世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】永井路子「炎環」

今年43冊目読了。ベストセラー作家の筆者が、鎌倉初期の様子を4人の人物に焦点を当てながら人間模様を紐解いていく小説。


筆者の「北条政子」は肌合いが合わないな、と感じたが、阿野全成梶原景時、阿波局、北条義時というそれぞれの視点で描き出すこの本はとても面白く読めた。


阿野全成のパートでは「人よりも嫉妬や猜疑の激しい筈の頼朝が、こうして静かさを保っていることが、むしろ薄気味悪く思われた」「阿野全成はぎくりとして頼家の顔を見た。思いがけない陥穽におちた感じだった。彼は兄の一挙一動に注目していた余り、この蕩児の甥の瞳を見逃していたのかもしれない。目をふせたとき、頼家は急にやさしい口調になった。『禅師、源家の血は冷たい…な、そうは思われぬか。しかし冷たいのは、源家の血だけではなさそうだぞ、禅師…何か叔父御は思いちがいをしておられぬか』時政、政子、四郎義時などの顔が目の前に泛んでは消えた。-裏切ったな、さては…」のあたりのセリフが非常に心に迫る。


梶原景時の頼朝評も「公家的な風貌、身のこなし、人ざわりのよさ…あれが武家の棟梁とよばれる人間なのか?自分から座をとりもつような上機嫌な態度も、わざと旗揚げ当時のことに触れない態度も、むしろ景時が京で接したことのある公家連中の狡猾さに通じるものが感じられる。しかも近習とのやりとりをみると、頼朝はかなり神事仏事に熱心な様子である。鎌倉に新府を開いたばかりだというのに、早速神仏いじりに明けくれるというのは、武家の総帥としてなすべきことだろうか…その振る舞いが優雅であればあるほど、彼は頼朝への失望を禁じ得なかった」など、なかなか鋭い。
それでも「めったに本心を見せない頼朝は、誰かに動かされてという形をとりたがる。非難をうける恐れのあるときは特にそうだ。が、景時はそれと知りつつ進んで頼朝の意向を代弁する役を引き受けた。それによって頼朝の東国の王者としての位置が強まるのなら何のためらいが要ろう」という梶原景時が悪人としてレッテルを貼られるのも致し方なし、ということか。ましてや「坂東武者の伝統をうけついだ連中は向こう見ずで、戦好きで、平家追討、藤原氏追討になくてはならない人間だった。が、世の中が収まってくると彼らは非常に厄介な存在になってきたのである。一本気で単純で喧嘩が好きで、法を守ることを知らない。彼らも景時から見れば鎌倉には用のない人間だった」と、リアルに政治を扱うことができるマキャベリアンだからなぁ…


大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を楽しんでいる身としては「頼家の時代には、単なる武家の象徴としての将軍家よりも、もっと逞しい土のにおいのする彼ら自身の代表者の登場が望まれだしているのだ。が、具体的に比企か北条かということになると複雑な利害がからみあってどうにもならず、とどのつまりが合議制に落ち着いた。独裁好きな日本人の歴史の中でこれは珍しいことだが、一見合理的にみえるこの制度は彼らの野望の渦が苦し紛れに生み出したものでしかなかった」「合議制-一見非常に合理的に見えるこの制度はなかなかのくせものだ。御家人たちはこのために、かえってお互いに牽制し合い猜疑心を深めていった。人々は腹を探り合い、隙があれば相手を蹴落とそうとする。独裁者を失ったために相剋は益々激しくなったのである」の分析はさすがだと感じる。まさに、これが鎌倉初期の血で血を洗う酷さを表している。


そして、北条義時について「頼朝のように公家の顔色を窺って妥協を繰り返す武家の棟梁ではなく、はっきりと自分たちの側にたって権利を守り抜く新しい代表者、北条四郎を御家人たちは見出す。非情なまでに冷静な、気心の知れない策略家とだけ思われてきた四郎が、俄かに小細工をかなぐりすてた力の人として彼らの眼に映り始めた。都方が小手先の取引の具にした地頭問題で、かえって四郎は人々の心を捉えてしまったのだ」とするあたりは納得。


大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をさらに深く楽しむことができる良書だ。