世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】宮台真司「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」

今年180冊目読了。首都大学東京教授にして、社会学者・映画批評家の筆者が、過去の講義内容を集約し、戦後そして90年代以降の漂流する日本の分析と今後について考察する一冊。


分厚い本で、少しひるんだし、読み進めるのに理解が大変だったが、それだけの価値はあると感じる。


現代社会の困難さとして「資本移動自由化によって格差化と貧困化が進む。中間層が分解し、共同体が空洞化して、個人が不安と鬱屈にさいなまれるようになる。そのぶん、多くの人々がカタルシスと承認を求めて右往左往し始める。かくして、ヘイトスピーカーやクレージークレーマーが溢れがちなポピュリズム社会になる」「非二項図式的な輻輳は、グローバル化(資本移動自由化)を背景とした構造的問題で、今後あらゆる分野で顕在化する。それらが従来の道徳的な動機づけを挫く方向で機能する」のあたりの指摘は至当だ。


共同体についての「共同体が空洞化すれば個人化が進むので空気から自由になるようにも思えるが、実際には違う。共同体的作法が変わらない中で共同体が空洞化すると、逆に人々は脅迫的に共同体主義的にふるまう」「合理性や妥当性の議論が失速し、社会的意思決定を方向付けられない傾向。その背後に<民度の低さ>と<悪しき共同体>がある」「『人を殺すな』というルールを持つ社会はない、代わりにあるのは『仲間を殺すな』と『仲間のために人を殺せ』の2つのルールだ」という分析も鋭い。あまりにも社会システムが変化しすぎているのは間違いないだろうな。


90年代以降のコミュニケーションについては「オンラインでダダ洩れになることが怖くて、オフラインで喋りたいことがしゃべれなくなってしまう。関係性を築くための前提が空洞化している。日本人は、相手と前提を共有していると思えないと、コミュニケーションをなかなか前に進められない」「①社会ベースから国家ベースへ②信頼ベースから不信ベースへ③多様性ベースから均質性ベースへ、と、人々のコミュニケーションの前提が変わる。その結果、社会が安全で安心できるものに変わるのか、というと、完全に逆」「感情的安全を担保してくれる共同体が空洞化して、メディアの受け手が孤立した状態になると、感情的安全を脅かされた受け手が、メディアに慰安を求めるようになり、そのぶん真実性要求から遠ざかる」「対立があるところ、には、対立の元になる差異の線を引くための平面の共有が必ずある。その意味で、逆説的だが、ナンパ系とオタク系の対立が意味を持たなくなって融和が進んだと見える20世紀末以降の方が、共通前提の空洞化が進んでいる」


陥りやすい罠として「我々は『弱者である当事者』に弱い。『弱者である当事者』の言葉を<真理の言葉>と見做す思考停止が蔓延する」「グローバル化は、政治領域では従来の国内政策を台無しにし、経済領域では経済指標好転が生活を悪化させ、社会領域では市場と行政への依存が共同体を空洞化させ、鬱屈した人々が<感情のフック>に釣られて<社会はどうあれ経済は回る>ポピュリズムを駆動する」「今日的ポピュリズムは①資本移動自由化がもたらした『小さな社会』ゆえの『大きな政府』要求に②資本移動自由化が『小さな政府』を不可避とするので応えられず③それゆえに人々が抱えざるを得ない不安と鬱屈を標的として④人々の留飲を下げるでたらめなメッセージが発信されて大規模な動員がなされる。これが好戦的ポピュリズムの温床となる」を挙げる。
かつ、日本特有の「先進国がたいてい<引き受けて考える>政治文化を持つのに対して、日本は<任せて文句垂れる>政治文化を持つ」は、確かにそうだよな…


では、どうすべきか。「今日の不透明な全体性を前に、視座の輻輳を実現するには、<真理の言葉>から<機能の言葉>へのシフトが必要」「政治家が、手を汚すことを辞さぬ存在であるべきことを、徹底的に理解する。理解した上でチェックする。手を汚さぬようチェックするのではなく、汚し方の適切さをチェックする」「『これさえあれば』と言えるような近接性の原理を何一つ持たぬ日本の現状を直視すべき。直視すれば直ちに『これからはコレしかない』『否、やはりアレしかない』と応酬する空虚に気付く。統一原理に拘るのは愚昧」「良い社会とは、徳のある者が溢れる社会のこと。徳とは<内から湧き上がる力>。」「民主主義の中軸は自治(自分たちのことは自分たちで決める)。自治の中軸は<参加>と<包摂>。これを実現するのに最も有効な手段は、先進国で日本でだけ普及していない住民投票制度」との提言は、念頭に置いておく必要があると感じる。


福島原発対応に触れて「行政は、限られた範囲で情報を収集し、行政コストを考えた上で想定ラインを設定する。そんな設定ラインを個人が信じるべきどんな謂われもない。自分の身体感覚と判断を研ぎ澄ませて対処しなければ非常時を生き延びることはできない」「<システム>への過剰依存が、<システム>機能不全の際、<生活世界>に如何に恐ろしい事態をもたらすかを、原発事故はまざまざと見せつけてくれた」という言及は、コロナ禍の2021年においても何ら変化していない、というか成長していない…
そんな中で「不安をあてこんで視聴率を獲得したがるマスコミが、人々を不安にする情報を出す。マスコミは『不安のステークホルダー』。人々は不安になればなるほどマスコミを頼りにするので、マスコミは不安を煽るように動機づけられる」もまた然り。


自分で考え、行動する。思考を止めるな。結論はハンナ・アーレントと同じだが、アプローチとしてはこちらのほうが日本の現代史として生きてきた流れを追体験するような構成になっており、一読の価値があると感じる。