世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】井沢元彦「義経はここにいる」

今年36冊目読了。歴史作家にして推理小説家の筆者が、現代に起こる架空の事件をもとに、義経北行伝説への新しい解釈を試みる一冊。


分厚い小説で、ちょっと読むのに重さを感じたが、読み始めてみると歴史好きにはたまらない内容。現代劇のような話と歴史とのクロスオーバーが楽しめて、グイグイと引き込まれてしまった。さすが、三谷宏治お薦め。


一応、推理小説でもあるので、ネタバレは回避しつつ、気になったフレーズを。


源平合戦当時の時代認識として「12世紀後半には、京・鎌倉・平泉の三つの地方政権が鼎立していたのだ」「義経は三つの大罪を犯した。その一、壇ノ浦の合戦において幼少の安徳帝をこともあろうに入水せしめてしまった。そのニ、皇位継承に欠かすことのできない三種の神器のうち、神剣をこれまた海に沈めてしまったこと、その三、本来非戦闘員である水夫・船頭を、合戦のルールを踏みにじって射殺すよう命じたこと」を述べるのはなるほどと感じる。


義経の悲劇とその後の判官びいきについては「王朝の創始者を補佐した英雄というのは、末路が悲惨。優秀な軍人、戦略家というものは、戦乱を平定し権力を確立するまではぜひとも必要な道具だが、一旦平和になると邪魔な存在になる。必要なのは国家を運営する官僚の方だ」「言い伝えは二つの型がある。一つは、いわゆる真相はこうだ、権力者が嘘の発表をしたのに対し、民衆の側で真実を口伝に伝えているという型。もう一つは、逆で、真相は違うのだが、何らかの理由で真実が伏せられ、別の、わかりやすい、他人の納得しやすい話が伝えられていくという型だ」などと考える。
そして、歴史を後知恵で捉える危なさについて「学者の考え方というのは、まず公文書を信じる。そして、それに反する説というのは確かな証拠が無い限り信じない」「自分が幽霊や死後の世界を信じないのはかまわん、それは個人の自由だ。だからといって、過去の人もそうだったと勝手に断定するのはいかん」のあたりは確かにそうだと感じる。


日本人の死生観「罪なくして無惨な死を遂げさせられたものは必ず怨霊になる。日本史を貫く原理といってもいい」「鎮魂しない限り怨霊は祟り続ける。怨霊が出そうになったら何らかの鎮魂措置をとる。これは当時の常識だったんじゃなきかな」「無実の人間は死ななかったと考える。死ななければ怨霊にはならない。したがって祟りもない。もっとも安上がりで確実な怨霊排除法じゃないか」のあたりは興味深い。また、宗教観についても「仏教は悟りを求め、キリスト教絶対神による救済を求める。悟りというのは、心の完成された状態だ。だからそれを求める方法はいくつもあるし、それにたどり着いた者が釈迦の他に何人いてもいい。ところが、キリスト教の神は絶対神で、他に神はいない」は納得できる。


そして、大胆な仮説として「金色堂は、藤原四代によって栄華の象徴として営まれた後、頼朝によって霊廟として完成された」「鞘は刀身保護のため、確かにそれもあるだろう。しかし、使う人間の側から考えれば、それがあるのは抜き身のままじゃケガをするからだ。つまり、鞘は人間保護のためにも存在する」のあたりはとても面白かった。


ストーリーのカギとなる部分「もし本当のことをいっているのにあ、周囲の人間からウソつき扱いされたら、冷静さを失う。物事を客観的に見られなくなる」は、筆者の人間洞察力に共感できる。


新幹線「ひかり」のグリーン個室で電話をしたり、寝台特急「あかつき」が走っていたり、と、なかなか時代を感じながらも、今読んでも非常に楽しめた。