世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】中村俊介「世界遺産」

今年134冊目読了。朝日新聞大阪本社編集委員の筆者が、理想と現実のはざまで揺れ動く世界遺産という仕組みの光と影に目を向ける一冊。


世界遺産の前提と現状については「もともと世界遺産とは選別主義をはらんでいるものであるから、同種の資産が選ばれにくいシステムは条約自体の持つ構造的な欠陥」「世界遺産を取り巻く環境は複雑さを増し、様々な課題や矛盾が表面化し始めた。国々の思惑が渦巻く登録を合戦が常態化し、政治的な介入も日常茶飯事。国によって登録数の多さを国威発揚な民族復興の証とみなしてその獲得競争に奔走する風潮も否定しがたく、ユネスコが謳う人類全体の財産という理想にはほど遠い」「多様性が尊重される潮流のなかで、世界遺産もまた、拡大を続ける多種多様な資産に適切な対処が求められる時代へ突入した」と冷静に見極める。


世界遺産の課題については「往時の価値観を源田の倫理やイデオロギーのみで切り取ることは歴史遺産の本質をゆがめることになりかねないし、条約の趣旨に沿うものでもない」「世界遺産の登録は、多様な声を無理にひとつの価値観に集約し固定するという代償を伴う」「世界遺産の人気は、その希少性と代表性にある。珍しいから、あるいはとびきり美しいから一度はそこを訪れたい、とだれもが思う。地元はそのすばらしさを競い合い、内外にアピールしようとする。それは資産群の格付けに直結する。いわば、ランキング化は宿命なのだ」と指摘する。


世界遺産を絶対化するような風潮に対して「もの言わぬ自然にとって、世界遺産など人間が勝手に決めた迷惑な存在でしかないし、人間社会が繰り返してきた環境破壊に対する贖罪、言い訳にすぎない」「私たちは世界遺産に過度の純粋性や客観性を期待するべきではないし、世界遺産とはつまるところ国際政治の産物であることを忘れるべきではない」と諫める視点は、非常に大事だと感じる。そして、「人類遺産の保護はいまや一国で完結する時代ではない。そろそろ私たちは、むやみに『世界』の冠ばかりほしがるのをやめてもよいころではないか。国内候補の行方だけに一喜一憂するような近視眼的で受け身の視点から脱し、世界に視野を広げて積極的にユネスコをサポートしつつ、未来へ向けた保護体制の創出を主導するだけの実行力と矜持を持ってもいい」という筆者の主張には強く同意する。


世界遺産と言っても、きらびやかなものではなく、バラ色でもない。「人類の歴史とは、発展とともに矛盾や争いの道のりでもあった。歴史遺産はその映し鏡だ。光があれば影がある。利益を享受する人々がいれば、必ず搾取される人々がいる。それを避けられないのが現実ならば、人類社会がいかにその状況に立ち向かい、課題を克服しながら前進していくかを、私たちは真剣に考えなくてはなるまい。それは数々の難題を抱える世界遺産がこれから歩む、いばらの道でもある」という筆者の警句はまさにそのとおりだと思うし、寧ろここまである程度成果を上げてきた世界遺産だからこそ、今後のあり方については人類が真摯に向き合う必要があると感じる。


ともすれば、世界遺産を礼賛するだけの本が多い中で、的確に指摘しており、非常に読みごたえがあった。自らも世界遺産好きとしては、この本は勉強になった。ただ、やや終盤の主張が重ったるい感じで、興味が薄い人には疲れる読み物かもしれない。