世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】田野大輔「ファシズムの教室」

今年57冊目読了。歴史社会学専攻の甲南大学教授である筆者が、なぜ集団は暴走するのか、について、体験学習形式での講義により、その理論と実態を解き明かしていく一冊。


もともと、この独特な体験学習講義が行われているのはネット記事で知っていたが、NHK「ダークサイドミステリー」で筆者がその実験と共に集団暴走のからくりを解き明かしていて、そこで紹介されていたので読もうと思った本。読んでみると、なるほどこれは面白いし、精緻に組み立てられている体験学習だ。


なぜ、現代において『寝た子を起こす』ようなファシズム体験教育を行うのか。「ヘイトスピーチにも、ファシズムと共通の仕組みを見出すことができる」「ファシズム的と呼びうる様々な運動にはほぼ共通して、複雑化した現代社会のなかで生きる人びとの精神的な飢餓感に訴えるという本質的な特徴がある。それゆえ、そうした運動が人びとを動員しようとするやり方も、きわめて似通ったものとなる」のあたりの言及は、その回答であるとともに、今もそこにある危険だ、ということがわかる。「民主主義が『多数派の支配』と理解されるように社会では、ファシズムの危険性はむしろ高まっている」「複雑な現実を単純化し、わかりやすい敵に責任を転嫁する点で、ファシズムポピュリズムが取る煽動の手法は基本的に同じ」などは、確かに肌感覚として納得できる。


では、ファシズムとは何か。「権威への服従を基盤としながら、敵の排除を通じて共同体を形成しようとすること」と定義づけ、「全員で一緒の動作や発声を繰り返すだけで、人間の感情はおのずと高揚し、集団への帰属感や連帯感、外部への敵意が高まる。この単純だが普遍的な感情の動員のメカニズム」を活用している、とする。確かに「権威への服従が人々を道具的状態に陥れ、無責任な行動に走らせる」「権力者の号令のもと『悪辣な敵』に義憤をぶつけるとき、人びとは正義の側に立ちながら、自分の不満や鬱憤を晴らすことができる。そこではどんなに過激な暴力をふるおうと、上からの命令なので行動の責任は問われない。権威の庇護のもと万能感にひたりながら、自らの攻撃衝動を発散することが許される」という面が「支配者と服従者は一種の共犯関係にあった」という状況を生み出したわけで、ファシズムを「悪魔的な指導者と、弾圧された服従者」とみることを明確に否定する。これは慧眼だろう。


ファシズムを支える高揚感については「人は遊びや祭りなどの非日常的なイベントに参加し、日頃抑えている欲求を発散することで、高揚感や爽快感、他者との一体感を得て、社会生活を営む活力を維持している」「この種の集団行動はいつの時代にもどんな場所にも存在するもので、普通は一時的な興奮を呼び起こすにとどまり、差別やヘイトといった加害行動と結びつくことはあまりない。それが危険なファシズムへと変貌するのは、集団を統率する権威と結びついたとき」とする。そして、それが体験学習において「指導者が力を発揮するうえで欠かせないのは、支持者が一致団結して同じ行動を取る事。これによって生まれる大きな力が、独裁体制を支える規律・団結の力」であり「受講生が集団行動にのめり込んでいく原因として①集団の力の実感②責任感の麻痺③規範の変化が重要」「参加者を突き動かすのは、規範に従うことによって生じる『正しい』という感覚」と、体験レポートからメカニズムを実践的に読み解いていく。


体験学習についての批判に対しては、非常に考え抜かれている。「危険を伴う体験授業には、批判や懸念の声も出るだろうが、そうした声が出るたびに、相応の対策を講じて理解を求めていくしかない。そう覚悟を決めた」筆者は、「感情の『動員』と『抑制』を同時に追求しなければならないところに、この授業の難しさがある」としながら、巧みな工夫をこらしている。それは「普段の生活のなかで自覚なく受容しているものの危険性を認知するには、教育の意図的な介入が必要」という信念に支えられている。これはシンプルに凄いことだ。かつ、人間の盲点に光を当てようとする点も秀逸だと感じる。


「『権威への服従』という社会状況が人間の行動を変化させるのであって、特定の状況では誰もが残忍な行動を取る可能性があると理解すべき」という言及は、非常に重い。ファシズムの犯した過ちを教訓にするためにも、この本は一読の価値がある。