世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】堺屋太一「豊臣秀長(上下)」

今年51・52冊目読了。通産省官僚を振り出しに内閣官房参与まで務めながら、精力的な執筆活動を行った筆者が、ある補佐役の生涯にスポットライトを当てる一冊。


恥ずかしながら、豊臣秀長という人物について寡聞にして知らなかったが、この本で非常に興味を持つことができた。さすが三谷宏治お薦めの本だな。


秀長の「秀長の役割は、驚くべきプランを提唱することでもなければ、一部局を率いることでもなく、兄・秀吉と同体化することだった。秀長の機能は『補佐役』であって『後継者』ではなかった」「秀長は二つの決断を下していた。その一つは不安と困難に満ちた海に兄と共に船出する覚悟であり、もう一つはこの兄の補佐役として労多く功少ない立場に身を置く決心だった。秀長は生涯、水から下したこの二つの決断に忠実に生きるのである」という決意は、まさに自分という『道具』の使い方を知り尽くしており、こんなことができる補佐役がいたんだ、と驚かされる。
そして、その道を進むために「あまりにも機敏で大胆で人生に対する闘志に燃える兄の側にいるせいか、秀長には自分の至らぬ所もよく見えた。所詮は『補佐役』に適するように生まれついている、と思うのだ。『どうせ補佐役なら兄のそれになり、生涯主役になろうとは臨まぬことだ…』彼はそう心に決め、何度も自分にいい聞かせていた」という覚悟と認識が、「兄の大胆さと弟の確実さ、これが終生変わらぬ木下兄弟の役割分担だった」ということになっていく。
実際の行動において「たとえ『兄に劣る弟』と冷笑されても愚直を装って耐えねばならない。補佐役たる者は、時としてあほうになり切る才能もまた、必要なのだ」「自分の忠告が当たったとしても、兄の権威を傷つけるだけで得る所がない。補佐役たるもの、主役と才知や人気を競うようなことをしてはならないのである」ということを守っていたのが、彼の超一流たる所以だろう。


信長の手法について「敵を痛撃すると無理に領地を奪わずに引き揚げ、相手の内紛と衰弱を待つのは、織田信長が終生多用した戦略である。激烈な速攻と同時に、こういう『待ち』の戦略も使えた所に信長の精神的強靭さがうかがえる」「脇目もふらず真直ぐ心臓部(最重要地点)を衝く、いわゆる『ハートランド戦略』は、織田信長が生涯多用した得意手の一つ」「信長は、小さな変革を何度も繰り返し、その都度不満と抵抗を産むよりは、一挙に大改革を断行する方がはるかに得策なことを知っていた」「織田信長は軍事力の基礎が経済力であることを明瞭に意識し政策化した最初の日本人」という指摘は確かにそうだなぁと思う。
そして、故に「徹底した合理主義者の織田信長は、生涯人間の不合理な感情を理解できなかった」「信長は発想の自由さと合理的計算の故に、しばしば冷酷に犠牲を強いた」という罠に嵌まったのは、非常に惜しまれるところだ。


そして、本能寺の変については「光秀の緻密な計画の基になっていた世の中の見方が間違っていたのだ。光秀は、もうこの世には存在しない伝統と慣例を頼りにし、多くの人々が感じてもいない憎悪を代表しようとしていたのである。この世の中の大部分の人間は、自分と同じように、今もなお伝統と慣例を重んじる古い常識を保っていると期待していたからである」という解釈もなるほど理解できる。緻密な知識人の光秀が三日天下に終わったのはいかにも違和感まんまんだからなぁ…


秀吉について「秀吉の人使いの上手さは拡大成長のためのものであり、守りとまとめの才は欠けていた」「秀長の死後、兄・秀吉はなお七年半生き続け、その身辺と政権をますますきらびやかに飾り立てていく。しかし、秀長の死んだその日から、豊臣の家をより幸せにするようなことは何一つ起こらなかった。よき補佐役の死は、偉大な主役にとっても、その一族や家臣、統治下の民にさえ不幸な出来事だった」という見方は、なるほどと思わされる。


武士と言うものについて「武士に大事なのは戦場ばかりやない。普段の働きこそ大切じゃ。一に忠勤(殿の気質を知り、殿のなされようとすることをいわれる前に測り、昼夜の別なく殿の意にかなうように動くこと)、二に目利き(家中の事に目を配り、大小にかかわりなく問題点を発見しいち早く改善すること)、三に耳聡(さまざまな噂を集め、役立つものを細大漏らさず殿のお耳に伝えること)」と述べるあたりは、現代のサラリーマンにも通じるものがある。


一般則として「平和と治安の良さと戦勝による名声の向上が、商人を呼ぶのだろう」「仲裁の技術は、一方の顔を立て、いい分を通すときには、他方に銭を与えて実利を取らせるのである」「とかく、伝統的権威というものは、情報不足の遠隔地ほど保存状態が良好なのだ」「日本の歴史でも、偉大な成功者、なかんずく天下を制したような英傑はみな、好調期の攻めの鋭さとともに、苦難の時期の守りの固さを持っている」「戦においても事業においても、最も難しいのは見切りをつけての撤収」「伝統と慣例が尊ばれなくなった世の中では、武力と人脈だけが正義の基準を決める」のあたりは心に留めおきたい。


そして、「世に、努力もし、実力もあり、忍耐もしたのに、ついぞ運に恵まれずに人生を終えた不幸な人も数多い。しかし、努力と実力と忍耐を欠いて好運だけで大成功した人物は見当たらない」というのは、けだし名言である。今更、大成功を望むべくもないが、自分なりに努力はしていきたいと感じることができる。


自分の能力、分を冷静に見抜き、それに殉じ切った凄い人生。その迫力に圧倒された。