世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】永井路子「この世をば(上下)」

今年33・34冊目読了。ベストセラー作家の筆者が、藤原道長と平安王朝の時代を圧倒的なボリュームで書き表した本。


当然、NHK大河ドラマ「光る君へ」が大当たりなので読んでみたというところ。そして、これがまた実に読み応え十分!道長を「圧倒的な成功者」としてではなく、平凡な三男坊が右往左往しながら権力闘争を泳ぎ抜く、という筆致が素晴らしい。
この時代の捉え方として「摂関体制という言葉にひかれて、この時代を摂政や関白などの独裁の時代と考えがちだが、決してそうではない。天皇、大臣に加えて、きさきと母后が、複雑にからみあい、それぞれ影響力を持ち合うのがこの時代の特色」「当時の天皇は、決して藤原氏に唯々諾々と操られるロボットではなかった。そして摂関と呼ばれる権力者たちも、簡単に天皇のすげかえのできるほどの権力者でもなかった」「母后と能吏、実は彼らはこの時代の影の主役なのだ」は、確かに歴史の授業とはあまりに違う感覚で興味深い。


道長については「それほどの深謀もなく、無我夢中で明子に近づいただけのことなのだが、気がついてみると、それが大きな人生の布石になっている…これにかぎらず、道長の人生にはそんなところがある」「腹を据えてみると、いつ、何をやるべきか、覚悟がきまってくる」「ごく常識的な道を、ゆっくり、やや大真面目に進む。見栄えはしない代わり、少なくとも批判を浴びることを避けるだけの効用はあった」「平凡児の取柄は、凡百の政治家のようにこれを自分の力だと思い上がらないところにある。平凡児の常識、政治における平衡感覚とでもいうべきか。しかし案外歴史の中で強みを発揮するのはこれなのだ。平凡児がおのれの摑んだ幸運におののきつつ、ときにはその幸運に押しつぶされそうになりながら、何とか平衡感覚を失うまいと苦闘するときに、かろうじて困難を切り抜けることができるのだ」とする。望月の歌からは想像もできないギリギリのラインを過ごしていったことは、この小説でよくわかる。


貴族の風潮に対しては「正面切って勝負するほどの度胸はもともとない。向こうが餌を投げてくれば、喜んで飛びつく」「彼らが後宮の近くをうろつくのは、そこに何かの出世の手づるがありはしないかと思うから」「栄華をきわめた人々の背後には、彼らに蹴落とされた数倍、いや数十倍の人々の怨念がつきまとっている。だから、勝利者がいったん体の調子を崩したとなれば、その弱みにつけこんで、得たりとばかり襲いかかってくる」とあるが、これって、現代社会にも同様だよな…


女性筆者らしく「女は一様に恋をし、結婚をし、母となると思っていることこそ錯覚なのだ。ある女にとって恋は豊かでも結婚は貧しいということもある。あるいは恋は貧しく、母としてみのりが豊かなときもある。そして、どの部分も豊かだということはほとんどあり得ず、またその豊かさ貧しさは、ある意味で幸、不幸とも無縁でさえある」「母親というのは、自分以上に息子に愛される存在などあるはずがない、と確信している。もしそういう女性がいたとすれば、それは息子をたぶらかす悪女にきまっている。そう思ったとき、母は無限に強くなる」「たいていの場合、女の言い分は正論である。正論過ぎるほど正論だからこそ、男は沈黙する。が、沈黙は肯定ではなく、まして敗北ではない。現実はまた別なのである」のあたりの表現はさすが。


また、孫かわいさという点についての「新しい生命が誕生したとき、祖父や祖母は、誰しも心をときめかせてその未来図を夢みる。あるいはその子が成人するまで自分たちはこの世にいないかもしれない。それだからこそ、未来図はますます虹色の広がりを持つのである」という指摘は確かにそうかもしれない。頭では理解できるが、体感しないとわからんのだろうな。


政界が乱れきっている2024年においても「いつの世でも為政者というものは、政策を打ち出すことには熱心だが、その結果には、あまり責任をもたない」「政治の世界は、一種のルール社会である。その枠の中で、いかに悪知恵を働かせて合法的に拡大解釈をするか、あるいは既成事実を積み上げて法の骨抜きをはかるか、政治家の腕のみせどころはここにある」の指摘が全く当てはまる。こんなの、当てはまらなくていいんだが…


その他、筆者の記述で心に残るのは「苦境にあるときは、誰もあてにしてはならない。誰も信用してはならない」「何事によらず、理由などというものはどうにでもなるものだ。ちょっと探す気になれば、事の起こった後から、それはのこのこと集まってくる」のあたり。それにしても「人生とは何と悲しく、何とおかしいものなのか。もっともその当事者だけは、いたって大まじめなのであるが…」とは、本当にそのとおりだな…