世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】永井陽右「共感という病」

今年51冊目読了。テロ・紛争解決スペシャリストの筆者が、いきすぎた同調圧力とどう向き合うべきか?について考察する一冊。


畏友が薦めていたので読んでみた。なんでテロ・紛争解決スペシャリスト?と思うが、意外にも?非常にわかりやすく、引き込まれた。


そもそも共感について、その危険性を「『共感し合おう』『繋がっていこう』というと、なんとなく無条件に良いものである気がするが、繋がっていくからこそ分断していく 」「共感しすぎて攻撃的になってしまうこともある」「気に入らない相手をひたすらたたいたりして連帯していくことは、何かしらの課題を解決することができたとしても、ほぼ間違いなく対立や分断を招く」と説く。


そして、共感の本質を「私たちは、自分と何かしらの共通項を持つ対象や、自分よりか弱いと思える対象、自分が体験済みまたは疑似体験できる状況下にある対象に共感しやすい。さらに、その共感を与えるだけの正当性があるかどうかを判断している」「共感とは誰かの困難に対してではなく、困難に陥っている自分側の誰かに作用している。共感は差別主義者」と抉るのはなかなかな慧眼。
共感には二種類あるとし「①認知的共感:相手の思考や感情を理性的に理解しようとするもの。ある程度意識的にオン・オフの切り替えができる②情動的共感:相手の思考や感情を自分の感覚として感じること。無意識に出てしまうものであり、オン・オフの切り替えが難しい」とする。確かに、そう考えると共感って後者ばっかりだよなぁ…


共感の危険性について「一概に良い悪いではなく、共感が大きな力を秘めている以上、私たちはこの現代社会において、常にその共感を『使いたい』という誰かの意図にさらされている」「詳しく考えるだけの背景知識やそのための時間を持たない、忙しく日々情報に囲まれている現代人を、いかにしてわかったように思わせることができるか。だからこそ、シンプルかつキャッチーな表現で共感が湧き出るポイントを押さえつつ、さまざまな手法で訴えかけていくことが工夫されている」と述べるあたりは本当にそうだなぁと納得させられる。


筆者は、紛争地で、理解を目的に行う戦略的対話をしていると述べ、その心得として「①相手の何をどの程度理解するか、目標を設定する②相手と同じ次元のことについて思考・発言していることを意識する③理解を深めているときが最も緊張や対立が高まる④お互いが『このままではどうしようもないな』と考えるときがグッドタイミング」と説く。さらに、テクニックとして「①アクティブリスニング:相手を認め、信頼と敬意を築くとともに、相手の感情としの背景を理解する②ルーピング:相手が行ったことを、聞き返すことで、その理解を確認する③リフレーミング:相手が行ったことを、別の形で言い直すことで、より前向きな形にする④クエッショニング:適切な問いを立てることで、さらなる対話や解決法の道筋を創る」と提言する。


では、どうすればよいのか。筆者は「被害者よりも忘れ去られている加害者側に目を向けることが、問題解決において不可欠であるうえに費用対効果も高い」「感情的な話は、非常に理解できる。ただ、社会や世界を良くしていくために、感情的にならざるをえないような悲痛な出来事がもう起きないようにするために、理性的な姿勢もまた必要」「本能や直感を変えることは難しい。だからこそ、そのことを認めたうえで、流されないための理性的な錨が必要」と主張する。
さらに、心構え、生き方として「正論も、別の視点からは正論でないことが常」「現実を踏まえてどうあるべきか、何をすべきかを常に考え、解決に向けて動き続けることが大切」「一度私たちは他者なんてものとわかりあうことはできないとしたうえで、そんな中で一体全体どうすれば他者とうまいこと共存していけるのか、と考えたほうが余計な問題が生まれにくく、真に地に足がついた話し合いや思考ができる」「そして、唯一わかりうるであろう自分とは何者なのか、正面から向き合ってみる。その理性的かつ真摯な思考こそが、共感とともに世界を良くする鍵」ということを提言する。どれも納得の主張であり、感嘆を禁じ得ない。


筆者と対談している内田樹の「『自分にしかできないこと』をやる、そして『自分の手が回らないことは他の人がきっとやってくれるから大丈夫』だと信頼すること。そうすると、機嫌が良くなる」も、心構えとして参考になる。留意したい。


これは読んでみてよかった。うかつに「共感、共感」と言いづらくなっただけでも、読んだ価値があったということか。まず、そこに向き合うことからだな。