世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】立花文子「なんとかなるわよ」

今年36冊目読了。柳川立花家15代鑑徳と艶子の一人娘として生まれた姫様が、テニス日本チャンピオンに輝き、転じて戦後には女将として逞しく時代を生き抜いた自伝。


筆者が開いた料亭「御花」と関わる縁をいただいたことから読んでみたが、その波瀾万丈ぶりは半端ではない。


姫として育てられることで「たえず周囲に大勢の人がいます。勝手なことをすれば、その人達に迷惑がかかります。そのことを常に心にかけて生活しなければなりません。子どもの私はもう少しお手柔らかに願いたいというか、心の中では普通の子どものように少しは甘えたかったのです。けれどスパルタ教育のように大変厳しく育てられたように思いますし、当時の私はそれが当然のことと受けとめていました。そうやって寂しい思いで幼少期を過ごしたので、我が子たちにはできるだけそんな想いはさせてはいけないと、私の子育てでは思いました」と認識するあたりは、本当に住んでいる世界が違ったんだろうな、と感じる。


そんな中でも、父の教えを受けて「『やってみんか』と勧める父に『はい』と私は応え、いつも行動に移してきたような気がします」関東大震災の後には「再開した時に父が『これからも文子が生きていくうちはどげんかことの起こるかもわからん。世の中がひっくり返るようなことが起きたっちゃ、女だからと弱音ば吐いたらでけんばい。ちゃんと立ち向かっていけよ、へこたれるな』と言った言葉は一生忘れません」「”All or nothing”そういえば父がそうでした。中途半端で終わるぐらいなら最初からしないほうがいい。”All or nothing”がいつの間にか私の主義みたいなものになっていました」と育ったことは本当に凄い。
結果として、姫様からサラリーマンの夫になり、転じて料亭の女将になって活躍したのも「父の子育て観は自分の事は自分でやれるような人間に育てるというものでした。たとえお姫様であろうと欲を控え、甘えてはならないわけです」という教えを守っていたからなんだろうな。親の教育観の影響力、そしてそれを全力で引き継いだ娘の強さを感じずにはいられない。


そして、料亭をやることに。「確かに七千坪の屋敷は料亭にはおあつらえ向きです。部屋の数がたくさんある、九十畳の大広間もある、食器だって有田焼の皿もあれば漆器類も、ギヤマンのグラスもある。これらを利用しない手はありません。しかし、商売にはまったくの素人、もちろんだれも水商売の経験者はいません。でも私たちは料亭業に賭けざるを得ない状況でした。この状況を悲観的に考えたってどうなるものでもありません。『なんとかなるわよ』と私は成算に半信半疑の夫に明るく応えました」「『世が世ならば、お姫様と呼ばれた方なのに…』と、踊る私をしきりに同情するお客様も少なくなかったでしょう。だけど私はぜんぜん抵抗なかったです。もう、女将をやろうって決めていましたから」という腹の括り方が本当に凄い。うわべにとらわれない柔軟性、それを支える強い芯。それをさらりとこなすのが、また凄い。
支える人たちも凄い。支配人が「僕が支配人をしていた頃、従業員によくこう言うとった。『何と言っても今の御花があるのは十六代当主ご夫婦が頑張ってこられたおかげ。私も含めてあなたたちは苦労するのが当たり前と育った人間だけど、ここはちがう。昔でいえば殿さん屋敷で華族として育ってきた人たちだから、私たちが三つ苦労するときは、十苦労しておられると思わないか?』と。僕はしんからそう思うとります」と言うあたり、本当に通じ合っているんだろうな。


2023年、日本はコロナ禍をようやく抜け出そうとしているが、この3年間の逆境を経ると、筆者の「『あなたの信条は』と問われると、やはり『なんとかなるわよ』。父の教えどおりに、どんな時にも動揺しないこと。どんな困難でも時間が経てば霧が晴れたように見通しよくなるものなのです。一つひとつやるしかありません。いつもそう考えて生きてきたように思います」「不便だと愚痴をこぼすより、なんとか克服するための対策を考える方が私らしいと思いました」という価値観、生きざまが威力を持って迫ってくるような感じがする。


『生きざまがNHKの朝ドラ』という話を聞いて『そんな大げさな…』と思った部分もあったが、実際に本を読んでみたら、なるほど余計な創作をするよりよほど朝ドラのストーリーだ。事実は小説よりも奇なり。