世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】野村育代「北条政子」

今年50冊目読了。女子美術大学付属高校・中学の教諭である筆者が、尼将軍・政子を中世人の一人として捉えて掘り下げる一冊。


筆者自身が「ジェンダーの問題に関心を置いた社会史としての人物伝」と語るとおり、あまりにもジェンダー論が強すぎ、逆にアレルギーを起こしそうになる。2000年という執筆時を考えても「近代の男性作家吉川英治は、なぜ、女性が夜をしのいで恋人のもとに走るという情熱的な物語を、花嫁掠奪の場面に置き換えたのだろうか?きっと、そういう方が、この作家の趣味にかなっていたのであろう。私は、こうした改作は、古典『平家物語』をゆがめ、女性を蔑視するものだと思う」などを見ると、明らかに肩に力が入りすぎている。


歴史上、女性が活躍していたということについての「政治史の裏舞台では、家の奥深くで発生する重大な情報が女たちによってキャッチされ、流されていたのである。それは、政子のような女主人から女房らをも巻き込んだ、情報のネットワークであった」「女院政は、時代は状況によってさまざまな立場の女院を生みだしていくが、もともとは、寡婦で母である立場の者に贈られた地位」「夫が死ぬと妻が財産をすべて管領し、子らに分配する後家の役割が始まってくる」のあたりの指摘はなるほどと思う。


また、政子のイメージについて「江戸時代の人々の間で、政子は、絶対的な権力を持つ母親、おっかない女のイメージでとらえられていた。そして、その一見軽い、揶揄するような調子のいい方の裏には、権力者に対する反感が、『女のくせに権力を持つ者』に対する反発となって潜んでいるように思われる」「戦前から戦中に、肯定的に評価された女傑政子像は、女性たちに勇気を与えると同時に、女性を総力戦体制に動員する役割の一端を担ったことは否定できないだろう」と指摘しつつ「歴史上の人物についての評価は時代によって変化する。時代によって視点が変わるのは当然にしても、それぞれの時代の政治やイデオロギーの都合に合わせた恣意的な解釈や、善玉悪玉の審判は、歴史像をゆがめ、時には世の中を煽動することすらある」という主張も、まぁ理解できる。


ただ、「頼朝が妻の出産時になると決まって不倫をするのは『都生まれの貴族だから』というのでは説明しきれない、何やら奇妙な、人間的な欠落を感じさせるものがある。平安貴族社会でも、妻の出産のスキをねらって愛人を作るなどという習慣は存在しない。これは、ひとえに頼朝の人格の問題であろう」のあたりになると、なんとなく私怨の臭いが漂ってくる。この物言いはどうだろう。


また、政子の政治手法を「過去の経験を引き合いにしてこんこんと人を諭すやり方は、政子が晩年に至るまで得意とした政治の技」「まず自分から渦中に乗り込み、理を通し、情に訴え、こんこんと説得し、『はっきりしろ』と迫る。これが、政子の一貫した危機管理の行動パターンである」と誉め湛えるが、正直、自分だったら(男だとか女だとか別にして)嫌だなぁと感じてしまった。


だんだん指摘も過激になって、ついていけなくなる。「親族の女性や弱者の保護というトップの女性の役割は、平安時代から受け継がれていたと考えられる。政子の場合は、武家の御台所としてその役割を果たした」はともかくとして「北条政子は、鎌倉幕府という権門の中では、確かに四代将軍であった。しかし、幕府だけでない当時の中世国家全体の中で、『鎌倉殿』=将軍を名乗ることはできなかったのだと言えよう」って、さすがに頼家・実朝時代の後見の仕方をぶっ飛ばしすぎている。「『二位殿の御時』と言われたこの時期、将軍権力は、政子と頼経によって二分されていたといえる。所領を媒介とした主従制的な支配権は政子に、儀礼的・象徴的な権力は頼経に。政子が武家儀礼に関与しなかったのは、人格がものを言う実際の政治とは異なり、故実の世界は、ジェンダーの壁が厚かったからだろう」などは、びっくりだ。


思想や立場はあるにしても、相手方を無視した主張はあり得ない。それを、改めて感じさせてくれた。でも、それ以上の価値は感じられないな…