世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】近藤成一「執権北条義時」

今年128冊目読了。放送大学教授、東大名誉教授の筆者が、危機を乗り越え武家政治の礎を築いた北条義時の転機に着目してまとめた一冊。


大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がむちゃくちゃ面白いので、この本も気になって図書館で予約し、相当待たされて手にすることができた。
…が。なんだ、このわかりにくい本は?自分の感覚としては、「出来の悪いパワポでの意味不明な発表」か「学生時代に受けた、本当につまらない講義」という感じ。歴史ものは嫌いではないのだが、それにしても本当にワクワクできず、がっかりだった。思うに、筆者が過度の感情移入を避けるべく、人物の『思い』にまで踏み込んでいないからかもしれない。研究者という立場ではそれで良いのだろうが、歴史でワクワクしたい、という自分からすると、薄っぺらいという感を受けてしまった。特に、大河ドラマ三谷幸喜が存分に登場人物の「内面」に触れていただけに、とても残念。


ものに好みはつきものなので、こういったトーンのほうが安心して楽しめる人もいるのだろうが、自分にはマッチしなかった。まぁ、色々読んでいるとそういうこともある。


そんな中でも、なるほどなぁと思ったのは以下のあたり。
後白河法皇の命により後鳥羽天皇が即位した後、京都では安徳天皇は『先帝』と呼ばれることになったが、安徳自身は退位したわけではないので、1年半ほどの間、2人の天皇が並び立つことになった」
「頼朝は建久10年(1199)正月13日に亡くなり、26日、朝廷は宣旨を下して、頼家に頼朝の遺跡(個人の遺したもの。ここでは頼朝の職務権限を指す)を継承して諸国守護を奉行することを命じた。頼家が征夷大将軍に補せられるのは建仁2年(1202)7月23日であるから、頼家が諸国守護を奉行するのに、征夷大将軍の職名は必ずしも必要なかったことになる」
「壇ノ浦で平家が滅亡した時、安徳も入水した。神器のうち鏡と璽は改修されたが、剣は永遠に喪われた。後鳥羽・土御門の二代は昼御座(ひのおまし)の剣を神器の剣の代用としたが、承元4年(1210)に順徳が皇位に上るに際して、かつて伊勢神宮から後白河法皇に献じられ蓮華王院に納められていた剣を使い、以後はこの剣が神器として用いられるようになった」