグレクト状態に陥ったり、溜め込まれた感情を暴発させて、他者や自分へ暴力的な攻撃を行ってしまう」という指摘に基づいて「自分の中の痛みや傷の部分的=小出し的なシェアリングを日常的に行っていくこと、『男』としての生活のあり方をこまめにメンテナンスしていくことが大事」と主張している点は全く同意する。男だからといって、セルフネグレクト状態はやはりよくない。


ただ、筆者が最終的に提唱する解決策「あらゆる救済からも承認からも見放されて、『つらさ』の中にとどまり続けること、それがそのまま、男のプライドならぬ、弱者男性たちの尊厳になるだろう」「たとえ才能も、実力も、承認も、何より天命もなくても、おれたちは淡々と、粛々と、早くも遅くもなく、多すぎも少なすぎもせず、ルーチンワークのように仕事をやり続けてよいのだ。死ぬまでの間はどんなにむなしくても歩み続けてよいのだ。そしてその索漠とした歩みこそが、それだけが、このおれにとってのこの世界に対する感謝の表し方なのだ。そして尊厳なのだ」って、どうなんだろう。なんだかモヤモヤする。
何よりも「生きることはそもそもつまらないことだ。何かが欠けているとか、何かから疎外されているから楽しくない、面白くない、というのではない。ただたんに、単純に、つまらない」と断言されると、筆者のよくわからない信念(=思い込み)をもっとなんとかできないものか…の念を禁じ得ない。


参考になる部分も多いが、正直、お薦めはできないかな…